逆マザー・テレサ戦略、あるいは現状を変えるために言葉を選ぶということ
マザー・テレサが言ったっぽい、とされる下記のフレーズがある。出典がうまく見つけられないので「出典はこれだよ」「それ別の人が言ったやつだよ」等あれば教えてください。 ぼくは逆の向きもあると思っていて、ふだん使っている言葉が思考を形成するってパターンを意識しておくのはとても大事だと考えている。自然言語を扱う生物は、言葉を使って思考するからね。 数日前に聴いたポッドキャストで配偶者等の「呼び方」について話されていた。ぼくは「配偶者の呼び方」というページを用意して自分の考えの変化も含めて整理を試みているくらいなので、関心のあるテーマだ。 https://open.spotify.com/episode/1jaEGUSdHAelKjE5abkOpw
ほんで、自分ひとりで完結するここの Scrapbox のような場なら自由にやればいいけれど、他者との会話の中でどうするかってのは悩ましくて、考えておくとよい観点がいくつかある。上述のポッドキャストにおいても多くが話されていた。うんうん、と思いながら聴いた。
『あの人の毎日』に出演させてもらったときには、話し相手の配偶者さんを「夫さん」と呼んでいた。 https://open.spotify.com/episode/0KFxv86DXnFiCdZ2WTPSIP
この「配偶者の呼び方」というトピックはここ数年でしばしば話題に挙がっていて、ぼくのようにあれこれ考えて言動に反映させたい人もいれば、そうじゃない人たちがいることもわかっている。「いちいちこんなことを考えるのは面倒」「言葉狩りじゃん」といった冷ややかな反応があることは認知している。 現状の社会でなにも困っていない人からしたら、新たなコストを支払いたくないと考えるのは自然なことだと思う。違和感や不和を感じずに過ごせているということだと思うので、引き続き幸せに暮らしてもらえたらうれしいと思う。
別の話だけど関連トピックとして、ここの Scrapbox において「彼女ら彼ら」という表現をたまに使っている。いちばん自然なのは「彼ら彼女ら」という表現だと理解した上で、固定化された順番を揺さぶる意味で語順を入れ替えて使っている。
「妻さん」「夫さん」も 2023 年の日本社会において「もっとも違和感のない言葉選び」ではないと捉えている。だけれども、ぼくはそれを採用している。こうして文章を書くとき、なるべく読みやすい文章として仕上げたいから、ぼくの能力の範囲において可能な限りスムーズに読めるような構成、流れ、そして言葉を選択する。その中において、あえてスムーズさを犠牲にするような、違和感を覚えさせるような言葉を選ぶのか。それは、現状を変えたいという意思の表明である。
現状を維持したいのであれば、現状もっとも違和感のない言葉を選ぶのがよいと思う。
現状を変化させたいのであれば、少し先の未来において違和感なく使えていてほしい言葉を選ぶのがよいと思う。
現状でマイノリティの側に押し付けられている違和感があるなら、誰もが違和感を押し付けられずに済むように社会を変えていきたい。自分が「たしかに、そうだな」と思えた領域から順番に、変えるための言動を選んでいきたい。そのためのコストは、払う価値があるものだと思っている。 https://open.spotify.com/episode/7qpGVvSZ2W9yieC6IosHqA
COTEN RADIO の COTEN CREW について「現状、人文学に投資するってのは一般的ではない」という話があって、だからこそ、そういった行動をもっと増やすために「参加してくれ」という呼びかけがあった。「みんながやっているから」ではなく「やっている人が少ないから」という呼びかけだ。これも現状を変えようとする動きだろう。勇気をもらえるような語りだった。 各位が想像するベターな未来に向かって、各位が一歩ずつを踏み出していけたらいいなと思う。
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