2023/12/27-2023/12/31
#採掘場
▷リニアモーターカーの「リニア」と、 野球で低弾道で飛んでいく「ライナー」と、 直線を意味する「ライン」
▷まあ、天皇から実権を遠ざけておくための議会、というよりは、アメリカから実権を取り戻すための日本の議員、というイメージのほうが、まだつかみやすいかもしれん。
▷それらをチェックアンドバランスするには、それ自体で独立した基盤を持つ貴族や元勲の連合しかないということなのか。
▷そんでたぶん、物語に出てくるような、「若く、身分にとらわれず登用された、優秀で潔癖で、才覚で選ばれた、閣僚や将校というのは、誰にも使われるのかといえば絶対皇帝に使われるわけだから、
▷貴族を見たら、「お前らだって王様と同じく支配者やないかい!」と私は思うと思うし、現代で国会議員を見たら、「お前こそが権力者だ!」って発想が、おおかたの日本人の頭にも浮かぶと思うんだ。 でも、違うんだね。
▷政治に関する、法律の歴史や思想みたいなものを語る人からポロッと出てくる、「貴族(≒議員)は、権力(絶対王権)に対抗する、掣肘するための機構」みたいな発言に、「ファッ?!」と思考が飛びそうになる。
▷カフェインでたぎるのは好きだけど、アルコールや満腹で気持ちをゆるめてぼーっとしたい、という欲求がないのも大きいかな。 お腹がぱつぱつするのは、ただ苦痛。
▷他の味覚的な特徴としては、 ・満腹になると味覚が消失する ・炭水化物がおいしいと思ったことがほとんどない(肉は好き) ・おいしくてもまずくても、食べる早さも食べられる量も影響を受けにくい ……みたいな特徴持ちです。
▷子供には「若いうちは味覚が敏感なんだから、濃い味を食べないほうがいいよ、味覚がバカになるよ」とか言いたくなるけど、しかし、若いうちのほうが刺激的な味に突き進みたくなるものでもあるよなあ。
▷だから、アイスクリームなんかだと食べるの早いんだよ、咀嚼しなくていいから(笑)
▷咀嚼という、シシューポスみたいになる。
▷どの程度のレベルなんじゃ、ということなら、だいたい「ご飯の中のご飯粒が、一粒でも粒の形状を残していたら、喉を通したくない」というくらいの感じ。 だから、時間がかかる割には量が食べられない。そして、食べているうちに、食という行為に飽きる。
▷そういえば、私は体質だけでなく味覚的にもかなり痩せようとすることに有利な特徴を持っているけど、ほかに変な特徴として、「固形物を飲みくだしたくない」って、妙なこだわりがある。触覚過敏的な根もあるかもしれないけど、習慣になっていて、なんか破るのが気分悪い、ということもある。
▷可能な限り、「やること」を増やしたりせずに、単なる週末として、今日と明日を過ごすぜ!(大掃除から目をそらしながら)
▷攻撃的なツイートを、RTしたりいいねしたりすればするほど、「おすすめ」に集まるツイートはその傾向を帯びやすいわけで、できれば「不安で誰かに寄り添ってほしい悩みを感じたときだけ開く用アカウント」や「世直しを求めたいモードのときに開く用アカウント」は日常用から切り離したほうがいいよね。
⇒
意外と難しいのが、「箴言」的なピリッと気持ちを引き締めてくれるもので、これも量が過ぎるとただのネガティブなんですよね。
遠ざけられるものなら、遠ざけておくべきなんだわ。
食べているもので自分ができてしまう
有名人にワラワラ噛み付いている、すごく開設日の新しいアカウントと見た目上区別ができなくなる
一貫した人格としての情報摂取で、必要な栄養バランスが満たされるのであればそれでいいのですが、一体型では管理できないとなれば、天引き貯金とか封筒予算管理のように、費目ごとに切り分けてから比率を管理せざるを得ない場面も出てくるかな、と。
フォローとリストで読むチャンネルはある程度コントロールできるはずですけど、「おすすめ」はこちらのリアクションに再リアクションを返してくるので、コントロールを間違えると関心を乗っ取られますよね。
そして、ネガティブなアカウントを開くときには、タイマーをかけて時間を制限するとか、終わった後には、すぐに甘いものを食べて湯船につかるとかの、待避線を用意しておくのも有用。
動物的に考えれば、「不快だから、自分のまわりから排除したくて、怒ったりその結果攻撃したりする」のに、怒れば怒った分だけ、怒るための材料が供給されてきちゃうの、多くの人にとっては不条理。
精神のバリア機能が薄くて、そういうのをあんまり見ちゃいけない人たちが、逆にそういうものに惹きつけられていってしまう不条理。
「お気に入り帳」をカテゴリ別に分けて、そのうちの何冊かを非公開/システムの学習にも供給しない と設定できるシステムになっていればそれだけで十分なのかもしれませんが、そうなっていない以上、一部の人には必要なのではないか。
シークレットモードみたいに、学習最適化から切り離す
▷情報コックピットが、遂行者である自分にとって必要十分であればあるほど、そこばかりを見るようになってしまって、そこからこぼれ落ちている潜在的でマイナーな問題に自分は目を向けなくなってしまうのではないか、という恐れ。
▷アプリで検索結果が読み込めん
▷のりさんのツイートを「瞑想」キーワードで1年分見ると、1月ごろに「朝瞑想」と何回か言っていた後に、12月になって急にツイート数が増えてくるのか。冬と何か相性がいいのかな。
