2023/10/26-2023/10/31
#採掘場
『体育がきらい』
体育が嫌い>運動部が嫌い>スポーツが嫌い>運動が嫌い
まあ、私は付属物が嫌いな以前に、肉体(指先を含む)でなにかやることそのものがそんなに好きじゃないので、わりとどうにもならなかっただろうし、苦手なことを、そうじゃない人と一度にやって、しかも成績が付いたらさらにさらに、どうにもならなかっただろうな。
▷ちょっと息詰まるというか、目寂しい感じになったら、自boxで「同時期のお気に入りが以下」と検索する。
▷まあ、その前段階に(非公開)リストを見るわけだが。
▷元ネタというか元現象というか、物理的に見れば「そりゃそうだよ」なんだけど、比喩として、人間心理として見たら、辛辣、というか、救われないよなあ。
https://twitter.com/rashita2/status/1719118482863009992?s=21
燻っていると、燃えやすい。
▷このお父さんことかわぐちかいじさんの、自分の頭の中こそ人生のメインだという感覚はみにつまされる。 #2 父・かわぐちかいじ、娘・ニラコに自らの半生を語る | Souffle(スーフル) https://souffle.life/manga/kaiji-kun-chi-no-nirako-san/20221228-2/
▷まあ、私の場合、実生活ぼやっとしてるとか、脳内のほうが迫力があるようなことはなくて、そりゃもう「現実からは逃げられないよね、迫ってくるよね」ではあるけど、 それでも脳内のほうが注意を払いたいし、楽しいし、時間を注ぎたいくらいのことはある。
▷RT これくらいの書きっぷりだと、まあバランスのいい範囲かな、と感じる。 「忖度」とか「癒着」とか陰謀とか、そういうワードは選んでいないからね。
▷あー、連ツイの先を読むと、「気付かせないように」とか「誘導」とか言っちゃってるか。うーん。 それは逆方向への「誘導」なのでは?
▷実際のところは、視聴者側の「ピンチ→解決」という無意識のストーリーテリングに沿う形で番組を作っちゃってる、ってところなんだろうけど、それが結果的に全体を維持する方向に働くね、という程度の現象なのだろうけど。
▷飛飯綱、纏飯綱、アバンストラッシュクロス
▷23/10/21 就活に苦しむインテリの学生に社会の真実を教える - LWのサイゼリヤ https://saize-lw.hatenablog.com/entry/2023/10/21/185938
▷MTG=; ○ミーティング × マジックザギャサリング
▷文化や構造にも合理性があって…、という話は構造主義的な視点の持ち方とも言えるし、どっちが優しいのか、という二項対立をときほぐすという意味では、脱構築っぽい頭の使い方でもある。
▷どうせ学ぶなら、そこまで視野を広げてから社会に出ようぜ、ってことでもある。
▷マナー講師に権力を与えているのもまた庶民、ということもあるのかな。 どちらかに決めてほしい、プロトコルを統一してほしい。
▷「この新しいもの、私は好きだけど、それを好きじゃない見ず知らずの誰かの生活圏に持ち込んで、反感を持たれないための、世間一般の、水準となる規範は何かな」 というのを探りたくなる欲求があり、それを自力だけで探す手間か、結果を背負い込む覚悟かがなくて、人の発言を待ってしまうというような
← 2023/10/21-2023/10/25 / 2023/11/01-2023/11/05→
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231024/1698146072
ここでいう「体」とは体裁の「体(てい)」のことだが、「他の人に向けた一貫性を保証すること」というなら「キャラ」という言葉も近い。このブログ記事の旨いところのひとつは、「キャラ」という似て非なる語彙によらず、わざわざ「体」という語彙を用いているところだと思う。フォーマルな場面を想定しやすくなるし、後半の「本心vs嘘というパラダイムを捨てる話」や「不問に付すという行為の正体の話」の筆致との統一感がすごくいい。この「体」を軸に据えた中心とした言葉運びのおかげで、内容が役立つ場面が想像しやすくなっている。
