[エッセイ]牛がいた頃(兵庫県但馬編2)現代の但馬牛
2023年7月22日(日)後編。前編に引き続き、但馬牛博物館の野田副館長のお話。後編は現代の但馬牛についてお話を伺う。
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但馬牛とは
但馬地方とは豊岡市と美方郡と朝来市と養父市のことで、美方郡の中に香美町と新温泉町があります。現在、但馬牛を一言で言うと、兵庫県内で生まれた黒毛和牛で、その先祖が全て兵庫県内の牛だけの血統の牛になります。そのうち美方郡の但馬牛はさらに特別で、美方郡内純血です。現在繁殖用のメス牛は2230頭程います。この郡内純血は100年以上にわたって続いており、貴重な遺伝資源として、但馬牛は今年2023年7月5日にFAO(国連食糧農業機関)より世界農業遺産に認定されたところです。世界農業遺産は伝統的な農業を行う地域の保全を目的としています。 但馬牛は生まれて9ヶ月で競りに出ます。農家さんには産ませる専門の農家(繁殖農家)と育てる専門の農家(肥育農家)がいます。産ませる農家はお母さん牛ばかり飼っていて、人工授精で毎年子牛を産ませて、その子牛を9ヶ月間育成してから競りに出します。それを買って帰った肥育農家さんは、約2年間さらに肥らせて、肉として出荷します。
「但馬牛」は生きている牛の時はタジマウシ、出荷されてお肉になるとタジマギュウと呼び方が変わります。さらにタジマギュウは厳しい検査をして基準をクリアしたものだけ「神戸ビーフ」と名乗ることが出来ます。検査のポイントはロースの部分の霜降り度がポイントです。今は但馬牛の10頭のうち9頭は神戸ビーフの基準に合格しています。神戸ビーフだけの独自の基準は、枝肉の状態で499.9キロ以下でないといけない。500キロ以上あったら、神戸ビーフでは不合格になります。なぜなら大きすぎる牛は美味しくないという研究結果が出てきたからです。この厳しい上限を設けているのは世界でも神戸ビーフだけです。 種雄牛(お父さん牛)の作り方
博物館に入ると、現在、兵庫県が飼っている種雄牛(お父さん牛)のポスターが展示されています。最上段に12頭の基幹種雄牛、その下には待機牛が28頭、写真入りで載っています。基幹種雄牛というのは、肉量や肉質、美味しさの能力などの数値が判明しており、兵庫県が自信をもって農家にお勧めしているスーパーエリートお父さん牛たちになります。
お母さん牛は兵庫県下に1万4千頭いて、その全てが通知表(育種価という偏差値)を持っています。産地、飼い主、血統はもとより、肉量や肉質、脂肪の質、霜降りの細かさ、繁殖成績などの能力が数値化されて管理されています。兵庫県の試験場が県下でも成績のトップクラスのスーパーお母さん牛に指定交配し、オス牛を産んだら試験場で買わせてもらう契約を結びます。
その年に指定交配で生まれたオス牛を16頭、幼稚園生として揃えます。1年間育てるうちに、精液検査をしたり、発育度や飼料の効率などの成績から選抜して7頭に絞ります。7頭から外れた9頭はまだ若いので、去勢して1年ほど肥育してからお肉になります。こうして7頭のスーパーエリートの子牛を選抜します。
その7頭のオス牛たちは、満2歳で一年生となり、初めて種雄牛ポスターの最下段に載ります。しかし現時点では持っている期待能力はすごいけど、実際にその能力を持っているのかはわかりません。そこで、試験的に種付けをしてもらって出来た子牛を肥育して、その子牛のお肉の結果で通知表を出します。今年の7頭は今(7月に)種付けをしてもらっていて、来年子どもが出来るので、お肉になるまで結果待ちをすることになります。この結果待ちをしている若いオス牛たちは4年生までいて、一学年7頭ずつで、28頭。4年生は次の正月くらいには成績が出るので、最上段にいるスーパーエリートお父さん牛たち、12頭と比べて毎年入れ替えをします。12頭という席は決まっています。産肉能力だけでなく血統構成なども考慮して選抜した牛に入れ替えをする仕組みになっています。
但馬牛の問題点
