積極的には使わない言葉
自分のメンタルモデルとマッチしないので好んで使うことはないような言葉たちのメモ。「自分はそう」というだけで、他者がこれらの言葉を使っていたからといってどうこうしたい気持ちはない。 社会の成り立ちを考えると「社会に包含されない人」はいないと思うので、まるで「社会とつながっている人とそうじゃない人」という区分があるかのような表現に感じられるのでなるべく使いたくない ビジネスマン
josh のツイートを見て「English Native がそう思うのか〜」となったのがきっかけ 他の「◯◯マン」もだいたい「◯◯パーソン」でいける
デビルマン → デビルパーソン (?)
ビジネスの現場が男社会の空気を強く残しているので、カウンターとしてもマンを避けたい とはいえビジネスだけが社会ではないのだから、やっぱり社会人は変だと思う もろもろのニュアンス込みで「サラリーマンです」がぴったりのシーンはありそうだけれど、自分の人生の文脈においてはサラリーマンって言葉をわざわざ持ち出すことはない気がする 上述の記事を読めば読むほど「自分はサラリーマンではなさそう」という感覚が強くなる 数年ぶりにこの文字列を見かけてびっくりした
この言葉がマッチするシチュエーションはぼくの生活の中にはなさそう
家族といっしょに楽しく過ごす時間はあっても「家族に対してサービスしている」という感覚はない 「両親に温泉旅館の宿泊券をプレゼントする」は、親孝行であり家族サービスかもしれないな、とは思った ふだんいっしょに暮らしている家族を対象として「サービスを行う」って感覚がないっぽい 戦争でたいへんなことになった国の言葉として、子どもの置かれている環境に比喩だとしても戦争なんてラベルをつけたくない気持ち 日本の社会に対して「もっと休みを減らした方がいいか、増やした方がいいか」でいうと「増やした方がいい」と考えているので、そっちの未来に投票するためには「ズル休み」なんて言葉は使わない方がいい なんか休みたいな〜と思ったら休む、って行動は増やした方がいいと思っている
過労死という概念を生み出してしまった社会の一員として考えていること 天気がよい・わるい
日本における平均的な言説では「天気がよい = 晴れ」だと思う
晴れなら晴れ、雨なら雨、となるべくファクトに合わせた言い方をする
上記と同様に「親子関係を指し示すときだけに子と呼ぶ」もありそう 「友人のお子さんと遊んできた」は言う
「インターンの子たち」は言わない、ふつうに「インターンのみなさん」「インターン参加者」でよい
誰かを傷つけたりバカにしたりする、悪口のための言葉 そもそも使う機会がないかも
使っていると、使っている人の格が下がっていく作用があると感じている