こんな素晴らしいブログ記事がいつでも書けたらいいんですけどねえ。もし、こういう記事を毎月書いていたらプロすぎでしょう。でも、ここまでの記事を量産できる人はそう多くないし、へたにこういう記事ばかり狙おうとすると転びやすくなってしまうからブログの道は難しいものですね。
たとえば自分はこういう分野が得意で関心を持っているという情報。そういう情報を「体」として出せば、周囲の人は「おまえ、確かここの分野が得意で関心を持っていたよな?」と思うようになり、そういう分野の仕事を引き受ける確率に影響する。ただし、そのような「体」の表明はそういう分野の仕事ならある程度の骨折りを私は惜しまないですよ、というお引き受けのマニフェストを否が応でも含んでしまう。
予測不能性は、職場の運行に際して困るからだ。同僚の残業を30分増やす程度ならまだいいほうだ、後日ちょっとしたお返しをすればそれで済むから。それで済まない事態はできるだけ避けたい。
してみれば、「体」の表明が適切にできるかどうかを就職志望者に問うてみることは職場にとってかなり重要かもしれない。「体」を表明し慣れている人は、自身の行動を適切にシグナリングできるだけでなく、もし急に気が変わっても当面は「体」を尊重し行動してくれると(ある程度まで)期待できる。
「体」は自分が社会適応しやすくするためのマニフェストという点では自分のためだが、自分に関する他人の理解をはかどらせる、意思疎通をしやすくし、自分の将来の行動を予測づけしやすくするよう情報提供しているという点では他人のためのものだ。
https://saize-lw.hatenablog.com/entry/2023/10/21/185938
ちなみにインテリは主語が大きな話に慣れ過ぎているため、「周りが困る」と聞くと「そのような人間は許容されない」みたいな思想信条の話だと誤解しそうなので釘を刺しておきますが、ここで言う「周りが困る」というのは「誰かの残業時間が三十分伸びる」という意味です。
また、本心ベースのやり取りに慣れているインテリは「自分が開示した体が本心であるかのように誤解されるのは嫌だな」と心配していることもありますが、それが外向きの一貫性に過ぎないことは面接官を含めて割と誰でもわかっています。
実際、間柄によっては「一貫性が体でしかないこと」を明示しても許容されるケースもあって、例えば割と親しい上司とのキャリア面談とかだと「いや~まあ本当はそこまで興味ないんすけど、友達からのウケがめっちゃいいのでこの事業に興味がある体でキャリア積んでいきたいですね(笑)」「了解です(笑)」くらいのやり取りをすることも全然あります(飲み会はそういう「体」を一時的に解除する場として重要だったりもするのですが、これは職場によって本当に千差万別すぎるので深入りしません)。
裁判傍聴に行ってみるとよいと思います。大抵の裁判には裁判長の説教パートというものがあって、裁判長と被告人が「スマホを盗むと被害者が困ると思いませんでしたか?」「思いました」「もう絶対に同じことをしないと言えますか?」「言えます」というようなやり取りをします。この儀式を「本心では反省してなくても口頭なら何とでも言えるのに意味なくない?」と思うかもしれませんが、「実際には本心ではなく体を制御しようとしているのだ」と考えるとスッと腑に落ちます。「本心では反省していないが、外向きには反省した体で振る舞う前科者」と「本心では反省しているが、外向きには反省していない体で振る舞う前科者」では、社会への実害の多寡という観点からは明確に前者の方がいいのであって、外向きに反省のポーズを徹底させる口頭の詰問からはそういう圧力を肌で感じることができます。
雑語りと怒られそうなリスクを負ってアナロジーを一つあげておきます。今大流行しているAI技術は「本心vs嘘」の代わりに「体の一貫性vs体の不整合」を重視したからこそ現在の力を得たという見方もできます。AIはかつては「真である命題を論理的に積み上げて出力を得る」という真偽のロジックベースで推論を行っていたのですが、そのやり方には限界があったため、「(本当かどうかは知らないが)それっぽく一貫した繋がりの文章を出力する」という体裁を整える統計ベースの考え方に移行したことで世界を変革しました。
