『ピンクの猫』
「ジャグラー」が、その本質的な性質としては言葉を持たない生き物であるとしても、 僕たちは、ジャグラーであるのと同時に/同様に、言葉を持つ生き物でもありたい。 長い時間をかけて、海を泳ぐか、森を歩きまわるかして、孤独だが透き通っている精神をもって、透明人間が住む世界の言葉を探すこと
概念、言葉によって〈あなた/私〉の世界の見え方を変え、あるいは価値を再-発見させること。ジャグリングをsophisticateすることが『ピンクの猫』の使命、存在意義、定義である。言葉、概念を更新し、より洗練させ、すっきりと明晰に、あなたが体験する世界を感じられ、鑑賞する作品を考えられるように。sophisticateされた知/認識枠組み(言葉・概念)を手に入れたあなたにとって、ジャグリングの世界の体験はより豊かになり、ジャグリングの作品の鑑賞はより豊かになる。 私は(ジャグラーは皆、と言ってもいい)ジャグリングがもっている価値を、言葉にならないような「それ」の魅力を、感覚的に知っている。「それ」は、「良さ」とか、少し違うが「エモ」とかいう語で呼ばれている。 私の中に「それ」を追い求める者は二人いる。
一人は「ジャグラーとしての私」(ジャグリングを“する”私、ジャグリングルーチンを“作る”私)である。 ジャグラーとしての私はジャグリングをすることで、作品(ルーチン)を作ることで、「それ」に辿り着きたいとおもっている。「ジャグラー」全員が、《ジャグリングにおける「良さ」と呼ばれる「それ」へたどり着くために、ジャグリング/運動からアプローチしていく活動をする集団》と言って良いかは分からないが、少なくとも、ジャグリング作品(ルーチン)の創作者はそうだと言える。
「それ」を追い求めるもう一人の私が、「論者としての私」だ。これが『ピンクの猫』に所属する私である。
この私は、ジャグリングにおける「良さ」と呼ばれる「それ」へたどり着くために、言葉からアプローチしていく活動をする。この私は、その活動においてジャグリングを“する”ことを必ずしも必要としない。活動の結果として残る成果物は「言葉」であり、運動や、作品(ルーチン)といった「ジャグリングそのもの」ではない。
この、「ジャグラーとしての私」と、『ピンクの猫』にいる「論者としての私」は、「アーティスト」と「批評家/美学者」の二者に類比して捉えることも可能だろう。「アーティスト」(ジャグラー)は自らが価値あると考えるものに向かって作品の制作や表現活動といった創作活動を行う。「批評家/美学者」(論者)はそのアーティストによる作品や表現の価値を見出し(再発見し)、言葉によって再び現前させる。言葉という、他者に伝達可能な、より理解しやすい媒体に変換されることで、そのアーティストにとっての「良さ」は全体に共有される価値としての地位を得る。そのようにして、批評家/美学者はアーティストの、作品の評価に影響をあたえる。 また、批評家/美学者は、「良さ」と呼ばれる「それ」を追求するにあたって、分析のために新しい概念や枠組みを作ることがある。それら概念や枠組みはアーティストが作品作りをする際にも役立つ道具となる。そのようにして、批評家/美学者はアーティストの作品作りにも影響を与える。
アーティストは作品を生み出すことで、価値を「かたちあるもの」として世界に生み出すという意味で価値の創造を行っている。
それに対して、批評家/美学者はアーティストの生んだ「かたちあるもの」に言葉という光を当てることで、「かたちあるもの」の価値をよく見えるようにする。また、批評家/美学者の言葉という光は、アーティストが「かたちあるもの」のかたちを作る最中にも価値を照らし出す。アーティストはそこに見えたものを踏まえて創作することで、更に新たな価値を生み出すかもしれない。そういう意味で、批評家/美学者は価値の創造はしないまでも、価値に影響を与える。
とにかく、『ピンクの猫』がやるべきはジャグリングの価値についての言葉の探求だ。それは、現在ジャグリングの価値がどのように言語化されているのか、今までにされてきたのか、ということの発掘・発見、収集、それらの整理、分類、分析だけではなく、新しく「語」を作る、名付ける、言語化されてなかった価値軸を言葉で打ち立てる、といったことも含む。
また、価値論の話でなく個々人の視点からみれば、論者、批評家、美学者なんて肩書きラベルとは無関係に、何者でもない〈私〉として、「私が関わっているもの、取り組んでいることがどのようなものか(どのように価値あるものか)」というのを言葉の世界で明らかにしたいという欲求は自然なもののように思う。
それは突き詰めれば、〈私〉について語る言葉を獲得することでもあるのだ。
『ピンクの猫』は、いつでも同志を募っている。
加入手続なし、入会金・年会費なし、所属メンバーの名簿もなし、思い思いに各自が名乗ったり名乗らなかったりして、それぞれに活動するだけだ。『ピンクの猫』にはあなたが思い立った瞬間に入ることができる。