ASDとは何なのかについての暫定結論
導入
ローナ・ウィングの自閉性障害の記述から82年もたつ。それなのに未だにこの症状に関する神経科学的欠陥(≒脳の器質的異常)は見つかっていない。しかし現在では多くの研究者から、自閉性障害は神経の発達児の異常であると信じられている。
本稿では自閉性障害を巡る最近の展開、それから私のこの障害に関する洞察を取り上げてみたい。
本稿で示すのはASDの見方に対するいわばコペルニクス的転回である。
これまで研究者はずっとASDの側に原因があると思って研究を重ねて来た。それをいわばASDを生物学的な自然な状態、定型発達を特殊な状態と考えた。
本稿によってASDの見方を変える一助になれば幸いである。
かいた記事
MyFavoriteThings定型発達児の研究
MyFavoriteThingsあなたの知らない発達障害の世界
ほかに #発達障害 タグなど
ASDの歴史
自閉症に記載
要点を記載
1943年 レオ・カナーによる論文発表「早期幼児自閉症」
→ここから人類の自閉症との戦いが始まった
1944年 ハンス・アスペルガーによる「児童期の自閉的精神病質」
1970年代後半 ローナ・ウィングによる大規模調査
自閉的傾向のある子どもたちの発見
「孤立型」以外に、「受動型」「積極ー奇異型」の発見
→ローナ・ウィングによって高機能自閉症(自閉症の中でもIQが高い人たち)が発見される。また、アスペルガーの論文を元々ドイツ語で発表されていたものを英語圏に広め、のちにアスペルガー症候群となる。
2013年5月 DSM-5出版
→それまで別々の疾患概念だった特定不能の広範性発達障害、アスペルガー症候群、自閉症が同じASDという括りになる。
私の考え方
一言にASDといっても多様な疾患概念の集合体である。
ASDの人はASDの人同士で高い共感性を示すって研究データもあり、それゆえコミュニティなどでASDを障害ではなく多様性の範疇(≒ASDを個性とすること)という考え方をする人もいるのだけど、前述の理由、また、多様な疾患概念の集合体であるという事実から、私はその見方に部分的には賛成でも全面的に賛同はしない。
私の考え方(idea)として、ASDじゃなくて定型発達児の方こそ、進化的に外れ値の存在である、という主張を行う。
準備として定型発達児とは何者か(定型発達児 is )を行う。
定型発達児は空気を読むのが非常にうまいことが知られている。人の気持ちを瞬時にわかるらしい。
定型発達児は皮肉を皮肉と理解する。一方でASDの人たちは言葉を字面通りに解釈する傾向がある。
他にも色々あるけどここら辺にしておこう。
定型発達児は東京タワーやスカイツリーみたいなもの(≒建物としては外れ値)という主張を行う。
どういうことか?
東京タワーもスカイツリーも足となる鉄骨が全て揃うから立っていられるのである。どれか一本でも欠けたら立つことが難しい。
人間の「正常な脳」においても同じことが起きてると考える。
すなわち定型発達児を構成するものを
共感力
共感しようとする意志
人の嬉しいが自分の喜びになる(≒社会的モチベーション仮説)
...
と考える。すなわちそれぞれを東京タワーを支える一つの「足」と考えるのである。
東京タワーのアナロジーを使うならどれか一本の足が欠けてても立つのが難しい。
すなわちこのアナロジーでは足のうちどれか一本、あるいは複数のものが欠けてて立つのが難しい東京タワーと考える。
このアナロジーではバランスを取るのが極めて難しい「東京タワー」が、東京の建築のメインストリームになっている、という話になる。
ASDを生きるということはこういうことだ
周りが東京タワーみたいな建物ばかりの中で、コンビニ、商業ビル、橋、あるいは一軒家の家みたいな建物であることを過ごすみたいなものだ。
東京タワーが建物のいわば外れ値みたいなものであるのと同じように、定型発達児だって進化的に見れば外れ値だ。しかし、圧倒的に多数の東京タワーの前ではコンビニ、商業ビル、橋、あるいは一軒家の家は障害と見なされる。本人は別に自分が障害だとは思ってないし、もっと言えば自分が普通だと思っている。
上記の「自分が普通だと思っている」には注釈が必要で、中には自分が変というか、変わってるということを自覚しているASDの人たちもいる。そういう人は自分が定型発達児に見えるように「擬態」や「カモフラージュ」をしている。よく聞く擬態やカモフラージュとはこういうことだ。
進化論について
1859年にダーウィンが進化論を発表した。この進化論を広めたハクスリーが進化について「進化(evolution)」という用語を使ったため誤解された進化論が人々の間に広まった。キリンは何も自ら首を長くしようと欲して首を長く進化させたわけではない。首の短いキリン、首の長いキリン、色々なキリンが産まれた中で首の長いキリンが長い淘汰圧の中で生き残ってきたにすぎない。
定型発達児についても同じことが言える。
生き物の首を長くするのが、首の長い生物がキリンしかいないことからも分かるように、簡単にはいかないのだ(ちょっとした雑学としてキリンの迷走神経は心臓の下まで伸びているというのがある。その働く場所は顏の周辺であるにも関わらずだ!)。
一方で定型発達児の高い共感性も生物学的に見れば難しいものと思われる。なのでASDの共感力の欠如はなんらかの脳の発達時の異常が原因で共感という本能の働きみたいな、定型発達児が当たり前に持ってる機能が働かなくなったものと考えられる。
キリンのアナロジーを使うならば、ASDは首の短い、でも足の長いキリンがたまたま産まれてきたといった現象と考えられる。このキリンは水を飲むのに大層苦労するはずだ。なので、淘汰圧が働き、そのキリンは自然界で生きていくことができない。
ASDは進化論的に見れば外れ値だ。
だが見て来たように私には定型発達児の方が生物学的に外れ値に思われる。
その外れ値がなぜマジョリティになったのか。それは進化的に容易に説明ができる。
夫婦で子育てをする人間は、共感力が高い方が子孫を残すのに有利だったのだ。そのため、ほぼすべてのキリンの首が長いように、共感力が高い人たちが人間社会のマジョリティになった。
介入について
どういうわけか発達障害について取り上げる場合、介入は外せないトピックみたいだ。
覚えておいて欲しいのが、ASDの人たちがあなたの機嫌を損ねるようなことをしたとしても、ASDの人たちは悪気がないことがほとんどだ、ということだ(ちなみに私はこの「悪気がない」の意味を知るのに自分の年齢くらいの期間を要した)。
参考文献
私は発達障害について多くのことを本、特に新書から学んだ。中でも有益だったものを以下に紹介する。
発達障害サポーター'sスクール 人気講座シリーズVol1 ニューロダイバーシティ視点で考える自閉スペクトラムの科学と理解 発達障害サポーター'sスクール 人気講座シリーズ (一般社団法人 子ども・青少年育成支援協会) | 発達障害サポーター'sスクール, 村中 直人 | 精神医学 | Kindleストア | Amazon
この本の中に社会的モチベーション仮説が紹介されていた。
アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える (こころライブラリー) | 米田 衆介 |本 | 通販 | Amazon
本scrapboxでも取り上げた。
アスペルガーはなぜ生きづらいのか
また、この本が私を発達障害の世界に誘い込む決定的な一打になった。
定型発達児の世界の多くのことをこの本から学んだ。
終わりに
省略