サラリーマン
抽象的な言い方になりますが、例えば中国や韓国から来ている人たちは一個人に見える一方で、日本から来ている駐在員は会社を背負っている感じがします。わたしはそんなサラリーマンを見て「あの人は銀行だな」「商社だな」「保険だ」「政府関係者だ」などと見分けていたわけです。我ながらかわいくない子どもですが(笑)。そうしたサラリーマンのあり方は、どんな社会を背景にしているのだろうと興味をもっていったんですね。
この記事を読めば読むほど「(会社員時代も含めて)自分は、ここでいうサラリーマンではなさそう」という感覚を強く持ったな。「給料もらい人間」ではあるのに。サラリーマンという概念、不思議だ。 サラリーマンは、その生活基盤を特定企業に依存していることが多く、これを揶揄して社畜(しゃちく・「会社の家畜」という意味)や会社の犬と呼ばれる(自嘲する)ケースも見られる。このほか、没個性的な組織の歯車・会社への忠誠および依存(宮仕え)・年功序列・企業戦士・接待ゴルフ・過度の残業・ワーカホリック・過労死といったイメージとしばしば結びつけられる。時代背景によってもイメージは変わり、高度経済成長期のモーレツ社員や、バブル経済期(バブル景気)当時の栄養ドリンク片手に午前様も厭わず世界を股に掛けて走るビジネスマン、バブル経済崩壊後のリストラに怯えるサラリーマンなど様々なイメージが作られている。
自分を社畜だと思ったことはないなあ。業務に対するやる気があったとしても忠誠心はないし、やっぱり、なんとなくイメージされるサラリーマンの像とぼくが認知する自分像との間にはけっこうな距離がある。 今後も自分のことを「サラリーマンです」と表現する機会はなさそうに思う。