確かに、体にこだわることによって本心の議論が放置されることは事実です。しかしそれは必ずしも「本心を蔑ろにする」というわけでもなく、むしろ「本心を不問に付す」ことで他人の内面を保存して尊重する人道的な振る舞いでもあります。つまり「本心でなくても体さえ一貫していればよい」というのは、「体さえ整っていれば本心で何を考えていてもよい」ということでもあります。
岡田索雲『ようきなやつら』に所収の『忍耐サトリくん』という短編漫画
「結果が全て」みたいな話もそうで、確かに仕事において見られるのは外向けに開示される部分だけなので結果以外は捨象される傾向がありますが、それは「結果以外は蔑ろにされる」という意味でもなく、「結果以外は不問に付す」というある種の優しさが含まれている場合がけっこうあります。
新卒向けにものすごくプリミティブな例を出すと、例えばやむを得ない事情でMTGに遅刻した新卒が「家の目覚ましが壊れててそれは弟が悪戯をして~」みたいな結果に至る経緯を延々と話し出すことがあって、それを上司が「いや遅刻した結果が全てだから」ってスパッと言って新卒がガーンとショックを受けるみたいな光景はどこにでもあります。でもそれは必ずしも「結果が遅刻なんだからお前はゴミという結論は動かない!」と言っているわけでなくて(注:そう言ってる上司もけっこういますが!)、「結果と関係ない過程は不問に付すからそこで責めたりはしないし、そんな熱心に説明しなくてもやむを得ない事情があったんだと勝手に解釈するよ」っていう優しさによる打ち切りであることがよくあります。
社会はバカでも理不尽でもない、あとは社会人の友達に聞け
ちょっと長くなったのでまとめっぽいことを書いておくと、社会には社会のロジックがあって、それはインテリのロジックから衝突することも多いけれど、それにはそれなりの合理性があって、優しさとか寛容さも割と含まれていたりします。理不尽に直面したら「社会にはバカしかいないから」みたいな思考放棄に逃げ込まず、どこに合理性があるのかを考えてみてください。
あと最後に、就活周りの言説ってネットだと社会不適合者の声がデカくて「うんうん、就活ってクソだよね」みたいな反応しか得られないがちなので、身の周りにいる社会人の友達を呼び出して聞くのが一番いいです。ゲーム繋がりでもカード繋がりでもいいので、「いやそれにはこういう意味があって」みたいなことをちゃんと教えてくれる信頼できる社会人の友達を捕まえてください。
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/100i_an.html#01
(予備知識:百人一首の歌の並び順は、ざっくり年代順になっている。また、万葉集に収録の歌は、細部が多少変わったり、読み手が仮託されたりしながら、後代に収録されたりする)
⇒これで見ると、ざっくりと、
万葉集:1〜4
古今和歌集:5〜36
新古今:46〜94
という感じに読み取れるかな。
万葉集は、「しろたえ」とか「富士」とか、「わー、すげえ」って感じの歌や、率直だったり、生活感があったり(意訳:貧乏)、する歌があることになる。
古今は、「花の色」とか「をとめ」とか「初霜」とか、なんか“きれい”なのが多い。
新までいくと、なんか、叶わない恋を一人でうじうじ言っているようなのが増えてくる。
「雨になってしまいすいません」自分に責任のない問題への謝罪が信頼性を高める|ナゾロジー
https://twitter.com/masayachiba/status/1716812383774195867?s=21
音楽は根本にそういう欲動の奔流があるので、それを一定の形に収めようとするディシプリンはだんだんと過剰に神経質になり、元が暴れることだからこそその去勢が高度に発達し、ピアノのレッスンが近代的身体訓練の一環になり、はたまたある種の「クラオタ」の保守的道徳観みたいなものにもつながる。
https://twitter.com/masayachiba/status/1716810923011346707?s=21
なぜこういう話をしてるかというと、人は騒ぎたい、うるさくしたい、わけです。それは暴れることの一種であり、わーっとうるさく騒いで、ガチャガチャガチャガチャ鳴らすというところから音楽が出てくる。
https://twitter.com/finalvent/status/1716638343344312642?s=21
「Bonjour」は「こんにちは」というより、「危害加えませんから」的な感じかなあ。英語のHelloもそうかな。日本だとそういうニーズはないかも。
