産業資本主義社会における効率と公正のせめぎあい
近代以降の産業資本主義社会においてたびたびせめぎあってきた、市場が担う 「効率」 と国家 (政府) の介入により実現される 「公正」 の議論
主に英国の歴史を題材に
初期の産業資本主義社会では、市場主義の発達に伴い効率が重視されるようになり、国家の役割は 「夜警国家」、「安価な政府」 としての役割に限定
18 世紀のイギリスの道徳哲学者・経済学者であるアダム・スミス (Adam Smith) は、政府による統制 (規制) や介入はできるだけ差し控えるべきであると唱えた
自然法的秩序の哲学を経済的世界に適用し、自由な経済取引が行われる場合、市場メカニズム (“invisible hand” (見えざる手)) が働くことで資源の効率的な配分が行われ、それが結果的に公共の福祉 (公正) を増進するという考え
政府の役割は次の 3 つに限定
1. 国防
2. 正義 (特に所有権の維持)
3. 特定の公共事業・公共機関 (初等教育制度等)
こうした考えは、ジェレミー・ベンサム (Jeremy Bentham) らによる功利主義にも受け継がれた
19 世紀には、市場における効率を追求する自由主義は最高潮の時期を迎えた
産業資本主義の発展とともに、効率の追求のみでは解決できない問題が発生し、政府による公正の実現の必要性が議論されるように
しかし同時に、産業資本主義の発展とともに、当初のスミスの思想は通俗化され*10、実業家たちの急進的な 「自由放任」 思想に転化していった
彼らは経済発展と労働人口の都市集中に伴って生じた社会問題に適切に対処することができず、工場立法や公衆衛生、さらには教育に関する立法にさえ反対
こうした行き詰まりの状況を打開するため、労働者階級の要求を実現する新たな社会秩序を実現しようとするフェビアン社会主義も有力になる中で、19 世紀末から 20 世紀初頭にかけて、老齢年金、失業対策、学校児童の扶養、国民保険など、政府による公正の実現の必要性が議論されるように
政府が公正を実現する役割を担う部分は大きくなり、「福祉国家」 に
このような中、1929 年に発生した世界恐慌は、資本主義的自由経済にさらなる揺さぶりをかけた
この恐慌への対応の中で、ケインズ経済学が登場し、第二次世界大戦中にベヴァリッジの社会保障論が生まれ、戦後には、両者を統合したかたちで、福祉国家が発展
このような流れで、政府が国民経済に介入する程度は大きくなっていった(混合経済、修正資本主義、(ケインズ主義的)福祉国家)
これは、公正の実現のために国家が担う役割が大きくなっていったということ
産業資本主義社会では、「効率か、公正か」は往々にしてせめぎあってきた
福祉国家は第二次世界大戦後の先進諸国において実際に発展したが、同時にこの時期は、国家(政府)が公正の実現を担うことを疑問視する議論が支持を集めた時期でもある
オーストリアの経済学者・哲学者であるフリードリヒ・フォン・ハイエク (Friedrich August von Hayek) やアメリカの経済学者であるミルトン・フリードマン (Milton Friedman) は、社会保障・福祉国家は、個人の自由を侵害する、非効率な仕組みであると批判
20世紀における社会保障・福祉国家への批判
効率と公正のどちらを重視するかは、その時々の社会経済情勢などに影響されて変遷するもの
スミス→ケインズ、ベヴァリッジ→ハイエク、フリードマンの議論を追うことで理解できる
参考文献
平成 24 年版厚生労働白書 -社会保障を考える-