ズルいですよ
昼休み、事務所に戻った僕は東雲さんを会議室に呼び出した。 「すんませんでした」
僕が言うと、東雲さんは「ええんですよ」と言うていつもみたいに微笑んだ。
「体調はええんですか」
「はい、全然問題ないです」
僕の言葉に東雲さんはゆっくりまばたきしながらうなずいた。
「心はどうですか」
東雲さんは、慎重な様子でほう言うた。
「問題ないです。すんません、取り乱してしもて」
僕の答えに、東雲さんは納得しとらんような顔をした。
「僕は立場上、ドライバーのメンタルヘルスも管理せなあきません。事故させるわけにいきませんから」 東雲さんは難しい顔でほう言うた。
「ホンマにいけますって、残業続きで疲れとっただけですよ」
僕が言うと、東雲さんはいったん僕から目を逸らして、もう一度僕の目を見た。さっきの難しい顔とは違った顔をしとった。
「ほな次は友達として訊きますね、エビちゃんとはどういう関係なんですか」
東雲さんの直球に、僕は数秒言葉を失って立ち尽くしとった。
僕は別に、静と付き合うてることを東雲さんと和に隠すつもりはなかった。
二人とも理解してくれると思うとったし、いつかは言わないかんことやった。
でも僕は、なんも言えんかった。冷や汗をかいて、東雲さんの目を見つめ返すことしかできんかった。
東雲さんは泣きそうな顔をして、不意に僕を抱きしめた。
は?
いや、何この状況。
「ズルいですよ」
僕の耳元で東雲さんが切ない声を出した。
「な、何が……?」
僕は固唾をのんで東雲さんの答えを待った。冗談です!って、いつもみたいに上品な笑顔を見せてくれるんを期待しとった。 「僕も伊勢原さんが好きやのに」
「ちょ、ちょ待って!」
東雲さんを引きはがそうとしたけど、びくともせんかった。
「東雲さんが好きなんは和やん!」
僕は思わずほう叫んだ。
サシ飲みしたとき熱く和に対する愛を語っとったし、僕に知られてないと思とんかしらんけどデートに誘いようこともあったみたいやし、水着姿の和の写真を入れたボールペンなんかも持っとったし…… 東雲さんは、僕の背中を壁に押し付けた。東雲さんは泣いとった。男前が台無しやった。
「東雲さ……ん」
僕は、壁に押し付けられたまま東雲さんにキスされた。 東雲さんは僕の上着のファスナーを下げると、乱暴に脱がせた。
「ちょ……ホンマにアカンて……」
僕の言葉を無視して、東雲さんは自分の上着も脱ぎ捨て、ネクタイを緩めた。 「じ、自分のメンタルヘルスをなんとかせぇよ……!」
僕が言うと、東雲さんは涙でぐしゃぐしゃになった顔で笑うた。いや笑えんけん。
東雲さんは僕の肩を押さえつけて、僕の耳に唇をくっつけた。
「僕のメンタルをめちゃくちゃにしたんは伊勢原さんでしょ」
東雲さんは低い声でほうささやくと、僕の耳を舐めた。僕は思わず変な声を上げた。
「何かあればエビちゃん、エビちゃんって……今回は僕にしっかり見とけって?あのセンシティブな子を気性の荒いドライバーたちから守るんに僕がどれくらい神経削っとうか想像したことありますか?」
東雲さんの頬を、幾筋もの涙が伝って落ちた。
「想像したことありますかぁ!!」
東雲さんの声に、僕は飛び上がった。体は小さく震えとった。
「ない、です……」
東雲さんにはほれができて当たり前やと思っとったけん。ほんな大変やと思ったことがなかった。
「伊勢原さんとエビちゃんが、誰が見てもわかるくらいべたべたしよったのに、噂の一つも聞こえてこんかったんはなんでか想像したことありますか?」
「な、ないです」
僕ら、ほんなにわかりやすかったやろか。誰もなんも言わんけん、誰も僕と静が付き合うてるや思とうと思わんかった。誰も気付いとらんとばかり思とった。
「二人の耳に変な噂が入らんように、僕がもみ消しとうけんでしょ……!」
ほう言うと、東雲さんは膝をついて、ほの場に倒れこんで嗚咽した。
僕は床に座って、自分がしてもうたように東雲さんを膝枕して、拾い上げた上着を肩にかけた。 親友やと思とったのに、なんも知らんかった。心が壊れるほど傷付けとったことすら知らんかった。