2025/3/31
いまの職場環境でようやくObsidianを使えするようになり、繁忙期もすぎて安定してきたので、重い腰をあげてナレッジスタックの有料プランに課金しました。少しずつObsidianの活用方法を習得していきます。一気にやりすぎないのが大事。
デジタルノートをやってみようという時に、何からどう始めればいいのか、初心者のための第一歩をどうやって踏み出したらいいのか正直よくわかってない。
いろいろ調べてみて見よう見まねで、まずはデジタルノートをスタートしたけれど、そもそもCosenseやObsidianはこの今の自分の使い方で合っているのか、自信がない。もっともデジタルノートに正しい使い方自体がないものだから好きなように使えばいいんだけど。
むしろいろいろ使って今に至って、ちょっと欲がでてきて、もう少しいい感じに使ってみたいと思っているのかも。
でもいい感じが何をどう志向しているのか、自分自身でもわかっていない状態。試行錯誤の日々は続く。
infoboxはおもしろそう。問題はinfobox内でどのような情報を整理するか。
いろいろとCosenseの使い方を工夫したくなってくるけど、今はとにかく続けることに注力する。
ちょうど同じようなことを考えられていた。ツールの使い方も工夫したくなるけれど、単に変えたり機能を追加して複雑にしたりして、管理ができなくなっては元も子もない。
たしかにまずはきちんと継続できることが前提。そのうえで少しずつ試してみて、自分にしっくりくるか検証してみる。
「試してみることに失敗はない」
このマインドで気軽にやってみる
不機嫌になっている人は、自分が不機嫌になっているとまず気がついていない
自分が怒りや不機嫌のさなかにいることに気がついたら、もう半分は脱出できている
何はともあれ、まどマギ懐かしい。
不機嫌の自覚のためにもロギング仕事術は有効だと思っている。いまの仕事のログについて書いていると、自分をメタ的に捉えられて、その時の自分の感情やコンディションを自覚できることが多い。
あとは不機嫌を自覚したときに、どうやってご機嫌に戻すかが課題。
そもそも不機嫌で調子がよくない脳の状態で対処しなければいけないので思考力はない状態。やはりあらかじめリストアップして方法を固定させておくのがよさそうかも。
不機嫌のもうひとつ厄介なところは、周囲に不機嫌なひとがいる職場で仕事をしないといけない場合があること。
不機嫌なひと、特にそれが上司だと最悪になる。不機嫌な上司がいるだけで、心理的安全性は崩壊して、コミュニケーションは遅くなり、余計なストレスが部署全員にかかってしまう。
しかも不機嫌に仕事をするひとは、わりと日常的にデフォルトモードが不機嫌である人もいる。
この周囲からの不機嫌の感染をどうやって防ぐかもごきげん仕事術の課題のひとつかもしれない。 いかにして不機嫌マンから静かに距離をとって、感染を防ぎながら自分はご機嫌に仕事をするか。
とどのつまり、仕事である手前、お互い強制的に出社して何とかタスクをこなしてお金もらわないといけないんだから、いろいろあるけど仲良くご機嫌にやりましょうよ、と思う次第です。
今日は何となくお昼ご飯を食べずに仕事している。
全然忙しくないんだけど、お昼を食べに行きそこなった感じ。
案外お昼ご飯無くても集中できていると思う。むしろ食べないより集中できているかも。
ただ夕方になって空腹感が徐々に自覚されてきた。何かちょっと食べたい。ホットスナックとか。
小説のどの本を買って読めばいいか判断力が鈍っている問題
最近、新書や人文系、専門書を中心に読んでいたので、久しぶりに小説を買おうと思い立ちました。
学生の頃は小説ばかりで、芥川賞の純文学から新本格の推理小説まで広く読んでいて、そのころは後ろの紹介文や冒頭を読むと、何となく自分の好みに合いそうな小説がわかっている感覚がありました。本を選ぶ嗅覚のような。
この小説を選ぶ感覚が薄れているというか、失われていることに気づきました。
たぶん読書の時間が限られているので、おもしろい本を選んで読まないといけないという強迫観念じみたものがあるのかもしれない。
小説を買う時の気軽さ、フットワークの軽さを取り戻したい。
そもそも作者は自分の書いた小説がおもしろいと思って発表するわけだから、基本的にどの本もおもしろくできているはずだ。
というわけで時間ができたら一冊買ってみよう。
いままで読んだことない作者の本を読んでみたいとき、どのような基準で小説の購入を決めているのか?
第1章 信じられるおとなを探して
「信じられるおとなが身近にいない。それは心底さみしいことだ。なにもかもいやになって投げ出したくなるくらい、さみしいことだ。でも、本の向こうには信じられるおとながいる。考えることにフタをせず、自分をごまかすことをしなかった、真剣なおとなたちがいる。それって、すごいことだと思わないかい?」
本をつうじて作者を信じられるおとなと考えるところ。私淑にちかいかもしれない。
哲学は代表例だと思うけれど、もっと身近なことでもいい。ただ本の作者は基本的に「考えることにフタをせず、自分をごまかすことをしなかった、真剣なおとな」であることを改めて思い知った感じ。
おとなになっても読書をつうじて「信じられるおとな」を探している節がある気がする。