2025/5/7
#生活ロギング 2025/5 2025/5/8 - 2025/5/6
読書記録
『中動態の世界―意志と責任の考古学―(新潮文庫)』
『街とその不確かな壁(上)(新潮文庫)』
『基本文法から学ぶ 英語リーディング教本』
/rashitamemo/2025/5/7
PKMという用語について、概念の把握があいまいで輪郭がぼやけていることを自覚しました。この自覚はけっこう驚きでした。
僕がいまのところ目指したいのは、「自分が考えたこと、興味をもったことを記録して、それについてさらに考えを広め深めたい」ことです。
「自分が考えたこと、興味をもったことを記録して、それについてさらに考えを広め深めたい」ことの主眼は、行為(action)です。公開Cosenseは、この行為を行うための手段です。
これが倉下さんのいう(T)であり、ここを指し示す用語(動詞)を検討してみる価値があるとの指摘でした。
しばらく考えましたが、なかなか適切な用語が見当たりません。
強いて言えば、「思索」や「省察」が近いニュアンスです。ただ後日の宿題にしてもう少し考えます。
比喩的にいえば「日記を残す」事かもしれません。日記には自分の経験と思考と感情が詰め込まれています。それを残して、読み返したり、体系的に整理したりしたいと思います。
あるいは「ノーティング」や「ノーティスト」も当てはまりそうです。
(メモ)一方で、PKMやほかにもセルフスタディーズは学習の対象に主眼があります。対象こそ(K=Knowledge)であり、またはセルフスタディーズの自分自身です。
昨日の僕の記載にはこの動詞(T)と対象(K)を用語として混同したので違和感がありました。
……、でもPKMは対象(K)を主眼としてくくっていいのでしょうか。
それらを「用いて」、求める成果を産み出す行為。
と、M=マネジメントを規定するならば、PKMを単に対象主眼としてしまうのも、PKMの本質をやはり掴みきれてない気がします。KMについてもまた改めて、自分の消化のために整理したほうが良さそうです。
ただここで大事なのは、このマネジメント(M)の行為と「自分が考えたこと、興味をもったことを記録して、それについてさらに考えを広め深めたい」も、行為の内容としてはやはり同一ではないことです。
なんでも書いていいからこそ、何を書くか
僕は「自分が考えたこと、興味をもったことを記録して、それについてさらに考えを広め深めたい」ことをこの公開Cosenseの目的として仮固定しました。
その自分が考えたこと、興味をもったことに関して、どのようなことを記録したらいいでしょうか。
結論から言えば、何を記録してもいいです。基本的に僕が僕のために書いているだけなので。
したがってセルフスタディーズとして自分自身のことを書いてもいいし、まったく関係のない例えばメジャーリーグについて気になって調べたことを書いても構いません。
でも例えば、プロパガンダ的な政治批判やゴシップニュースを書くのは何ともちがう気がします。
おそらくこれは、僕が「僕のために」書く時に意識しているのは、いまの自分だけではありません。
もちろんいまの自分の思考や理解、気持ちを整理するために書いてみる、書き出すこともあります。
ただそれに加えて、将来の自分がこの記録を読み返したときに、その時の自分がおもしろがったり、懐かしんだり、考える材料になったりすることで、将来の自分がうれしがってくれたらいいな、という気持ちもあります。
したがってこの公開Cosenseには、いまの自分と外部ユーザー、将来に読み返す自分の3者が読者として想定されます。
この点、極めて主観的ですが、その方々に対して、いまの自分のことでもメジャーリーグのことでも書いてあれば、当時の自分に関するの材料としての興味僕はそそると思います。
一方で政治批判やゴシップは後で読み返したときに何とも嬉しくないだろうなという気持ちが想定されます。
まとめるとこのCosenseは、今の自分、外部ユーザー、将来に読み返す自分の3人が読み返したときに、興味をそそったり、おもしろがったり、懐かしんだり、考える材料になったりすることで、何かうれしくなるような素材を書いてみます。
この結論も、またいまの自分の仮固定の結論なので、あとで読み返したらちがう話の素材になるかもしれません。
余談ですが、自分ではなく相手に向けて書けるような気がするので、僕はていねい語で書いていくのが好きなのかもしれません。ていねい語だと、読み返したときにちゃんと自分へ向けて書いてあるような気がします。