▷ノートに板書以外に何を書くか - いっき日記
2.「言っていないことは何か」を考える
何かを言われたときに「言われていないことは何か?」に意識を向けてみるといい。次のようなことを板書に対してツッコんで(問いかけて)みる。
「他にないか」
「例外はないか」
← 2023/12/22-2023/12/26 / 2024/1/1-2024/1/4→
https://fujipon.hatenablog.com/entry/2023/12/26/132811
あまり向いていない職業についてしまった僕が、自分の「クリエイティブなことをやりたかった、という怨念」を低コストでぶつけられる場所が、インターネットだったような気がする。
学校の授業でブログを作らされるような時代に、ブログに「別世界感」や「ロマン」を感じるのは難しい。
「SNSやブログで炎上し、実生活に悪影響を与えない作法」を学ぶ大多数の人と、わざと炎上して注目を集めてお金にする、ごく少数の「炎上商法の人」に二極化してしまった。
すでに一般人のブログに「オピニオン」的なものは求められておらず、かえって「普通の日記」のほうが読まれている気がする。
僕は「今のインターネットは自由さも創造力もなくなって、金の話ばかりでつまらなくなった」としばらく思っていた。
ここで情報を集めるのは、あまりにも効率が悪い、とも。
でも、最近、ネット大好きの子供たち、とくに長男が、「ネット仲間」たちと趣味の歴史に関するやりとりやリレー小説を楽しそうにやっている(みたい)なのを眺めることが多くなった。
結局のところ、インターネットは「場」でしかない。
僕は近所の公園で楽しく遊ぶことが難しい大人になってしまったけれど、子どもたちは、そこでいろんな遊び方を創造し、仲間たちと楽しくやっている。
そこが変わったのではなくて、僕の年齢や立場が変わっただけなのかもしれない。
https://twitter.com/masayachiba/status/1738870638801199459?s=21
性愛とは、特別な存在になることと、何者でもなくなることの、困難な合成である。
https://twitter.com/masayachiba/status/1739240138054746368?s=21
進化論的説明は基本的な傾向性の話として捉えて、その上に、必ずしも進化的に決定されない可塑性の余地が(オーバーライドするようにして)あり、しかしそちらの方が進化的要因を完全に抑え込むこともない、と考えればいいのに。と思うのだが、その論理を学術的にちゃんと備するのは難しくて。
https://twitter.com/masayachiba/status/1739511725819633816?s=21
文系の研究において、文献を読んで考えることと、自分の頭で考えることのバランスがとれるようになるには、相当の年月がかかる。
https://twitter.com/9zh3fx5a0685615/status/1739727058312528123?s=21
古左翼が恫喝行動をよく取るのは、そもそも議会制民主主義をぶっ壊そうとしてるからですかね。大東亜戦争中、古左翼の連中にとって日本が敗北しても敗戦革命となり良し。続いても戦時体制の拡張で革命遂行で良し。結局戦争は古左翼にとっては都合の良いものだったのか。
https://twitter.com/erishibata/status/1739548024647631211?s=21
千葉さんにおすすめされた絓秀実
『1968年』を読んだら、新左翼がどのように各種マイノリティ運動に接近していったか、なぜ恫喝的行動が多いのかがよくわかった。
https://twitter.com/masayachiba/status/1739596646307246389?s=21
動物は、地に対する図が浮き上がるとそれに手を伸ばしたくなる。それはサリエンシーに対する反応。このことからセクシュアリティを基礎付けていく文章を書いている。
https://twitter.com/masayachiba/status/1739602218813395320?s=21
人と人が互いを大事にすることの大事さ、というかなり後になって成立する社会的、間主観的関係をメインに考えていたら、性は何もわからない。
https://twitter.com/masayachiba/status/1739607999302517032?s=21
子供は部分対象の寄せ集めから人格的統一性
へと移行していくが、その途中にある「部分性と全体性のハイブリッド」として、仮面ライダー、プリキュアなどが成立する。
⇒ロールモデル的な意味かな。
https://twitter.com/masayachiba/status/1739605860727595447?s=21
フロイトの死の欲動という概念は、死という強いワードに引っ張られるが、僕の読みでは、プロセスの脱目的的な自動運動のこと。
これは他の動物にも多少あるが、人間には著しく大きくその余地があり、それは生命維持のための合理的行動を裏切るまでになる。だから「死」の欲動と呼ばれる。
⇒あ、そういう意味なの?!(そういう意味で、少なくとも千葉さんは使ってたの?)
