2023/11/06-2023/11/10
おっさんを愛でる物語
定年退食のおじいさんふたり
ハンチョウ
ヤニすうふたり
後藤隊長、とか
何もやってない、ではなく、“今”、俺は何かあったら動ける、と思おう
「大変だ」と「できない」は違う。さらにいうと「生きていけない」も違う。
最高の調子のときの自分が忘れられない、そこに近づけようとするのは、向上心。まあ、完璧主義でもあるのかもしれないけど、悪い根っこから生えているわけではない。
今の時間がなんなのかといえば、「掃除を次にやらなきゃいけないけど、楽しい気分で手をつけはじめられないもんかなー」という愚痴と、「棍詰めて洗濯物をぶら下げてやったぜ、ヘイ!」という休んだりねぎらったりしたい気持ちの複合である。
▷火だるまで解散したら、「なーんだ」って感じで自民党は過半数を取れるんじゃないかと思うんだけどね。与党で3分の2とかは難しいだろうけど。
▷3回分をまるまる抱えて、新たに4回目とか相当疲れそう。
▷@rashita2 「“死に戻り”系の物語がすでに一定の市民権を得ているなかで固いことなど言いたくないけど、転生回数のインフレって頭の中がごちゃごちゃになりそう」って感じはしますよね。読んでないですけど。
▷異議申し立ての言葉が語調が強くなったり感情的になったりするのって、「声の一つ」として読み流されたくない、という思いがあると思う。 ある切実さをもって、「この生活を救ってほしい、そのためにこういう支援がなされてほしい」という思いを目安箱的なところに投じたとして
▷アンケート:この政策に賛成ですか反対ですか 賛成:192 反対:203 どちらでもないのでわざわざ変えなくてよい:5780 ……みたいな数字の「1」になって、会報のかたすみに載るだけの「意見」として扱われたくない、なんとか心を向けさせたい、目に留まりたい、というそんな願望。
▷でも、それで感情を乗せたり語調を強めたところで、「ああ、またああいう感じの人ね。またひとり」となるだけなんだよね、実際は。この広い世界の中じゃ。むしろ、ただの一票になりましょう。そういう達観こそがほしいよね。
▷「次の選挙、自分の一票を大切に使いましょう!!」的なアジテーションだけでなく、「“一票”以上の存在になろうとしないようにしましょう。勧んでただの一票になりましょう」という、一票としての生をまっとうする思想。
⇒冷静かつn=1であることを前提にした意見表明は、権利ではなくむしろ義務である。
(かなう願いや期待を滅却すると、声を上げる労力やリスクが今度は過大に見積もられる恐れがあるため)
自分の声に、自分一人分の声以上の重みを持たせたがっては駄目だよね。
「お互いに相手を一個の生命体として対等に尊重しよう」という契約とともに、「お互いに自分の意見を単なる一票として以上には押し付けないようにしよう」という共了解
right 道理
▷メモっていうのは語りやすいから、「メモを取ろう」という本が作られすぎ、それがある種の神話や強迫観念を生んで、「勝手に育つ」ドリームや発想法との混線を生むという気はする。 逆に「メモ神話の解体」というテーマがどこかに必要なのかも。
▷ユーレカ幻想もあるかな。あふれる風呂の水とか、落ちるりんごとか。アイデアというのは、小さくて、非連続で、革命的に変えてしまう大きな力を持っていて、みたいな。
▷「アイデア? 出るまで考えるんだよ」的偉人とその所作を広めていくべきなのかもね。
▷ #うちあわせcast 138 「本質」って言葉を使いたくない? のはなんでなんだろう。 open.spotify.com/episode/0L7Q5k… ▷雨よりも風の音がすごくてびびる。
「失くす」だけでは駄目でのう…
何か一つでも「捨て」切れなかった者は全て皆
その「捨て」切れないものを手に 再び立ち上がり去っていく…
自分の考えや文章、情報などを単位ごとに区切って保存しておき、必要に応じて呼びだして参照できる情報環境。いわばそれはセルフ・ライブラリなのだが、その総体を「ブログ」と呼ぶことも可能だろう。
個人の考えや情報を記し、後から参照できるようにするツールだったのだ」
もともとはJorn Bargerによる造語 weblog が出発点だった。
web-logのwebは、「World Wide Web」を引き受けていた。しかし、webという単語は必ずしもWWWを意味するものではない。ごく普通に「クモの巣」という意味もあるし、そこから転じて「クモの巣状の」つまり、複雑な構造を持ったものを指す意味もある。
だとすれば、私たちはそちらの意味で「web」を採用しようではないか。個人が情報を扱う上で、web的なlogというものを取り扱う装置。それが「ブログ」というわけだ。
⇒ああ、それはいいな。
(まさにこの日記)web形状となったログ。
書き散らかしじゃなくて、「つないで作っていく」感も出る。
教育で「権利」をどう教えるかみたいな話、「権利主張された側が嫌な顔しないようにしたい」方向の人をよく見かけるけどこれはこれで筋違いで本当に教えるべきは「嫌な顔されたくらいで権利主張をやめてはいけない」の方なんですよね。嫌な顔されるのは当たり前なんだから。
「権利主張に人が嫌な顔するのは許せない!」系の人もまたその反対側と同じように権利と道徳を混同してるところがあると思うのですね。
