自分で考えること
そういえば、就職のときになにかおすすめな就職先を薦めてもらおうと思って(お父さんが自分のときは学校に募集が貼られていたと言っていたけど、それらしきものが見つからなかったから)就職相談室に行ったときに、まあとくになにも良いことはなかったのだけどひとつだけショックだったのが「こうなりたいという人とか、尊敬している人はいますか?」と聞かれたときになにも思いつかなかったことだった。しばらく黙ったすえに一応「プラダを来た悪魔」のアンドレアだと答えたのだけど、「なぜ?」と聞かれるとまあしどろもどろになってしまった。「目標があってバリバリ働いてる、自分の意志がハッキリした女性っていいですね」というような主旨のことを言ったと思うのだけど。 でもそもそもおかしい。それまでは「あんまり労働自体したくないんですよねえ」とか「プライベートを大事にしたいです」とか言ってたやつがとつぜん「ハードワークで生きがいを見出してる人いいですね」みたいなこと言ったらびっくりだ。たしかに実際自分には「進撃の巨人」を借りるなら「心臓を捧げ」る人に猛烈な憧れが昔からあるのだけど………でもよくよく考えたら自分はそんなことしたくないんだった。
どれだけボーッとしてただ時間をすごしてきたか…(いま思えばの感想。当時はただ、ショックだった)。行動を何もしてなかったわけではない。もともとコレクター気質だったから映画も同い年を考えればたくさん見ていたし、好奇心が強いというのか、たのしそうなことに目がないから積極的にライブに行ったりボードゲームをしたり本(と言っても小説ばかりだけど)を読んだり音楽を聞いたり、たまには自分で弾いたり、家族と旅行をかなりしていたり、した。なら普通はなんかあるだろ。
たぶん、自分で考えることだとか、その経験を位置づけることをしなかったのかなと思う。結局のところ映画を見たのはスタンプラリーのようなものだったわけだし、(ツタヤにある、見るべき映画1000みたいなやつにチェックが増えていくのが楽しかった。もちろんガイドブックは参考にはなるけど、チェックを増やすことが目的になっちゃあ本末転倒だ)、ほかのことにしたってその時の「あー楽しかった」でさっさと流れてしまって反省も反芻もないのだ。というか楽しいと思ったのかすらあやしい。今考えると、それすらなかった気がする。別にそれ自体は構わないんだ。なにかに感動したり、強い印象をもつためにはたくさんの準備が必要だ。ただ、それならメモでもしておけばいいのに! 別に準備が整っていなかったなら「わからなかった」 でもいいんだと思うし。(人、頭のなかだけでなにか考えたり意識したり感じるのって難しいから、そういうときに書きながらならなにか思ったり、あるいはなにも思わなくてもあとからなにかがわかったりする)。実際、いまだに人々が言うような「運命の一冊/一本」 だとか、「自分にとって大切な~~」 とか、「名刺がわりの~~」 とかないけど、そういうものってやっぱりいろんなことをちゃんと自分で考えたり、(自覚的に) 経験したりしないと手に入れるのは難しいんじゃないかな。
そしてあまり自分のことも考えなかった。10代とかって自分の存在とかそういうことで悩む人が多いと思うのだけど、自分の悩みはそこまで崇高じゃなくて普通に「顔が悪くてはずかしい」 とか、「朝起きるのがつらい」 とか「生理にうまく対応できない」 とかに真剣に悩んでいたし... (朝起きるのはいまでも悩んでいるけどね)。別に「自分ってなんだろう」 とかそんな思わなくて、いまでも思わない。でも、自分がなにが好きか、逆になにがいやか、どうしたいか、なんかはちゃんと自覚して、そして表明できるようになっておけばよかったんじゃないかな。そうじゃないと、社会だとか他人だとかにいいように振り回されちゃうから。
まあ、人には人の発達段階があるし、発達しきってないってことは (別にしててもそう思うとは思うけど) まだまだこれから楽しそうだなって思えるから、それほど後悔もしてない。まあでも、やっぱりちゃんと頭はつかったほうがいい!
余談 : これまではあまり気づかなくて、「私のほうが頭がいいのに (勉強、知能の意味で)、なぜこの人たちはOKで私は受からないんだろう」 と思っていたのだけど、たとえ程度はピンキリでもやっぱりその人なりに上のようなことをやってきた人は就職はうまくいっているなという感じがある。そして、知識があることよりも自分で考える試みができることのほうが人生をよくする。(もちろん体力とか覇気とかもあると思うケド...)