クラウド・アイデンティティ
アイデンティティがクラウド化する、つまり「自分とは何か?」「自分の考えとは何か?」という自我そのものが、どんどんとネットのクラウドの中に溶けていってしまうという問題だ。
でもネット社会にいる僕たちにとっての”本音”というのは、誰の意見が自分に近かったっけ?とネット内を探すことになってしまっている。
「自分の考えは、誰かが自分より上手く発言してくれている」
「それを早く見つけて、賛成者がどれぐらいいるかで安心する」
不思議だよね?「自分の考え」を人の発言の中から探すなんて。
現在の僕たちは、すでにそういう思考法や発想法を当たり前だと思っている。
「私が”私たり得る”部分」、つまり自我領域や自我境界そのものがネットと一体化しネットに溶け出している状態。
それを僕は、魂がクラウドの中に溶けていってしまう「クラウド・アイデンティティ問題」と呼んでいる。
さて、おっかない話を書いてるみたいな気がするけど、ちょっと逆方向から考えよう。
クラウド・アイデンティティは問題ではなく、利点だと考える。
実は、これまでも人間は自我というものを家族や社会のクラウドに置いてきた。ネットによってその速度が爆発的に進んだに過ぎない。
自分の中では思考をジャグリングしているから、移り気に色んな事を考える。
その中のコアみたいなものは自分の脳じゃなくてノートに作ればいいだけじゃないの?
そう、リアル脳とクラウド脳しか無かったら、考え方、アイデンティティはどんどんクラウド側に「溶けて」いってしまう。 それを防ぐための防衛線として、ノートという「自分の内部のゴーストライン防衛装置」と、リアル関係やサロン的ネット社会という「社会に対する時のゴーストライン防衛装置」が必要になるんじゃないかな? クラウドに溶け出すアイデンティティの防波堤になるのが自身の考え方をアーカイブ化したノート
スナップショット的に切り出された思考 / 考えについてのメモ
その集積 / アーカイブによるノード構築が好奇心 の指向性を生むためにクラウドに溶け出すことがないのでは