自分の意見がないASD
https://youtu.be/nMYoWsH6FcM
kana.icon
自分の場合はこれかもなあと思いました
嫌い、苦手、こだわり、は強いけども、だからといって自我(主体)が強いわけではない
なにに対してもあんまり意見を持たない
結果、周囲にあわせてコロコロ変わる傾向
↑はわりと健常女性にも多いですが
発達の場合、「知識は豊富なのになぜか言うことが薄い」(なぜなら自分の実感や体験と紐づいていないから) ということが起こる
kana.iconはまさにそれかなと思っている
実家で話しているとそれを実感する
弟と母親は「知識は自身の職業にかかわるもの以外ほとんどないが、自分の体感を通して話すことができる」また、なにかに感化されて極端に走ることが少ない。白黒思考、極端な行動の変更がない
kana.iconはよくその二人には「薄いのよ言うことが。本でよんだだけじゃん」ということや、たとえば身体に悪いと思ったら一切その食物の摂取をやめるとかkana.iconにはあるのでそういうときに「でたよ極端 笑」と言われている (普通に家族とは仲いいです)
発達だといくつになっても理想論でモノをかたりがちというのもありそう
kana.iconの場合も、わりと正論を言いがち。
ふつうの大人だと、正論ではうまくいかない、世の中は回っていかない、みたいなことがわかるから、正論でねじふせようとはあまりしない
また、一つ一つの知識がポツンと存在していて相互に関連を持っていない
実生活で、あるいは他の分野を見て応用するのが苦手である
生活の工夫などが極端に苦手
レシピを自分なりにアレンジする、道具をちょっとちがった使い方をする、とかができない
sta.icon
すごくわかります!
自分の場合、転職の文脈で志望動機やキャリアを喋る際に困ってる 「んなもんねえよ」
「快適に働きたい」「楽しいことしたい」「金と福利厚生」それ以外にあるか?
って感じで……w
そしてどれも「マイナス」を回避したいという動機
作文することはできるが、どこか他人事
なので面接という非言語バッリバリの世界では見破られてボロが出るw
書類上は強そうに見える(見せることができる)ので結構通るw
ああぁ、めっちゃある……
最近仕事で新規事業や提案の方向をしているが、理想論でしかないね的な評価で一蹴されてばかり
あるいは人の機微や政治について取り扱うと正論になる
部長は~~の点で無能とか、顧客のこの人はこの点がわかってないとか、コイツが忙しすぎるのがネックになっているとか、新任のこの人~~のスキル不足で厳しいのでは、結局金握ってる幹部が腹くくるかどうかでありくくれない以上は無能であるそういうのを「ことなかれ」と呼ぶのだとか
こちらはコメントさえもらえない
ダンスラでも「良いことを言うキャラ」で攻めていたが、中身薄いと見破られて離れられてしまったり
sta.iconは「応用力がない」と表現してます
仕事でもスポーツでも圧倒的に不利
正解に気づいたり正解を思いついたりすることができない
先に進めば進むほど(広くなる&深くなる)、より難しくなる
知識Aと知識Bの和ABも「一つの知識」とみなす作戦、もできなくはないが、組み合わせ数が膨大すぎて間に合わない
今期の数学で新たに得た知識が30だとすると、30x30=900になる。テストまでに900全部覚えられるかというと厳しい
(健常者?は30を覚えているだけで割と自在に応用できる。チートなんですよね。勝てるわけない)
kana.iconこれ!!!! これです...。もうほんとズルですよね
それでも中間テスト期末テストくらいならまだ頑張ればできるが、模試や受験になると桁が違うので無理になる
どこかで全く伸びなくなる
sta.iconの体感ですが、どの世界でも平均以上に行ったことがない
勉強で言えば偏差値50を超えられない
kana.iconめっちゃわかります
Ankiで覚えた場合、Ankiという文脈上でのみ使える知識が生えるという感じ
覚えたものをほかで、たとえば会話のなかで使おうとすると忘れている?(というか引き出せなかったり)。でもアプリ上で復習すると覚えている...
