「何を言ったか」より「誰が言ったか」のほうが説得に大きく影響する
アリストテレスは、第一として説明した、語り手自身がもつ説得力をエートスと呼び、これが「もっとも強力なといってもいい説得力をもつ」ことを指摘している。レトリックが対象とする日常議論においては、誰が語ったかということは、何が語られたかということ以上に、説得に大きく影響する場合がある。たとえ語られた内容が同じであったとしても、聞き手は、誰が語ったかによって、まるで別様の評価を下す。 「何を言ったか」だけで議論が成立するような真空の論理的思考空間は存在しないと本書では主張している
「誰が言ったか」で説得力が変わる例
歩きタバコをしている自分に対して「歩きタバコは禁止ですよ」と指摘した人も、歩きタバコをしている
「そうでした、すいません」とはならない。
真っ先に浮かぶのは、「お前も歩きタバコしているじゃないか」であり、説得されない
「スケジュール遅延してるのによく定時で帰れますね」と言ってきた人が、スケジュール遅延してるし定時で帰っている
「すいません、残業します」とはならない
真っ先に浮かぶのは、「お前も遅延してるし定時で帰ってるじゃないか」であり、説得されない
「Scrapboxはこうやって使うのがオススメですよ!」と言っている人が
説得力を感じる
Scrapbox始めたてでページ数が10~20ぐらいの人
説得力を感じない
言葉に頼りすぎてはいけない
身銭を切っていない人の言うことは聞けない
身銭を切っていない = 歩きタバコしながら歩きタバコ禁止の指摘をする、スケジュール遅延して定時帰りしておきながら他人にそれを指摘する
身銭を切っている = Scrapboxを使い倒した上でScrapboxのオススメ方法を語っている、スケジュール遅延している時は定時帰りせずに残業する
同じ指摘内容でも、上に逆らう傾向のある人にはマネージャーから指摘するよりも、仲の良い同僚に指摘させたほうが従う
https://www.youtube.com/watch?v=w90PVffduSw
真実を知ることが難しいのではなくて、知ったことにどう対応するかが難しいのである
信頼を得ていない人がずけずけと合理的な進言をしたところで聞いてくれない