2025/4/18
積読ができない民なので、1冊読み終えるごとに書店へ狩りに行きます
金曜日の夜に、明日の早起きを気にしないでぶらぶら書店をめぐる時間に幸せを感じる。
思えばむかしから、金曜日の夜によく書店へ行っていた気がする。
現象学については前から気になっていました。また公開Cosenseで身の回りの日常について書いていくなかで、自然と現象学についての興味も増しています。
とはいえ現象学について何もしらないです。用語がなんとなく難しそうなイメージ。どのように入門できるのか楽しみ
ちなみにフッサールさん、著作以外の草稿が4万枚も残っているらしいです。自分の思想の過程をとにかく丹念に書きまくって現象学を築いたとのこと。
ジン.icon公開Cosenseレベル MAX100みたいな人。
おとなになってからでも絵本は楽しめると思います。とくに音読するとここちよいです。
いつか娘も読んでくれる日が来るといいな
だからもし固めたいと思うならば、暫定的にそれについて文章を書き、発表すればいい。不完全でも構わない。そうなれば、それは自分の認知として(一時的に)固まったことになる。でもそれは、最終結論が出たわけではない。少なくともそう捉えるのがよい。
千葉雅也さんの『現代思想入門』で出てきたドゥルーズの準安定状態や千葉さんの仮固定の概念も同じだと思いました。
たしかに、仮にどんなに決定的な結論を得たとしても、その考えはのちに訂正される可能性を秘めています。
まさにご紹介された『訂正可能性の哲学』。いつかこの本にもチャレンジしてみたいです。
思い返してみれば、学校教育のなかで、自分の意見を決める練習はいっぱいさせられてきました。あるいは友達の意見を尊重するように肯定することも、教育過程で習得した気がします。
けれども、自分の決めた意見を後から変化させることは、全然習っていない気がします。
自分の意見を後から変えることは、まるで当初の計画を達成できないから修正するような見方がありました。
あるいは最初にもっとよく考えてから意見を決めないから、後で修正する羽目になったというような罪悪感もあります。
自分の考えや意見について、さらに考えて訂正していくこと。
引用のとおりごく自然なプロセスに見えるけれど、おそらく研究職などを除いて、ひととおりの学校教育しか受けてない人がこの変化を許容することはむずかしいのではないかと思います。
いっぽうで、この訂正可能性の概念を獲得して生きることは、自分の思索の幅を非常にゆたかにしてくれることも事実だと思います。もし訂正可能性の概念を知らずに、自分の考えを固定化したり、あるいはいつまでも仮固定することができなかったりしたら、思考に大きな制約を課して人生を送ることになっていました。
思考に制約が課された状態はとても残念な感じがするけれど、同時に本人は制約自体に気づかないので、盲目的ですが支障はない状態なのでしょう。
このように考えると哲学的な概念のもつ影響の大きさや意義を、身をもって感じました。
ただこの概念に対する価値をほかの人へ伝えるのはなかなか難しそうです。ここへきて改めて『現代思想入門』のすごさがわかります。
まとめると、生活にこだわりを導入することは(そこまで意識的な所作ではないだろうが)、自分の生活を意味的に秩序づけ、また自分の意志がそこにあると感じられるようにするものである(あるいはその両者は同じことを言っているのかもしれない)
こだわりについて、意志の存在は実感としても認識できます。対してここに『秩序』が登場するのがとてもおもしろいです。
秩序が存在することは、つまり、こだわりとは自分なりのルールや基準が設けられるということと考えました。
こだわリの行為とは、こだわる対象について、自分が決めた一定の水準や規則にしたがって作業しつづけることです。
たとえばゴジラのフィギュアをきれいに配置するとか、ピカピカになるまで洗車するとか。
しかもこのこだわりが、「べつにどうでもいいこと」だということでした。
こだわりは、生物学的要請からみて「別にどうでもいいこと」をやっているからこだわりと呼ばれる(だからネガティブな意味になる)。
ではなぜ意識的にこだわりが発生するのでしょうか。
こだわりが発生する原因は、おそらく自分の決めた水準に到達したときの達成感にあると思います。
迫力を感じられるようにゴジラのフィギュアを並べられた、洗車した後の車がきれいで美しく感じるなど。
つまり、意識して対象に働きかけることで、自分独自の水準に到達できる。
この作用が自分だけの達成感や幸福感、自己肯定感を生み出すと思います。
ここまでまとまると、こだわりを仕事に持つことはごきげん仕事術に通じることにも納得しました。 仕事におけるこだわりとして自分独自の水準と、そこへ到達するための創意工夫が、仕事をつうじて自分におもしろさと達成感をもたらしているからです。
結局これも十人十色ですが、大事なのはやはりいまの記録をもとにして現状を出発点にすることだと思います。
間違ってもこだわった先のゴールから逆算すると、こだわりに到達する前に挫折する気がします。
こだわりも足下の一歩よりはじめてみましょう。