書籍『13歳からのアート思考』を読んだ
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いま、あなたは「絵を見ていた時間」と、その下の「解説文を読んでいた時間」、どちらのほうが長かったですか?
「どこからそう思う?(意見に対して事実を聞く)」「そこからどう思う?(事実に対して意見を聞く)」の質問も組み合わせることで、気づきをさらに深めていきます。
「授業を受けたら、アートというものがわからなくなってしまった。ただ、もっと考えてみたいと思いはじめた」(高1)
2019年末、僕は兵庫教育大学附属小学校で、生徒たち一人ひとりにビジョンを描いてもらう「未来デザイン」という授業を担当させていただいたが、正直なところ、ここ数年で最も大きな未来への希望を感じることができた。授業では「小さいころ、何が好きだったか」「3年間、100億円を自由に使えたら何がしたいか」などをペアごとにインタビューしてもらい、そこから「自分のつくりたい世界」をレゴや絵で表現してもらった。これに参加した6年生の生徒の感想を紹介しよう。
小学校低学年くらいまでは、自由に感じ、自由に表現ができていた子どもたちも、高学年に差し掛かると、自我が高まり社会性を帯びることで、自分と向き合う機会が減っていく。さらに、塾に行ったり、中学受験をしたりすれば、子どもたちは一気に「創造モード」を捨て去ることになりかねない。
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美術だけじゃなく、体育や音楽についても似たような問題意識がある。幼少期は、ただ楽しくてクレヨンを振ったり紙を切ったり貼ったり、走ったり登ったり、歌ったり踊ったりしていたはずなのに。それを「見て〜」と周囲に伝えたりしていたはずなのに。いつからか少しずつ「楽しくて」「楽しいから」という動機は軽視されるようになっていく、ような。 ◯◯は上手な人がやるもの、自分は下手だからやらない
自分が◯◯をやっても仕事になるわけでもないし、将来の役に立つわけでもないし
自分は◯◯のことを好きだけど、もっと詳しい人はいっぱいいるし
ぼくもきっと、こういう思考に飲まれていたと思う。年齢が 30 代後半になってようやく、周囲に、純粋な楽しみのために楽器やバンドをやる人、運動をする人、作品をつくる人、なんかが次々に現れて、そうだよな、これでいいんだよな、と思い出せたような感覚。「いい年して」みたいな呪いの言葉に抗っていきたい。ぼくの Joy of Life をいちばん増やせるのはぼくだもんな。おのれのうちなる声に耳を傾けていくぜ。 関連するかも