https://twitter.com/masayachiba/status/1716640631253303488?s=21
人は他人にも自分と同じような生き方をしてほしいと思うもので、それは自然な欲望である。だがその我慢を学ぶ必要がある。
https://twitter.com/masayachiba/status/1716641775224512812?s=21
自分自身を励ますための文をつくること、なんとなくではなく、構築された文として、「励まし文」をつくることは、人前に出さなくても頭の中でやっていることで(それを人前に出すのは恥ずべきことだという価値観があるが、僕はそう思わない)、そのような作文は人生にとって重要なことだ。
https://twitter.com/masayachiba/status/1716639642584486323?s=21
ネット上の発言は、何かについての論評だとしても、それぞれに独特の生き方をしている
各人が自分自身を励ますために言っていることが多いのだろうと思う。僕のツイートはそれが多い。人がみずからを励ましているところに水を差す必要はない。
https://twitter.com/unajiperopero/status/1717388210350006382?s=21
むしろ、歴史的に奴隷とか解放奴隷を重用してきた君主って、友達(協力者)がいなくて人間不信なタイプが多いこと考えると、奴隷と仲良くなる話を好む読者が多いことのメタ的な意味を考えた方が、若干「ウッ!」ってなる
https://twitter.com/aiaisfosarustar/status/1717383080112218112?s=21
擁護ではないんですが、Web小説あれこれ読んでてよくある「異世界に転生した主人公があっさり奴隷制度に溶け込む作品」よりも「異世界の奴隷制度にいっちょかみして主人公の善性をアピールする」感じの作品の方が読んでて強めのキツッ!になりがちな気がする。(個人の感想です)
https://listen.style/p/bookcatalyst/dy1p3evb
自分が10人のチームを作るんだとしたら、そういう悪意を持つ人は1人もいてほしくないけれども、
1000人の会社だったらやっぱ50人とかはそういう人がいないと困るなというのは理解できる。
僕の読書メモで悪意の冷蔵に出ているとか言ってますけども、存在理由とは何かで、本書の中でいろんな形のその悪意の現象っていうのが紹介されるわけなんですけど、
⇒“冷蔵に出ている” ……。すごく苦しいダジャレみたいw
『悪意の科学』
https://twitter.com/akizukid/status/1719132859401977990?s=21
財務省のstovepiping
"ストーブ・パイプ(煙突)とは、官僚組織が縦割りのため、収集した情報や作成したインテリジェンスが横の組織間で共有されない状況を指します。”『武器になる情報分析力』上田篤盛 https://twitter.com/ohkumaneco/status/1241138158860787712?s=21
英語圏では、縦割り組織などをストーブの煙突を比喩にするのかな?煙突の中にいると、隣の煙突のことはわからんよね。
https://twitter.com/akizukid/status/1719131456143077511?s=21
⇒まあ、タコツボはないだろうしなあ……
『鬼滅の刃』
さぁ お前の大嫌いな死がすぐ其処まで来たぞ
https://akizukid.hatenablog.com/entry/2023/10/30/061917
さて、この時点で、今までヴェーバーと夏目漱石に注目した先達がいるかどうか。
それを調べる必要があります。
論文を書くのであれば、それらの文献、書籍、論文をすべて手に入れて、まずはリスト化する必要があります。
そして、すべてを読む。
そうした作業を踏まえて、オリジナルなロジックを展開していくのが論文を書く作業になると思います。
ただ、ここはブログですので、そこまで厳密なプロセスを経ることなく、ある程度自由に書くことができます。
自分が考えたことをすでに誰かが考えていたとしても、特に問題はないわけです。