⇒じゃあ、「遊び」とか「嗜癖」、場合によってはヒューリスティックにすら接続していくのか。愚行権とか。
https://twitter.com/masayachiba/status/1739604552356348109?s=21
https://twitter.com/finalvent/status/1739433463156261107?s=21
そういうこともあるかも。
でも、やってみて、あーダメと笑ってもいい案件もありそう。
https://twitter.com/threepinner1/status/1739433186449645784?s=21
ときどき昔のことを鮮明に思い出す内容の夢を見るけど、やり直したらもっと悪くなりそうだと納得。
https://twitter.com/finalvent/status/1739434417985323460?s=21
高校とかで漢文を教えるときは、合わせて、現代中国語との差も概説するといいと思う。
https://twitter.com/finalvent/status/1739437098145604023?s=21
モテない男で中年迎えたら、モテる男の「あはれ」を源氏物語で知るのもいいかも。
あるいは、「ああ、いいう女もいたなあ」みたいな感慨になるかも。
https://twitter.com/finalvent/status/1739437660970823859?s=21
「ドストエフスキーの作品は20代まででないと読めない」という人がいるが、そんなことは、ないと思うよ。
https://twitter.com/kanokun6/status/1739651305881391469?s=21
人事で一番何が大事ですかと聞かれたら、口が硬いこと、と答えている。
組織の潤滑油になりたいと言う人はよくいるけど、その役割が噂の伝染役になることがあ
る
その場合、潤滑油ではなくて組織クラッシャーになり得るので、組織開発に携わる人こそ守義務を一番大事にしないといけないと思う
https://twitter.com/nobuyukiisshiki/status/1739838342337044755?s=21
最近、ちょっと微妙かなという案件をツイートする時は、「拘泥」とか「禁忌」とか、国語知識が必要な単語を混ぜるようにしている。クソリプが減った。マジで。
https://twitter.com/nobuyukiisshiki/status/1739827548736061527?s=21
噺家さんが「時そば」を語ると、ずる賢い機転に笑うのではなく、「騙されたおそば屋さんが可哀想」というリアクションが来たりする「いま」。本寸法に拘泥したい気持ちは分かるけど、時代と寝るのが芸能。脚本におけるNGも、その禁忌とどう遊ぶかと楽しんでいくしかないのです。
https://twitter.com/irxground/status/1740006589288100041?s=21
本寸法という単語を知らないせいで逆の意味でとらえてた
元の主張は「伝統よりも今の時代に合わせよう」という意図だと思うのだけど「現代倫理よりも作品が作られた時代を楽しむべきだ」だと解釈してて、たった一つ知らない語があるだけで正反対に解釈できることがおもしろかった
あってるよね?
