あなたにとって命をかけられるモノが、多様な人々にはまったく価値のないことも多々ある。それが多様性社会の宿命
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熊野と渇苛斬の対峙
多様性のある社会で、お金の価値がやけに高くなる理由|深津 貴之 (fladdict)|note
タイトルはこちらの記事より引用
多様性社会では、自分だけの好き・こだわり・偏執が受け入れやすいが、共通価値のお金や数字に変換されるとめちゃくちゃ低い数値になりがち
誰もが好きなもの、欲しがるものほど高い共通価値になるからしょうがない
逆張りが好きな性格な自分も、基本は少ない数値の世界で生きている
だから数値の低さでダメージを受けて死なないように、承認欲求との戦いをしたり、競争から降りるように自己暗示をかけている
ただし、今数値の低いものが異時的な環境変化によって高い数値に変わることもある
その時にその場にいた者が大きな数値を得られる。
これが迂回生産の考え方に繋がると思う
クリップパラドックス、迂回戦略による将来の効用を低く見積もらない
長期的よりも異時的で考える
もちろん共通言語であるお金(や数字)を全否定する必要はありません。ですが、構造的な問題から、そういった指標が強くなりすぎないようにする。
スキ数はあってもい、でもスキ数による絶対ランキングは作らない、そういうバランス感覚は大事かと思います。共通価値に対するバランス調整が、多様性社会では重要だと思います。 
Youtuberが炎上行為に走るのも、多様性ではなく数値を目的にしてしまっているから
だから今のYoutuberや広告インセンティブシステムは、バランスを欠いていると思う
インセンティブ制度に合わせて最適化してしまう人類へのモヤモヤと自戒