他人の考えと自分の考えの違いが曖昧
CB_1.29-2.11
@CBydbbmpg
「発達は自他の境界線が曖昧」って話に近いんだけど、発せられた相手の言葉が“自分フィルター”を通して自分に届くのではなく“自分の内側”から湧き出る感じで真偽の検証的な段階をすっ飛ばして「え、そうなんだ」とまず受け取めてしまうから“呪いの言葉”を吐くような人からは距離をとるようにしている
これめっちゃあるなと思いました。staさんはどうですか?kana.icon
ありますsta.icon
ともすると何でも信じてしまう
バズり目的のツイートとかも普通に信じちゃうし、GPTも信じちゃう
わかりますkana.icon*2
鵜呑みにしちゃう
なんというか、既存の知識と照らしあわせて違和感を感じる...とかがあまりない気がしますkana.icon
ああこれは僕も思いましたsta.icon*2
いわゆる「自分を持っている」の「自分」とは、既存のあれこれを組み合わせてすぐ引き出せる物々のことを指すだと思っていますが、これは言い方を変えれば、組み合わせや引き出しができないと「自分」もないことになる
たしかに!kana.icon
「“自分フィルター”」の濾過ですね
それができないと、わかりやすい分類に頼るくらいしかできない
必死で抗うようにしている
ミニマリズムなどで仙人的に生きてるのもそのため。触れる量を根本から減らしている 逆に曝露療法というか、触れまくるというのはどうですか?kana.icon
まあその結果、常に俯瞰する・一歩引くマンとなって「人間味がない」「自分の軸がない(表面的なことしか言わない)」みたいなことになるのですが……
人と深い仲になることができない
(これはただの例ですが)ずっと左翼の話を聞いてると、左翼の言ってることが正しく思えるし、右翼の話聞いてると右翼が正しく思えるkana.icon
もしかしたら白黒思考も関係あるのかもしれないですよね 「正しい」「間違ってる」しかないから、「間違っている」ではない→「正しい」と捉えられてしまう、みたいな
本来だったら、一部は正当性があるけど一部は怪しい、とかもあるはずだし、右翼/左翼の場合は立場によっても正当性が違いそう
都会に住んでる独り身の、そこそこ安定した収入を持ってる人にとっては「正しい」けど、そうじゃない人にとっては実態と乖離している、とか