⇒キーになってるの、拘泥や禁忌じゃねーじゃねえか(笑)
⇒「来たりする」というところに若干の「馬鹿はうるせーな」感を匂わせつつ、「クレーム」ではなく「リアクション」の語を選ぶことで、待避線を残してるんだな、文章の後段に。そして「来たりする」が一番口語的だから、そこが基調トーンみたいに染み込んじゃうのかな。最後の文も、Youに対して説教してるのか、Weのこととして自虐してるのかわからないし、そもそも「色々、自分にとっての不都合はあるけど、やれることをやっていきましょう」という意味でしかないから、前段で自分が「どちらかというと、どっちより」という感情を持っていようと、それに関係なく配置できるんだな。テクニカルだなあ。
⇒でも、これだったら、もうツイートじゃなくていいんじゃないかな…… 課金ブログとかにひっそりと書けばいいんじゃないの? という気になる。
https://imidas.jp/jijikaitai/t-01-005-23-12-g942/2
批評がかつてはカルチャーの領域で成立していた理由は何か。おそらく大きかったのは、発信する側とそれを受け取る側は直接つながれないという前提があったからだろう。批評家は、その両側を媒介する存在として重要な役割を担っていた。批評家による作品への意味付けを通じて受け手はその楽しみ方を学び、発信者はある種のステータスを獲得する。
作品から読み取りたいのはあくまでも「作り手や演者がどんな意図を込めたか」というゆらぐことのない事実(らしきもの)についての答え合わせで、
たとえばその作品やジャンルの周辺で起こっていることとの共通項を分析しながら「こういう読み解きもある」と視点を提示するような言葉には興味がない(なぜなら「作り手や演者がそう思っているとは限らないから」)。
批評という外部からの目線が欠如することで、エンターテインメントは社会との接点を失うことになる。
すでに起こってしまったことはどんなものでも受け入れるしかないと考えるのであれば、この状況に「社会のニーズが形になっただけ」以上の意味を持たせる必要はなく、そこにアジャストして生きていく(中略)以外の選択肢はない。
⇒反批評とか反知性に、「こういうのでいいんだよ」も位置付けられるだろうか?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78703?page=4
天文学では、このように天体の公転などの周期が簡単な整数比で表されることを「尽数関係」または「平均運動共鳴」と呼びます。
もしも公転周期が整数比でなかったら、冥王星と海王星はときおりごく近くまで近づき、強い重力をおよぼし合い、冥王星の軌道は乱されて、どこかへ放り出されていたでしょう。
3個以上の天体が互いに重力をおよぼし合う場合、基本的にその軌道は不安定で、遅かれ早かれ軌道は乱され、天体は予想もつかない軌道に放り出されます。重力はそういう性質を持つ力なのです。
⇒三……体問題
https://twitter.com/shinkai35/status/1740698906697294191?s=21
私個人としては、米国の政治家や起業家がSFの影響受けてたりするのは、日本の政治家や起業家が歴史小説の戦国武将や幕末志士の影響受けてたりするようなもんなんだろうなと思ってます。
⇒副作用のほうもな。
日本の、精神論、根性論も、けっこうだめなことになるもんな。
https://twitter.com/mesoheavyarms/status/1740635997740925062?s=21
産業革命で知的障が見つかり、情報化社会で発達障害が見つかったというような文言を何処かで見ましたが、正に現代は要求される水準が高く個人の能力差が以前より顕著に現れる世の中なのだろうと思います。
一般集団とされるものからあぶれた人はどうすれば良いのかは答えが出ません。
https://twitter.com/beeeeeebaaaaa/status/1739892589913141375?s=21
美容体重の知人は「常にうっすら腹が減ってる状態で過ごして、空腹が0を通り越して
-10%とかになったらそこから0に戻すだけの量を食う」って言ってた
俺くらいになると100%まで腹パンパンにした後に「今は満腹だけど後々減ってくるかもしれないから」って"予防"で280%まで食うからね
https://twitter.com/yuuraku/status/1739604122465358134?s=21
一作目のランボーが報われない哀しみの体現
者だったのに二作目以降は米帝にスカウトさ
れて国策ヒーローと化すの、あれ代償ファンタジーとしてのロスジェネにおける「なろう小説」「異世界転生もの」だよね。
https://twitter.com/kingbiscuitsiu/status/1739551351527653477?s=21
ロスジェネ氷河期世代の処遇ってのは、本邦における「帰還兵」問題としてとらえていいとおも。
https://twitter.com/ak47_1029/status/1736537165251948992?s=21
愛国ポルノが「常識」が抱えた歪みの反動として現れた時にはまだ旧来の常識はまだ「古き悪しき/良き常識」の地位に居たけど、その時点である程度魔法が解けていたんだな。
それから「愛国」の反動ゆえのポルノ性を突いたものの、同格のポルノ同士の殴り合いという側面がバレてしまった。
https://twitter.com/ak47_1029/status/1736218842341548315?s=21
「衰退ポルノ」という表現が生まれたこと自体がひとつの成果だね。
元はと言えば衰退ポルノ的な論調は長く「常識」の座にあり、そこに00年代に風穴が開いて反動として現れたのが愛国ポルノ。その鏡写し的なオーバーランへの反動(反動の反動)にも遂にポルノ性が指摘されたというのが現在地なので。
https://twitter.com/konoy541/status/1737220554405634469?s=21
