「毒にも薬にもならない動画をぼーっと見たい」という需要
借金玉さんの本、発達障害の僕が食える人に変わったすごい仕事術の中に出てきた記述。
ふっと、印象に残った。3色ボールペン方式でいうのなら、緑の線が引かれたような感じ。本筋として重要な部分ではないかもしれないけど。
「毒にも薬にもならない 動画をぼーっと眺める」。
YouTuber的なものをイメージされていたのか、それとも猫ちゃん動画的なものをイメージしていたのか。
私はオタク上がりの人格をしているから、「物語は濃ければ濃いほどよい」というようなことを、すぐ感じてしまう。
だから結構歳を経るまで(三十代)、テレビの旅番組的なものの価値が理解できなかった。それが、年齢とともにだんだんと「毒にならない」ことの価値を感じるようになってくる。
ドラマは緊迫するし、ニュースは暗い。
たとえその旅番組の途中下車スポットが、中途半端な役者さんによる、中途半端なグルメでも、次の10分間、私の神経に毒になることはない。それを期待できるというのが、大きいことがある。
日常系のアニメにも、似たようなニーズがあるかもしれない。
動画をダラダラ見ることの価値はなかなか分からなかったけど、そこにいたる補助線をもらえた感じ。
言われることとは違うことを考えてみた。
from20180822