アーキテクトビルダー
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領域大工
現代社会では、設計者と実作業者が分断されているのが不健全な状態になっている
ゲーム開発においても、設計者と実装者が分断されがちで、それはあまりうまくいっていないと個人的に感じる
実装者は結局設計者の意図を組まずに、自分の実装しやすいように実装してしまう
人同士が理解しあうことをほぼ無理
もしくは、設計者の意図を組まずに、既存のコードをコピーして無理やり設計に合わせてしまう
柔軟さが消える
効率良く大量生産されるようになっても良いものと悪いものがあり、住宅は後者であると著者は述べている
小麦やお米などは大量生産されて良いものとは言えそう
"ゲーム"も間違いなく後者であり、効率よく大量生産されたところでゴミが増えるだけだ
今のスマホゲームの現状を見ると、よく分かる。うんざりする
ゲーム開発のしやすさよりも、良いゲームが作りやすくなる土壌や文化をもっと広げていきたいし、自分も学んでいかないといけない
ゲーム開発において、ゲーム仕様を決めるプランナーと、それを実装するエンジニアとで分業しているのもそもそも良いのか?と疑問が湧く
プランナーが決めたからといって渋々作るエンジニア、エンジニアの技術的制約のために渋々仕様を変えるプランナー
確かに制約は必要だと思うけれど、それが他人のスキルや思惑が混じった制約だと納得がいかないかもしれない 複雑な仕様を作りたい場面ほど、実装者と仕様決定者が同一になっていて欲しい
しかしあくまで現実は分かれているので、このギャップを埋めるのがコミュニケーション能力
権限が大きくなると、集約化によって活動範囲も大きくされがち
たくさんのプロジェクトを横断で管理する
たくさんの部下の育成に責任を持つ
とにかくたくさんの仕事を請け負う
これは本当によくないと個人的に思う
責任が大きくなるたびに仕事の範囲が広くなって、自分の時間がどんどん減っていく
これにより、一つの仕事に集中できなくなり、クソ仕事になっていく
自分の時間を増やすことが報酬だと思っているので、活動範囲が広くなるのは実質報酬が減らされていると個人的に感じてしまい、組織への不満が溜まってしまう