「象徴」とか「儀礼」とか「王権」という言葉に20世紀後半における文化人類学の知的覇権の痕跡を感じ取らない世代もいるのかもしれないという気づきを得た。
https://twitter.com/konoy541/status/1737675661106679835?s=21
プロ同士の外交という「旧外交」感もそうですが、国内・党内についても55年体制外交の精華というか、首相のリーダーシップは必ずしも高くない中で誰がどこを押さえれば話は進むのかという方程式は割とはっきりしている時代という感じがしますね。
https://twitter.com/konoy541/status/1737750380010947018?s=21
優越的地位の濫用という要件を外して、ハラスメントをあらゆる関係性に適用可能なように希釈する試み、権力に嵌めるというハラスメント概念の本来の旨みを失わせるのみならず、「転び公防」的スキルによる先制攻撃を社会の合理的アクターに強いる悪手だと思っております。
https://twitter.com/konoy541/status/1738435790060093699?s=21
大家の若い頃の苦労貧乏話、回顧調で美化されてる部分を除けば、時のインフラや生活水準のこと考えると、割と本当に大変だった可能性はあると思うのだが、いかんせん、上昇トレンドの世界に生ずる「なんとかなる
さ」という希望というか余裕の要素がこの間、決定的に失われたんでしょうね。
https://twitter.com/konoy541/status/1738438998509662466?s=21
年長世代からは若いものが過剰にリスクを恐れているように見え、反対に若いものからはかつての上昇トレンドの下駄を履いていたシニアたちの発言は無責任な煽りに聞こえる。
これはもうしょうがないよね。
https://twitter.com/hk_seven_seas/status/1738536250145898587?s=21
仰る通り建前とか世間体を慮った「貧乏」はもはや成立しません。
冗談抜きの文字通りの「貧困」か「金持ち」しかなくなるかも。
https://twitter.com/konoy541/status/1738442463105417373?s=21
貧乏はあとから振り返ってしておくべき苦労とか、まして人生の「かくし味」にはもうならない時代で、貧乏はもう身も蓋もない貧困でしかない時代。
https://twitter.com/shoemaker_levy/status/1738495553166848294?s=21
歴史を叙述することを「撚り合わせる」「紡ぐ」とかのふんわりとした比喩で語り出したら要注意なんですよね具体的に何をするか
言わないうさんくささが確実にそこにはあるから
https://twitter.com/konoy541/status/1738559859468259431?s=21
なんとなくのイメージだと、かつては「剔抉する」とかの勇ましい感じが、「撹乱する」とかのトリックスター風味になって、その流行が終わった後、「差し出す」とか「撚り合わせる」とかゆるふわ系にとって変わられたような気がしている。
https://twitter.com/ks_1013/status/1738656129931161751?s=21
フランスでもめている移民法、マリーヌ・ルペンの勝利だとポリティコ。中道右派が極右を取り込もうと右にシフトし、極右は政権担能力を示そうと穏健化したことで、こうした流れが生まれている。
https://twitter.com/konoy541/status/1738747292512047317?s=21
最近のSAPIX上位クラスを中華系が席巻と
いう話、<中国化する日本>(與那覇潤)にその経路もあったのか、みたいな話だと思ってる。
https://twitter.com/konoy541/status/1738750215908385177?s=21
しかし、思えばここ20年の日本の大学院は東アジア系の留学生に支えられていたことを否定する大学人は少なかろうし、この社会の「高学歴」層が非日本人に占められる傾向はとっくにはじまっていたのだ。
https://twitter.com/konoy541/status/1738764505168130512?s=21
メディア報道における「極右」の語の使用法、第二次大戦後の「西側」先進諸国における左派コンセンサスの遺制なのは明らかで、必ずしも現実をうまく映していないので、この種の使用法が終わるといよいよ本格的に戦後の終わりを実感することになるんだと思う。
⇒個人を大切にすれば、戦争は起きないし、経済も発展して繁栄する、という欲張り全部入りビジョン、とか。
https://twitter.com/konoy541/status/1738776539066761438?s=21
「でも、あれ極右ですよぉ......」と意味ありげに頷き合うと議論抜きに言論空間から排除できるアドバンテージを得ていたことが左派の言論の質を確実に弱らせたと思う。
https://twitter.com/konoy541/status/1738779223924572177?s=21
相手に正面から反論するより、「極右」概念を広め広めに取って目の前の論敵を先に「極右」認定した方が効率的な勝ち筋になっちゃう。磨かれるのは「極右」概念の柔軟な運用と、相手の言葉尻を捕まえてそこに「極右」のレッテルを貼る技術のみ。
https://twitter.com/3adam15/status/1741004407100313673?s=21
地方という後背地が弱くなることは、とりもなおさず東京の優位性が失われシンガポール
あたりとガチンコで競争するのを意味するが、田舎disしている東京人のうちどのくらいが理解しているのかなぁと。シンガポールは繋がるべき他都市・田舎が全部外国なので、ある意味常に背水の陣なのだが。
