2025/6/16
読書記録
ブックカタリストBC116のアフタートークを聞いていたときにも思いましたが、本職とはいえこれだけの情報ツールをきちんと使い分けて並行利用できているのは本当に凄いなと思いました。
自分だったら最初の数ページだけで止めてしまうノートが量産されそうです。
ブログの記事のタイトルの書き方とカード法におけるタイトルの書き方の違い、という表現はとてもわかりやすいです。
また梅棹忠夫の標題と一行サマリーも違いが明確にわかる表現です。
一般的にこうした情報の扱いではテーゼ的に書くことが推奨されるが、要約した結果ニュアンスがズレていることには注意が必要。梅棹は「標題でもいい」と書いているが、要約したタイトルはそれを禁じているように読めてしまう。
(中略)
問題は、要約したときに自分の解釈に寄せていることに気がつかないことがある、ということ。これは学術論文などを読んでいても、恣意的に引用文を解釈していることを見かけることもあるので、人間の知的な情報処理一般に起こりやすいことだと肝に銘じたほうがよいのだろう。
まさにタイトルをつけるときに悩ましいポイントを指摘されています。
デイリーノートの全体の流れの一部として記述された内容が、タイトルをつけて切り出すとべつの印象をもってみえることがあります。
タイトルを付けることによって論点が明瞭になる良さもありますが、一方で引用文のとおりタイトル文に引っ張られてカードの内容のニュアンスが変わったり、バイアスがかかって解釈されることもあります。
ここまで検討したところで、急遽、娘の夜泣きが発生しました。ようやく再び寝かせた時には日付も変わって、僕自身も疲れてそのまま就寝しました。なのでこの続きは翌日改めて考えましょう。