但馬牛は他県の牛の血統を交えず、県内の牛だけで改良が進められています。そこで困った問題が発生します。但馬牛同士の血縁が濃くなることです。だからオス牛の系統を三つに分けて、交配の際に使い分けできるようにしています。名前の末尾に土井や波が付いているものは美方郡がルーツのオス牛です。何もついてないものは旧城崎郡がルーツのオス牛です。それぞれ昔からの特徴があり、土井系は霜降りが得意。波系は但馬牛の中でも大きくなる特徴がある。旧城崎郡の牛は、姿形、特に背中が綺麗で乳がよく出て、子育てが上手。昔は乳が出て子育てが上手なことは大事な性質だったけれど、今は肉質や肉量が高く評価されるので、どうしても旧城崎郡の牛は不人気で、土井系が人気だったりします。
繁殖農家の皆さんの家にはオス牛の一覧のポスターが配ってあり、農家さんはこのポスターを見て、お婿さん選びをします。ポスターに載っている通知表を見たら能力はわかり、当然ながら人気牛はいるけれど、兵庫県は凍結精液の配布を制限していて、1種雄牛あたり年間4000本しか出さないという条件を設けています。また、この牛の娘がお母さん牛になり、県下で1000頭以上増えたら、このオス牛は淘汰されます。このようにして少しでも血縁が濃くなるのを防いでいます。
お父さん牛の通知表
お父さん牛(種雄牛)の通知表を作るには、その子どもたちの肉の成績が必要なので、県内の肉牛のデータは全部、試験場で管理されています。どこで肥育されて、どこの屠場でお肉になり、肉質の様子はどうだったかといったデータすべてを試験場が持っています。血統情報と枝肉の情報をコンピューターで処理をして、お父さん牛の通知表を作成します。。
兵庫県下では毎年約6000頭の雄子牛が生れますが、その中でオス牛として暮らせるのは、試験場が幼稚園生として買い上げる種牛候補の16頭だけ。他のすべての雄子牛は生後5~6ヶ月で去勢されます。去勢されると男性ホルモンが出なくなるので、体つきも変わり、肉質が柔らかく、霜降りも入りやすくなります。
牛の名付け方
黒毛和牛はオスは漢字、メスはひらがなで名前を付けます。
[野田さんはオス牛の改良の仕事を昭和59年(1984年)から平成18年(2006年)まで、担当していたので、今ポスターに載っているオス牛の父親からおじいちゃんに当たる牛の名前を全部つけたそうだ。29歳の時に初めて牛に名前をつける仕事をされたらしい。]
ポスターに載っているオス牛の写真を見ると、性格が悪いかどうかもすぐわかります。昔は牛が農耕用と兼用でもあり、性格も評価項目だったけれど、今のオス牛は肉質さえ良ければ性格は重視されないので、評価項目にはならず、スーパーお父さん牛の中には性格の悪いオス牛が混ざります。ポスター用のオス牛の写真は牛は「気を付け」の姿勢で撮るけれど、「気を付け」が出来ていない。(ポスターのオス牛の写真を見ながら)例えば後足がきちんと踏ん張って立っていなくて体型が悪く見えるオス牛がいます。沢山撮った写真の中で一番いいのがこれだったということです。興奮してじっとしていられなくて、しっかりと「気を付け」の姿勢ができていないのがわかります。
現代の牛の改良の歴史の転換期(役肉兼用から肉牛専用へ)
牛の改良の現代史には、何度か大きな転機があります。
まず、農耕用の役牛と食肉用の肉牛兼用だった時代から、肉専用になった時が大きな転機となります。全国で和牛を飼っているところがあり、和牛をこれからどうするか、と考えたときに、和牛の取り柄は肉質だと考えるようになります。他の和牛と違い、肉質が一番いいのは但馬牛でした。他の地域の農家さんも、じゃあ但馬牛を導入しようということで、全国から美方郡に牛を買いにきました。メス牛もオス牛もどんどん買いに来て、自分のところでもともと飼っていた牛と交配し、改良してきたことにより、但馬牛の血が全国に広まったため、現在では、全国の黒毛和牛の99.9%に但馬牛の血が入っています。
現代の牛の改良の歴史の転換期(人工授精の技術の発達)
そのあとに人工授精という技術が導入されます。これまで但馬は蔓牛の技術によって繁殖はメス牛が主役だったところ、今度は人工授精の技術でオス牛が主役になります。メス牛だと、一生のうちに産むことができるのはせいぜい10頭くらいだが、オス牛だと一年で何千頭もの子牛を産ませることができるからです。
但馬牛の歴史の中で最も功績のあった牛は昭和14年生まれの種雄牛、「田尻」です。当時は生種付けが主流だったけれど、種雄牛として13年間生きているうちに1500頭の子牛が誕生しました。晩年は人工授精があったので、全部生種付けじゃなかったけど、でもすごい繁殖能力でした。見た目が綺麗で、人気のある牛ばかりが産まれます。今いる但馬牛には「田尻」の遺伝子が100%入っています。「田尻」の子供や孫やひ孫が全国に買われていき、肉質改良に使われてきたので、全国の和牛の99.9%にこの「田尻」という但馬牛の遺伝子が入っています。但馬牛のルーツとなる牛です。
