美文章滅させない
しかし、私はむしろ、中身よりも文の巧緻さ(というか文に滲み出させた人柄、みたいなもの)こそがメインなんではないかということを、つい志向してしまう。
そこに触れていたい。
そうではないジャンルもあるけど(というか、そうでない方が正しいというジャンルの方が、今の時代には多くあってほしいとは思うが)、私が書きたい・考えたいジャンルはそっちではないのだろう。
(ところで、「知的生産の技術」の『知的』も相当だが、この美文章の『美』は、あまりにも自分で名乗るには恥ずかしいものだな。なにかもうちょっとためらいの感じられる言葉を探したいところ。名前をつけたい。) まあ、私が多人数同時編集ページにまだ参加していないから、というのも大きいかもしれない。
なんというか、後から読むと「子の枝にぶら下げてコメント」ってノイズでしかない感があるけど、あの辺の感覚は、『話題を戻ることも可能なチャット会議』というのが近いのかもしれない。 それも、意思決定をして、その後走り出すための会議。
それだとしたら、とりあえず全員で思いつく選択肢と長所短所(リスク)をバーっと上げてもらって、決定して、行動! というのも分からなくない。
私には、どうしても日本教じみた哲人政治的発想というか、データを読むことを通じてそれを言った人の思考へ遡りたいみたいな欲求があるのかもしれない。