https://twitter.com/konoy541/status/1739104274171490567?s=21
話題のスパイファミリー映画、家族で観に行った口だが、あれは「東側」が舞台という本来重要な設定がもう効かなくなってるのがツラいところなのでは。上司に従順な女殺し屋が、商業主義に毒された「西側」に対抗する潔癖な愛国主義を殺しの心理的正当化に用いてるのとか、冷戦ものあるあるなんだけど。
https://twitter.com/konoy541/status/1739144908387278894?s=21
インペリウムは政体を問わないし、君主制であっても構わないのだけど、むしろ(国家権力に対峙しうる対抗権力としての) 貴族制的な要素がありそうなのが解せないというのは分かる。党独裁の共和制で金日成総合大学附属校のような感じじゃないとおかしいのではという。
https://twitter.com/nanoreba_kangun/status/1739296604191105108?s=21
オスタニアがどういう歴史で現体制になったのか、けっこう気にしながら見てますわ。君主制国家が今の社会主義体制になったとして、デモやら左派テロリストがいるようなので一旦はそこそこ民主化した時期もあったのか?とか。
https://twitter.com/jingin12/status/1739138186646081732?s=21
あれ東国に明らかにイートンモデルのパブリックスクールが存在し、「皇帝の学徒」(君主制国家かよ!)という制度がある等、東側の筈なのにあんまり東側っぽい感じがしないんですよね(せいぜい保安局がシュタージっぽいくらい)
https://twitter.com/konoy541/status/1739153736705233244?s=21
そういう意味では、「インテリ」なのに芸人に、というのが一つの売りや話題になるという構造自体は別に新しくないのだけど、最近の場合は「ヤサグレ」てさえいなさそうというか、「普通に優秀そう」な人が芸人目指してるところが前と違うのかもしれない。
https://twitter.com/miduwo/status/1738552973356314832?s=21
大きな潮流にたいする一時的な抵抗という意味合いが強いのかなあと思わされた。
https://twitter.com/manmantian/status/1738910654709575825?s=21
そもそも共産党をリベラルに括ることにも違和感があるけど、戦後体制自体がかなりリベラルな思想の基に出来てる訳でそれが数十年も続けば十分に権威となる。結果としてリベラル側はかなりの数の権威主義者を取り込んでしまってると思う。
https://twitter.com/miduwo/status/1738552972068667692?s=21
1970年代の共産党支持者よりも2000年代の自民党支持の男性のほうが性別役割分業に関してリベラルであり、社会の深層ではリベラル化が進んでいる.......という指摘が『世
界』1月号の武田砂鉄さんによる仁平典宏さんへのインタビューのなかで出てきて、右傾化とされるものは、やはりリベラル化という
https://twitter.com/konoy541/status/1739184349533380836?s=21
というか、「右傾化」とされているもののなかには実は本当はリベラル化であるものがずいぶんとあるということなのではないだろう
か。
https://twitter.com/konoy541/status/1739453252075417923?s=21
週末のクリスマスで身体が完全に年末モードになり社会的人格が融解しかかってるなか、年内の残務を処理せねばならない。崩れかけ
の巨神兵状態。
https://twitter.com/konoy541/status/1739468605140730217?s=21
年末になると、「小さくなって懐手して暮らしたい」(漱石)という言葉を思い出すが、この思想こそちいかわがここまで受ける理由ではないか(突然の気づき
https://twitter.com/konoy541/status/1739504629745066193?s=21
まずは既存の制度の手続きの内部で処理することが大原則であっていきなりネットにぶちまけるとかさあ、というのは私自身は本当にその通りだと思うのですが、ここではその種の考え方の評判はずいぶん悪いものであったような気がしたんですよね。
https://twitter.com/konoy541/status/1739498497223835752?s=21
査読の件、手続き的正義の大事さを強調する意見が目立つのは喜ばしいが、構図が違っていたら「匿名の陰に隠れた言いっぱなしは学会ハラスメントであり許されない。まず声をあげることが大事で内部通報としての意義は大きい!」系の意見一色になっていなかっただろうかとは。
https://twitter.com/yusaku_matsu/status/1739508717773852790?s=21
定義次第のことは定義で済むのでよいのですけれども、日本近代については「家」型家族と「家庭」型家族の区別(あるいは融合)とそれぞれの抑圧性、ということは一応抑えておいていただきたい、と歴史家的には思うんでありますね。
https://twitter.com/konoy541/status/1739512398493712505?s=21
家長と闘ってるのか、イエと闘っているのかというのもこれはすごく大きな違いで、天皇主権説と国家法人(天皇機関)説と同じくらい違うんだけど、あまり意識されているふしはないのよね。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/1740913766072734133?s=21
「日本には近代は来なかったよ、来たとしてもそれは都会の良家の子女のあいだに来たのであって、地方の大半や庶民には近代はこなくていきなり近代の向こうがやってきたよ