全国の和牛における但馬牛の役割
現在の和牛の世界では、よその県同士は交流があります。宮崎でいい和牛ができたら、北海道でも鹿児島でも精液を買い求めます。昔は別々で繁殖をやっていたけれど、今は儲かる牛はみんな目の色を変えて、精液をもらいに行くので、全国の和牛は血統が入り乱れて団子状態になっています。けれど、但馬牛は独自路線で閉鎖しており、血統構成からすると離れた位置になっていますので、全国の和牛の遺伝的な多様性を保つために大事な役割もしています。
血縁(近交係数)が濃くならないようにする工夫(お見合いソフトの開発など)
但馬牛は但馬牛の中で血縁が濃くなると困るので、血が濃くなるのを防ぐ工夫をしています。前述のように、一つは人気牛の凍結精液の本数制限、二つ目はその娘が増えてきたら、お父さん牛を淘汰します。
さらに、全国初のお見合いソフトが開発されています。平成16年に出来た「MSAS(エムザス)」です。兵庫県に約14000頭のお母さん牛がいて、どの牛も概ね15代前まで血統が遡れるようになっており、メインとなるルーツの牛をもとにグループ分けをしています。グループ1~8まで、8つのグループに分けられており、交配するにはどのグループのどのオス牛が最適か、予測能力や血縁の濃さも含めて選べるようになっています。日本全体の黒毛和種も結局国内で閉鎖しているので、いずれは但馬牛と同じ運命になってくると想定され、人気の牛の種ばっかりが流行ると血縁が濃くなっていきます。現在、まだ近交係数は但馬牛の方が高くて、全国の方が低いけれど、和牛自体が但馬牛の状況を追いかけてくることになります。
兵庫県が県下のJAに凍結精液を販売しています。人工授精はJA職員である人工授精師が担当し、厳密に精液の管理をしています。JAは精液を管内だけで使用し、管外や県外へは絶対に出さないという決まりになっています。
兵庫県内の子牛市場
牛は妊娠してから290日で赤ちゃんが生まれます。牛の生時体重は約25キロで、1日あたり800グラムから1キロずつ体重が増えていきます。男の子なら1日1キロ増えます。子牛は9ヶ月間は繁殖農家で育ててから子牛の市場に出します。その間にメス牛は次の発情が来るので次の子牛を妊娠します。
兵庫県には子牛の市場は2つあります。但馬の養父市に1つ、淡路に1つ。市場にやってくるのはほとんどが神戸周辺の三田や有馬の肥育農家です。中には三重県松阪や滋賀県近江の人も混ざっています。1頭ずつ子牛をセリ場の真ん中に連れて行き、ひな壇の人はその子牛が欲しいと思ったら手元のボタンを押します。みんながボタンを押したら値段は上がり、残り2人になったら電光掲示板は黄色になり、最後、赤色になって落札して終わる仕組みです。競りの時間は1頭1分くらい。競りが終わったら、落札した肥育農家さんはトラックに子牛を積んで連れて帰ります。それからその肥育農家で2年間育てます。松阪の人はメスの子牛だけを買って帰ります。松阪牛は全てメス牛なので。何といっても最高級は子牛を産んでないメス牛になります。筋線維が細く、口当たりがよく、脂肪の質も去勢牛よりもメス牛の方が良く、メス牛の未経産が商品価値が高いことになります。 最近の松阪牛
但馬牛は小型の牛で、九州の牛の方が早く大きくなるため、現在松阪牛になる牛は、昔のように但馬牛一色ではありません。但馬牛を松阪牛にした場合は、「特産松阪牛」と呼ぶようになりました。特産がつかないものは兵庫以外で生まれた松阪牛で、値段が全然違います。松阪市では毎年11月に兵庫県生まれの牛だけを50頭ほど集めてコンテストをする。チャンピオンになると何千万円にもなります。11月に開催するのは、但馬の子牛は春生まれが多いからです。昔はメス牛はお腹が空っぽの状態で春先に農耕牛として働くので、冬から春にかけて子牛が生まれるようにしていました。夏に子牛が生まれる予定の牛は田んぼで使えないので。お腹が楽になったメス牛を田んぼで使って、夏は草が豊富に生えてるのでそれをたくさん食べさせ、秋に子牛を競りで売ります。子牛を売った後、農家の人たちは冬に酒蔵へと出稼ぎに行きます。だから但馬牛は季節繁殖でした。それが現在でも名残となっています。
