[エッセイ]合鴨と狐と4歳児(京都園部編2)
Kさんの合鴨農法
取材を終えた後、Hさんを紹介頂いた同じ地域に住むKさんからもお話を伺う。Kさんも有機農法をされていて、合鴨農法でお米などを作っている。合鴨農法では、ヒナの頃に苗が小さい田んぼに放たれる。苗の成長と共に大きく育っていく。ヒナが餌を探したりしながら田んぼを縦横無尽に移動することで、雑草が浮いて除草の手間が省けたり、農薬を使わず害虫が減ったり様々に効果があるのだそうだ。
話を聞きながら田んぼでKさんの作業を手伝う。田んぼに合鴨を入れるとそれを目当てに侵入する動物がいるので、田んぼの周囲に獣害対策の電気柵を張る。電線は5周くらい田んぼの周りを高さを変えて囲んでいる。鹿などの大型動物から狐などの小型動物まで、サイズの違う動物が電線接触時の衝撃に驚いて侵入することを防ぐ。合鴨は一旦畑に入れると、小屋などに回収せず、夜もずっとそのまま田んぼに残すからだ。
Kさんはこの10年で合鴨農法や有機栽培の自分の技術が格段に上達したそうで、例えば合鴨にやる飼料は、以前は砕けた米などだけを与えていたけれど育ちがあまり良くなかったので、餌にビタミン剤を混ぜると良い時と聞き実践すると、合鴨が丈夫に育つようになったとか、ちょっとした網を張る作業でも、youtubeなどの農家の方の投稿が役に立つとか、知り合いの有機農家さんからの情報交換で得た知識などを実践したりだとか、農業の方法を細かく変化させている。
Kさんからみた現代農業の現状の話。今の時代は有機農法で栽培した農作物を、生産者自らインターネットで販売できるようになったことで、有機農法できちんと利益が確保された商売ができる環境になった。またそれは、欲しい人が直接買い求めることが出来る仕組みでもある。米や麦を作る助成金や農業機械を買う助成金もあるそうだ。
それらの話は、近代の農耕牛を巡る博労のシステムや農業の工業化のように、現代の農業を巡る社会のシステムを意識するような話だ。
少しだけKさんにも農耕牛の話を聞いてみると、Kさんの実家は地主だったそうで、牛を飼うには飼っていたけれど、人に管理を任せていたそうである。
狐襲撃事件
事件は突然やってくる。見回りを一緒にしていると次の田んぼの様子がおかしい。Kさんは「狐にやられた」と言って慌てだす。その田んぼには前日、合鴨のヒナを90羽ほど放していた。だけど残されたのは28羽だった。狐による合鴨のヒナ惨殺事件だ。悲劇の原因は、さっきの田んぼで張ったような電線を、帰る際に入れるべき電源を入れ忘れたことにあった。
そうはいうものの、生き残った合鴨のヒナはKさんがやった餌を元気にモリモリと食べている。一方で、事件現場になった二枚の田んぼにはたくさんの合鴨のヒナの亡骸が浮かんでいて、Kさんはヒナの亡骸を回収してバケツの中に入れていく。広い田んぼの至る所に亡骸があり、Kさんは田んぼの中に入って目視で見つけ、動かなくなった合鴨のヒナのところまで行き、一羽ずつ拾う。私は畝の上から、Kさんが取りこぼしたヒナが落ちてないか探す。狐は狩りを楽しんでいるため、ヒナの亡き骸には食べられた形跡はほとんどない。また、生きている合鴨のヒナと屍になった合鴨のヒナの数を合わせても89羽にはならず、狐はそのいくつかをどこか別の場所へ持っていって食べたのだろう。
「こういうのは大丈夫ですか?」とKさんから聞かれたけれど、反応がわからないというのが正直なところだった。「これは食べたりするのですか?」と呆れた質問する私に、Kさんは丁寧に説明してくれる。狐にやられたのが昨晩で、それから死体は腐っていくので食べれたものではない。日中は暑い時期だ。始末は山に埋めにいくらしい。花脊の牛が突然死して山で燃やしたことを思い出す。 それと同時に、生き物の死はそのまま食べ物になるのではないのだな、と思う。生きているものを食べるためには、知識と技術が必要なのだ。
それから「狐潰し」というスポーツについて思い出していた。広場に二人ひと組で布を持った人々が集まり、そこに狐を放つ。布は地面に敷かれているのだけれど、狐が布に差し掛かったところで、二人は布をピンと張る。すると狐がポーンと空に飛ばされて落下する。そんなスポーツがあったという記録が、最近、本になって特集されていた。昔の人間は動物を弄んで、悪趣味で残忍だという話なのだろうけれど、合鴨と狐の関係をみていると、狐の方も相当悪趣味で残忍である。人間と狐、狐と合鴨の間で構造がスライドしている。狐が身近ではない多くの、特に都会の現代生活者において、狐潰しというスポーツを正当化する必要は全くないし、そう言った話とは方向性の異なる話となる。