⇒「権利ばかり主張するのはわがまま」「かわいそうな人がいるなら助けなければならない」「不平等があるのにそれをスルーしているのは道徳的に汚らわしい悪人で、差別者でもある」みたいなところを切り捨てて、闘争を「より包括的な平等を達成するための一過程」と認識するのなら、権利の侵害もまた、社会的制裁の対象となってはいけないことにならないだろうか? かえって。
AIを使っていて、ひとつ、前よりも強く思うようになったことがある。それは、人間のあらゆる側面は、他の人間の存在との関係が本質的だということ。
いま人間は何を鍛え、伸ばしたらいいだろう。Alにできることを見ながら、人間の特性を厳しく削り落とし、何が残るのかを考える。人間一人ではなく、人間が複数いるときに問題となる「現実界」(ラカン)が、決定的にデジタル生成物には欠けていると思っている。今のところは。現実界について考える。
太平洋戦争時の日本でも、開戦3年が経ち、サイパンが陥落しレイテで連合艦隊が取れた
昭和19年10月でも、配給で買い物できるくらいには生活できていました。最後の半年で諸々が決壊するように悪化し、経済が崩壊していきました。開戦2年目のロシアなら、こんなもんだと思います
プーチンからすればわかり切っていたことだと思うが、これだけの規模の戦争を始めても、多数の国民はつつがなく日常を送ることができ、かつ戦争をしている現実を受け入れて、大規模な反戦活動を起こさないことが身を持って確認できた。これは政権にとって、大きな収穫だったのではないだろうか。
デカルトの凄さはいろいろあるだろうが、僕がすげーなあと思うのは、見切りの良さだ。
間違ってるかも知れないが、概ねこれでいいんじゃないのという奇妙な生活意識がある。
デカルトは、屈折光学、幾何学、気象学をまとめる理系の人で、いろいろあって神学や哲学でごちゃごちゃしたからその導入に『方法
序説』を書いたらそっちが受けて、王女様から推しにされて、彼女と文通してたら主要著者『省察』ができた、という人。
Cogito, ergo sum.とするとcogitoがあるように見える。Je pense, donc je suis.だと、penser がjeと割れる。デカルトは、penserを、いわば、AIのように見なしていた。神が
授けた理性(聖霊)というのは現代でいえば、AIである。で、これが、「私」を計算導出したんたから、「私は存在する」でしよ。
存在というのは、「自分はそんな気がする」ということだと思うよ。
lam sad.
「私はがっかりした気がするというふうに存在してる」
ということ。
AIフィクションは、AIが人間を愛している、という原型をなぜかもつ。これは、神が人を愛している、に近い。人間存在は知性体にエロス的に愛される存在なのだろうが、これは、実は悪魔とも同家なんですよ。
マルクスを生み出したのはルソーでしょう。
ただ、ルソーへの誤解とも言えるけど。
植田重雄は
について、神を知ることをエロス的合ーと見ていた。
日本語の古語の「しる」にもその語感がある。
ここから、知性だけを純化したものが悪魔だ
ろうな。
栗本慎一郎は、人は生殖器を見てなぜ興奮するか説明できない、と言ってたが、人間のエロス直感が存在とどう関わってるかは、バタイコくらしか考えてないし、どうもこれを一番理解してたのは三島由紀夫っぽい。
割と高頻度で「ハッとさせられ」てる人、普段の意識覚醒レベルは大丈夫だろうかと心配になる。
現代には、取り組みがいがあり、それによって人生の意味に確実に自信を持てるミッションがたくさんある。だからこそ、無駄なことで人生を浪費する意義が、いっそう深くなっている。
「ボブは訝しんだ。」ってよく見るなあなんだろと思って調べたらニンジャスレイヤーが元ネタということがわかったんだけど、「ちなみにニンジャスレイヤーで使われたことは一度もない」とも書かれててわいらは訝しんだ。
若手なんてものはいつの世も、シニアが激賞するような若手がしばしばシニアたちの感性のジェネリック版であることをとっくに見透かしていて、「そりゃ、あんたがたに面白がられるようじゃ焼きが回ったってもんよ」くらいに思っているところもあるものではなかろうか。
ロスジェネの扱いえぐない?
スゲー、再分配の行き届いた理想的な社会主義国家だ。年齢による偏りや公正性のことは知らんけど。ソビエト連邦みたいな崩壊に至らないといいですね。
働けない人を働ける人が食わせる。働ける人から働けない人に再分配を行い、一億総活躍社会をやっていく。じゃあ日本のこれって、まるで社会主義国家のスローガンじゃないですか。「日本は理想的な社会主義国家」みたいな言説は昔からあったけど、現在ほど似つかわしい状況はかつて無かったのでは
一方で別の国では1人しか誘揚されてないので5,000不快しか出ないが、ロリコン漫画が
コンビニで売っている
店では毎日300人ほどがそこを通って視界に入れる。すると1日300不快、1月9,000不
快、年96000不快が発生する。合計
101000不快だ。こっちの国の方が体感治安
は悪くなる
だが実際の夜害児童の数は半分なので、実際の治安は最初の国より後の国の方がものすごく良い
しかし、人間というものは見えない場所で知らない児童が性的に虐待されている国よりも、見える範囲にエロ本がある国の方が「性的に乱れている」と感じる生き物で、そこで体感治安と犯罪率が逆転するのである
それに誘拐される人数だって10000人に1人が10000人に2人になっても、ほとんどの人間は気づかない。そもそも性犯罪者は「身寄りが無く知人の少ない子供」を狙って拉致するからな
そうなると児童が2倍誘拐されるがエロ本が規制されてる国のほうが、不快が目に入る量が少ないってことになる