自分が診断受けたときにいわれたことの一つが「俯瞰する傾向が強い」でした
関係あるかも
自分事で考えるというよりも、神視点で俯瞰して観察している感じがある
https://gyazo.com/b984ee686a6fd9b3e2cbd2ce6381c9f1
カウンセリングとか座談会的なことで治療できるものなんですかねsta.icon
youtubeコメントにこんなの
15年近くも精神科や高いカウンセリング通って訓練しましたが、変わらないです。最近はもう、変われないままの自分を許して、怒鳴らないで付き合ってくれる人たちと心を込めて付き合うことにエネルギーシフトしました。
俺もこっち寄りですかねぇsta.icon*2
理解してくれない因子はどうにもならないので「離れる」
かつ、できれば理解してくれる人たちを見つけて、それを大切にする
kana.iconこれ重要ですね!!
あ、カウンセリングや座談会的な治療はもしかしてここをサポートしている?sta.icon
+1kana.icon
精神科医や、集まってくる人たちがある種「理解してくれる人たち」になる
そのあたりは自分も微妙に思いました(カウンセリングで治るかぁ??という気持ち)kana.icon
まあでもたしかに実際、「苦手だからと誰とも会話をしない」「友達がいても、そこで自分の意見を求められることは一切ない(相手が一方的にしゃべっていて聞き役に徹しているとか)」という場合よりは、「無理矢理にでも自分の意見を求められる」「会話が強制される」という環境に置かれたほうがまだ伸びる...というか、訓練の一環としてはありなのだろうという気がします
自分も言うて共学、バイト、社会人などで結構揉まれてきてたしかに訓練になってきたなという体感はありますsta.icon
このコメントの人、kana.iconもまさにそうなのですが、「できる・できない」「変わる・変わらない」が白黒なので、適切な基準を用意して計測ができずに「かわってねーじゃん」と思いこんでいるかもですね。
応用や、「経験する自己」を身につけるのはやはり難しいかもですが...
当初はたとえば漫画の感想とか「どう思う?」と言われても「別に...(というか自分の感想とか考えたことがいまのいままでなかった!)」としか返せなかったところが、「たのしかった」「嫌な場面が出てきたからあまり好きじゃない」とか、(こなみかん)でも言えるようになるとか。
覚えたことについて、たとえばレシピを覚えたならその話を座談会でして、「このレシピの良いアレンジ方法とかありますか??」と皆に聞いてみる→「レシピのアレンジ」のコツをつかむ、とか。(厳密には自分で応用を思いついているというよりは、あたらしい知識として「レシピのアレンジとはこのようにやるという回答」をインストールしていますが、それでもないよりはマシなので)
もちろん理想とはほど遠くて、kana.iconたちからすると「全然できるようになっていない!!」と思うのですが、それでもそもそもそういうこと自体思いつきすらしなかった頃からすると成長していると言っていいような。
僕は「パターンやレパートリーを増やす」と表現したりしますが、たしかに何もしないよりはまがいなりにも増やしていった方が「成長している感」はありますsta.icon
その蓄積も年単位経つと結構聞いてくる(昔の自分よりは明らかに強くなっている)
やっぱり自分にとってはスクボですね〜。
リンクをやみくもにつけておくだけでも、連想のように繋がっていってくれるので、たとえば「この年代には社会ではこういうことがあったのかー。その時期にこの映画が公開されているな。社会と映画って、やっぱりこういう形連動しているんだなあ」みたいなことを、もし知識としてすでに持っていたとしても自分で再確認できるのは重要な気がしてます。
雑に書いて繋げてても後でたどれるの、良いですよねsta.icon
あとは、読んだものや見たものの感想(というか忘れるともったいないのでログとしてつけているだけですが)を書くときに、できるだけ、「ぜんぜんピンとこなかった」「どこがどう名作なのかわからない」でもいいからまずはカンニング(有識者の感想を調べて、それを元に小難しいことを書く)前に、カンニング前の率直な感想を書くように最近しています
この動画を見つけるまえに似たようなことを考えていた時期のポエムがありましたw
ASDは、嫌なこと以外で「埋めている」を続けられたらそれでいい、のかもしれない