また、秋に集中して売る方が、お客さんが集まりやすく、高く牛が売れます。したがって、秋が品評会のシーズンになり、全国的にも同じような傾向がみられます。
牛肉の競り
子牛は繁殖農家で約9か月間育てられ、体重が250キロくらいで子牛市場に出荷されます。子牛の値段は現在1頭70万円くらい。他の県だと10万円くらい安いようです。コロナ感染が収まるともっと値段は高くなると見込まれています。コロナ騒動が始まる前は子牛が1頭平均約100万円だったそうです。ここ3年間は外国人観光客が減っていたので需要が落ち込んでいましたが、これからは外国人観光客が増えるので、お肉の値段は高くなり、子牛の値段も高くなると予想されています。
子牛市場で肥育農家が買い取った牛はその後約2年間太らせて、去勢牛だと体重が700キロ~800キロくらいになったら食肉市場へ出荷し、お肉にします。食肉市場で逆さにぶら下げた状態のものを枝肉といいます。枝肉は6番目と7番目の肋骨の間でスパッと切り、ロースの中身を見て肉の検査が行われます。
枝肉は現在、130万円から150万円程の値段で売れます。肥育期間中に約40万円のエサ代がかかりますので、80万で買った子牛を120万円で売っても儲けが取れない。大きい買い物の割に儲けは少ないので、神戸の周りの肥育農家さんたちは何百頭も牛を飼って、数で稼ぎます。
儲けの効率でいうと、繁殖農家さんの方がいいようです。子牛は80万円で売れ、母牛と子牛1セットを1年間育てるエサ代は40万円くらいなので、40万円近く残ることになります。ここ10年間ほどは、但馬牛の子牛価格は全国一を誇ってきましたので、今現在、繁殖農家で大きな借金を残している繁殖農家は少ない状況のようです。ただし、新しく牛舎を建てて規模拡大すると、建物代、土地代、牛代、餌代などを借金で回している農家もいます。借金はJAからが多いですが、国からの補助金もあります。
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以上が今回、但馬牛博物館でお伺いした話。
最初に但馬牛の存在に驚いたのは、京都の花脊でだった。93歳のKさんに農耕牛の話を聞いたら、但馬から京都の山奥まで、博労さんという人にわざわざ歩いて連れられて、農耕牛ははるばるやってきていた。それから京都の園部でも農耕牛が但馬からやって来ていたことがわかり、さらに期待が高まった。牛がやってくる但馬はどんなところで、その牛はどんな牛なのか。 そして今回ようやく但馬に行ってみると、そこは兵庫県の山奥で、山間にもかかわらず周りには広い田んぼが沢山あり、近くには温泉も沢山あり(城崎や新温泉町など)、冬は雪が降るらしい。そんな但馬という場所から、はるばる農耕牛は各地へやってきていた。 但馬牛の話は、現代日本の最先端の畜産農業の話だった。それは、但馬の土地で培われ、但馬で暮らす人と牛の生活の中で大切にされてきた、昔からの伝統や知恵や技術の上に成り立つ。
但馬牛は昔も今も産まれた場所から旅立って、遠くの場所で活躍する。
バスは1日に数本しかない。そのうちの1本に帰りのバスを待つ夕方、停留所の前の敷地では、旺盛に伸びた夏草を刈って集めている人がいた。
https://gyazo.com/08e160d0dcc9c1209045a3a861cf6bde
兵庫県が飼っている種雄牛(お父さん牛)のポスター
https://gyazo.com/e364e8c77bcdc29667f2ec1d5984de41
日本農業遺産の認定基準。兵庫県美方地方の但馬牛システムは平成31年2月に認定された。(その後、2023年7月に世界農業遺産に認定)
https://gyazo.com/2237aa68382eaf4f1b5e0c8968457219
兵庫県立但馬牧場公園は博物館だけでなく、牧場もある。このシールをつけて見学をする。
https://gyazo.com/98744727eda65ea3a9897a2dcd4b8374
公共機関でいく時は、JR浜坂駅からこの全但バスに乗っていく
https://gyazo.com/b51c2f190a32d14ed2c45550af24b057
湯村温泉
※但馬牛博物館野田副館長に多大なご協力をいただきました。
野咲タラ