ちなみに、これは東南アジアとかも同じな」を、2024年の後半は重点的に掘っていきたいと思います。
https://twitter.com/konoy541/status/1739824569098408271?s=21
論語はもちろん、万葉集も古事記でも、なんとなく読みやすいテクストで読んでみては一
んこんな感じなのかという読み方もいいのだけど、できればその種の古典はほぼ逐字逐条
ごとに繰り広げられる壮絶な「解釈」の戦場であることは知っておいてほしい。
https://twitter.com/konoy541/status/1739826035397648746?s=21
その種の古典の一節がこんな意味ですというのは、どの版で読んで誰の解釈に従ったかということを明示しない限り、専門家にとってはほぼ無意味なこと。大学(院)で学ぶというのはそういった「解釈」の地層を踏まえるということでもある。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』
他者の批判を受けてようやく認識の不足に気付くということもある。しかしだからといって、〈解釈〉の層を飛び越してよいということにはならない。〈事実〉から〈意見〉へと飛躍することの危うさは、何度でも指摘しておく必要があるだろう。〈意見〉をもつことはもちろん自由ではあるが、それはつねに〈事実〉を踏まえた上で、〈解釈〉もある程度はおさえたものでなくてはならない。
「目的や文脈などはどうでもいい、良いものは良いのだ」と感じる人も、ひょっとしたらいるかもしれない。たしかに三つ目の層である〈意見〉は最終的には個人的なものであるから、そのような考えをもつこと自体を止めることはできない。
それでもなお、私たちはこれまでの歴史研究において何が適切な〈解釈〉とされているのか、それを踏まえて自分の〈意見〉を形成する努力を放棄すべではないだろう。
https://twitter.com/konoy541/status/1739830084150935787?s=21
その意味では普通の人が読んでる古典はほぼ必ず翻訳ないし翻案なわけで、「こういう意味です(諸説あります)」なんですが、そこで「え?確実じゃないの?なんか損した」と取る人と、「え?「解釈違い」があるの?おもろ」となる人とに分かれます。学問が進むのは当然後者です。
https://twitter.com/konoy541/status/1739996764340658382?s=21
うちの息子は年末のSASUKEが大好き。もちろん演出もあるんでしょうが、それぞれの挑戦と達成を参加者同士が励まし合い讃えあっているのが単純にいいんですよね。ゼロサムじゃない感じで。研究者もかくありたいも
の。
https://twitter.com/mvaldegamas/status/1740018479871500579?s=21
松本人志の疑惑について延々やってる官房長
記者会見をインターネットで見て、日本政府への質問というより幕府の奉行所への訴えでは?と思ってしまいました。
https://twitter.com/konoy541/status/1740167257370845553?s=21
風紀を紊乱する芸人役者の取り締まりが甘いとお上に訴える反骨ジャーナリズムとはこれまたなかなか。
https://twitter.com/konoy541/status/1740173317271904694?s=21
夜更かしした子どもに、どうしてこんな悲しそうな話観てるのと聞かれて、「パパも含めてほとんどの大人の人生は、大谷翔平よりは、ここに出てくる人たちの方に似ているからだよ」と答えた。戦力外通告2023の話である。
https://twitter.com/konoy541/status/1740225069648089588?s=21
あ、そうそう。「出捐」もありますね。
https://twitter.com/konoy541/status/1740209133931098156?s=21
あるいは「募金に応じる」だろうな。
https://twitter.com/konoy541/status/1740208921372221603?s=21
これ私も気になる。出す方は「醵金」だよね、という。
https://twitter.com/daihiko/status/1740194727717474388?s=21
気になる言葉というのはいろいろあって、その中でも誤用率が高いのに「募金」というのがある。「募っているが募集してはいない」というのを思い出すが、これは「金を募る」という言葉なので、金を集める側の言葉なのだが、寄付してきたことを「募金してきた」と言う人が結構いる。
https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1549331133527367685?s=21
党派的言説というものが持つ共通性は「その一歩先を考えない」ということだと思う。
https://twitter.com/konoy541/status/1740271287078170718?s=21
下RT。これはそう思うが、他方で、「一歩先の帰結」に気づいている人にあってもなおそのように言ったり振る舞わなくちゃならないような状態こそが、リアルに党派的な社会ということなんだろうと思う。
https://twitter.com/iida_yasuyuki/status/1740361253410009412?s=21
彼/彼女らは左右とかではなく、学級委員長的な何かを保ちつづけた大人であり、その存在に何か一定のニーズがある
。。。ということを見える化してくれる話だ
なぁ
https://twitter.com/konoy541/status/1740555349651005710?s=21
同じ党派の人なら「鋭い着眼」であるものが違う党派の人のものなら「雑な断定」に、「周到かつ丁寧な考察」は「一応の保険を両方にかけたいやらしい議論」に見えてしまうのかも、というくらいの自省はあらまほしきものです。
