情報社会学
いわゆる「情報社会論」とは区別して、ここでは公文俊平が提唱する「情報社会学」のことを特に指す。そこにこめられた意味合いは以下のように語られている。 「情報社会学」という言葉は、「情報・社会学」ではなくて、「情報社会・学」だと考えています。情報学一般とか、情報にかかわる社会学を考えるというものではありません。近代文明のある特定の局面において出現すると考えられる情報社会を対象にした学問です。ですから、狭い意味での社会科学だけではなくて、必要ならば他のいろいろな分野の学問も取り込んで、対象としての情報社会を多面的に研究するというのが情報社会学という言葉を選びたい理由です。 公文の情報社会学の(他の情報社会論との比較における顕著な)特徴は、情報化という流れを「近代化」という文明歴史過程のスケールに収めつつ、独自のシステム論的把握の連続によってその流れを記述するその包括性にあるといえる。 情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる: chapter02 アーカイブ GLOCOM智場: 「今年の研究課題」
私はかねがね、トフラー流の、情報革命ないし情報化を第一の波(農業革命)と第二の波(産業革命)に続く「第三の波」とする見方には懐疑的で、むしろ近代化の中の第一(軍事化)と第二(産業化)の波に続く第三の波とする視点から『情報文明論』(1994年、 NTT出版)を書いた。その編集者の島崎剄一さんは、それを「ネオモダン」論と位置づけてくださり、私もなるほどと思った。しかし、東浩紀さん(GLOCOM主任研究員)の卓抜な「ポストモダン」論に触発された後では、それを「ラストモダン」論と呼びたくなった。 「情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる」(NTT出版、2004年)asin:475710135X 「文明の進化と情報化」(NTT出版、2001年)asin:4757100477
「情報文明論」(NTT出版、1994年)asin:4871882705
公文による「情報社会学」というネーミングについては、村上泰亮が提唱していた包括的な社会科学のプログラム「産業社会学」(産業社会についての学)を、継承する意図を込めたところに由来している。また「情報社会」研究と並行した大きな柱として、同様の「システム論+文明論」的なアプローチによる「日本社会」研究を行っている。 村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎「文明としてのイエ社会」(中央公論社、1979年)