そんなところへ、白い大きな犬を連れて散歩している近所のNさんが通り掛かる。てんやわんやしているKさんが狐襲撃の状況を話す。私も挨拶しがてらどさくさに紛れて、農耕牛についての話を聞いてみる。Nさんはこの辺に台風が来ると農耕牛が逃げて、近所の人や警察で牛を捕まえに行ったりした思い出を話してくれた。
4歳児から見た動物の世界
ひと休みするため、Kさんの家に帰る。家にはKさんちのお子さんや遊びに来ている子供たちがたくさんいた。その内の1人、一番小さい4歳のチビっ子が、家にいる動物を紹介してくれる。
まず家の中には蚕がいた。蚕は白くてまるまるした節を並べた芋虫だ。青々とした桑の葉を食べて寝そべっている。よく食べ、大きくなったものから順番に白い糸を吐き出す。そうなった蚕から、トイレットペーパーの芯を半分に切ったような筒に入れる。蚕はその中でどんどんと白い糸を出していき、カプセル形の繭を作る。筒が並んだ箱を覗く。各蚕の繭作りの進捗具合は個体により様々だ。薄っすらと霞みたいな白い糸の幕のすぐ先に蚕が見えている筒もあれば、もうすでに綺麗な繭になっているものもいる。近所に蚕文化の教育と伝承のための取り組みがあるようだ。
それからちびっ子は外も案内してくれる。田んぼで活躍する合鴨のヒナのまだ田んぼに放す前のもう少し小さいものはまだ小屋で飼育されている。その小屋の中にちびっ子は入り、合鴨のヒナがキャベツが好きだということや、合鴨のヒナを小さな手で鷲掴みにして茶色い色がオスで、黄色い色がメスだと教えてくれる。そうするところへお母さんがやって来て、キャベツの葉を水入れの中に入れると水が汚くなってよくないことをちびっ子に伝えて、汚れた水入れを洗う。そのまま、もう夕方なので餌やりと寝る準備がはじまる。合鴨のヒナは集まって寝る習性があるので、あまりの数が一度にかたまると、弱いヒナが押し潰されて死ぬことがあり、100羽近い小屋の中の小さいヒナを、均等に三等分にする仕切り板を設置する。区間内のヒナの数を調整することで、事故死を極力防ぐ。
その次に連れていってくれたのは鶏小屋で、ちびっ子は10羽以上いる鶏小屋の中に入って、お気に入りの鶏を抱きしめるように捕まえて、よく見せてくれたりする。私にも鶏小屋に入ってくるように勧めてくる。
それから家の前の草むらでカエルを見つけて私が「カエル好き」というとちびっ子も「ボクも」と言って、またカエルを掴み、その後もバッタやらカマキリやらメダカやら亀やらを捕まえたり、説明してくれたりした。都度動物を実際に小さい手で触れながら、大好きという気持ちを全力で身体と言葉で表しながら説明してくれる。たまにちびっ子はお母さんや兄弟たちに、もうちょっと優しい力加減で持つようにとも言われたりする。
この4歳児の、動物が大好きという気持ちが、身体を伴って動物に接触する形で表れる時に、力の加減の点で物理的に動物への負担が生じることに、その日1日園部で見聞きした、農耕牛や合鴨や天敵の狐といった動物やそれに取り巻かれている人間の関係性を考える際のヒントになりそうな気がなんとなくしている。牛を大事にしたり、狐が他の動物の狩りをしたり、合鴨が田んぼで暮らしたりする思考のシンプルさと、そのシンプルな思考に対して、牛や合鴨が農耕を手伝ったり、それらを食べたりすることの、身体性を伴う物理的な負荷へのズレという複雑さが、同時に存在すること。その正体はまだはっきりとはまだわからない。 ちびっ子と外で遊んでいるうちに夕暮れになった。日が沈んだ直後、暗い夜になる前までのわずかな時間はまだ視界が有効で、昼間よりも落ち着いた水田の景色が広がっていた。まだ小さい苗の植わった水田は、言うなればたっぷりの水が張られた広い水面で、見たことがないくらい大きな鏡だった。そこには紫色をした空と集落を囲う山々が地面いっぱいに映っていた。
お母さんが作ってくれた晩御飯のカレーが出来たので家に帰ってくるように、ちびっ子の兄弟が呼びに来た。
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Hさんが氏子の神社の境内に置いてある農耕牛用の鋤。秋のお祭りの時に使う。神社の軒先にいつもある。
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夕方の田んぼで晩御飯を食べる合鴨のヒナたち
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夕暮れ前の園部の田んぼの風景
野咲タラ