https://twitter.com/shigotano/status/1228700485047083008?s=21
「人生が変わった」という言葉、よくよく考えるとおかしいよね。
人生って生まれてから死ぬまで完全ノーカットの超絶長回し映画のようなもので、脚本もなく、すべてアドリブで進行するのだから、変わりようがない。
ただただ、時間とともに進行していくだけ。
https://twitter.com/rashita2/status/1741037207450988991?s=21
一方で、いま notebookの項目に入れているアイテムには違和感は感じない。つまり、単にUIだけの話ではなく、自分がその対象をどう捉えているのかという認識と、ビューが促す認知の一致・不一致の話なのだろう。
https://twitter.com/rashita2/status/1741037900131930485?s=21
僕がアイデアメモとして書き出す項目は輪郭性が弱く、いつでも他と交じり合おうとする。一方で、行動に関する項目は、書き換えや配置換えが起こるにせよ、認知的には一つの塊を有している。
あるいは、その逆か。
https://twitter.com/masayachiba/status/1740688961205661791?s=21
これは前にも言ったと思うけど、強迫性に悩んでますと言ったら、ある精神分析家に、強迫性がなければ勉強ができるようにはならないですよ、と言われた。
https://twitter.com/masayachiba/status/1740694689265922181?s=21
僕はつねに、深く考えないことのかけがえのない価値を片方に捉えながら、自分の仕事をすることをポリシーにしている。
https://twitter.com/finalvent/status/1740534409265381665?s=21
聖書というのは、日本人というか、東洋人は、中華的な聖人規範のように読みがちで、脱魔術化した近代ではジェファソンなんかもそれに近いけど、古代西欧では聖書は法源機能を持ってる。キリスト教が修道院展開やカルト化しやすいのも、聖書に法源性があるか
ら。
https://twitter.com/finalvent/status/1740536128791580855?s=21
ユダヤ人が散らばってもコミュニティ維持されるのは、聖書の法源性が大きい。これを、次に受け継いだのがイスラム。
https://twitter.com/finalvent/status/1739802816942883221?s=21
町から書店が消えたが、町の書店ではそもそも新しい時代の書籍需要と噛み合わない。町の書店は昭和文化だろう。
https://twitter.com/finalvent/status/1740145461447827772?s=21
没頭というのは、自分を自然忘れてるときだなあ。
https://twitter.com/finalvent/status/1740145906845180367?s=21
読書というのは、「没頭する能力」みたいなものを要する。これがなかなか難しいことだったりする。
https://twitter.com/rashita2/status/1740321421057028243?s=21
「力加減」と似た感じで「考え加減」みたいなのが案外大切かもしれませんね。これについてはこの辺で考えるのを切り上げよう、みたいな。
https://twitter.com/finalvent/status/1741245667971043433?s=21
<政治資金規正法違反の不記載などの罪の時
効にかからない去年までの5年間>
これまでは慣例でグレーだったんじないの。
だったら、「今後は厳しく取り締まります」とアナウンスして改善を促せばいい話だったんじゃないのか?
これを政局に持ち込む官憲権力が問題では?
https://twitter.com/finalvent/status/1741251966599340071?s=21
60歳で新しいチャレンジは、これからは当たり前になると思う。
70歳くらいまで細々雇用は守られるかも知れないけど、余生のビジョンを組み換えるのは60歳あたりだろう。
https://twitter.com/ganrim_/status/1741049845258105269?s=21
「ヘイトは決して許してはならないが、「しかねないとする」認定権を持つ思想警察の存在もまた決して許してはならない」ということを政治哲学的に基礎付けられるのは自由主義だけであり、このことが自由主義が他の如何なる主義に対しても先ず制度的に担保されねばならない理由になっていますね。
https://twitter.com/ushidayoshimasa/status/1740726354193334753?s=21
トランスヘイトの言説がこれほど蔓延しているなかで、そのことに実存として(人間として)向き合わずに、トランスヘイトを助長しかねないとされている「議論」が成り立つ
(あるいはなされるべき)と躊躇なく言えるのが哲学なら哲学などいらない。ほんとうに気色悪い。
https://twitter.com/finalvent/status/1741268501460103217?s=21
イザヤ・ベンダサンは、「政治的天才の日本人、そして政治無能の我らユダヤ人」と言ってたが、あの自虐アイロニーは、山本七平の感慨ではなかったろうな。ホーレンスキーだろう。
当時も今も、ユダヤ人を「政治的無能」と感じる日本人は少ないだろう。
https://twitter.com/finalvent/status/1741269987741053013?s=21
人間種は他の霊長類に比べて長寿なのは、長寿者を集団に抱える生存上のメリットがあったからだ説があるが、まあ、今後はそのメリットは失なわれるかな。