自分の直接の先生にあたる人だけを先生と呼ぶ
自分が通っていた学校の先生とか、研究室で指導教官を担当してくれた人とか、そういう人々のことは「先生」と呼ぶことが多い。卒業からだいぶ時が経った今でも、母校の先生のことはずっと先生と呼びたくなる。 日本の社会において、特定の職業に就いている人間のことを先生と呼ぶ慣習があると感じている。教職以外にも、医者、作家、漫画家、弁護士なんかはよく先生と呼ばれているのを見かける。 これは仮説だけれども、人間は先生と呼ばれ続けると「自分は、えらいんだ」「自分は、立派な人間なのだ」と勘違いする度合いが強まっていくのではないか。もちろん全員がそうなるとは思わないものの、先生という言葉にはそういった魔力というか、勘違いを増長させる甘美な響きがあるように感じている。 なので自分は、自分から見て直接の先生にあたる人だけを先生と呼ぶことにした。以前は「荒木飛呂彦先生」といった言及をしていたのだけれど、今は単に「荒木飛呂彦さん」と書いたり言ったりするので十分と考えている。 勘違いするのも、勘違いさせるのも、よいことではないもんね。