2023/10/16-2023/10/20
#採掘場
感情のマネジメント
部屋を片付ける⇒しょうもないこと
▷「テンションを上げないまま自分を動かす仕事法」みたいなのがあるといいんだよなあ。
テンションが上がらない今日の自分、に焦りや負い目を感じないで取り組めるように。
怒りとか不安があれば、動かすことができる
電車に間に合うために一時的に急いだなら、電車に乗った後の読書ははかどらなくても仕方ないとする。
ただ、高い目標や早い着手や早い集中を求めなければ、気晴らしがいらなくなって、プラスマイナスはそう変わらないかもしれない。
責任なんてもんを果たしているから、気晴らしや寿命が必要になる
主張本体じゃなく、途中に出てくるラベルがほしいだけ、みたいなメモの取り方になることがある。
(まず記事の主張に賛同しよう)
▷Evernoteでなんでもやろうとするのは、確かにおかしな方向の進化だったけど、Egretlistとかのころはワクワク感があった。
▷また、最近は一箇所に保存の流れは破綻してきているとはいえ、ごく初期にEvernoteを使っていて、一定のテーマで、webクリップと自分のメモ・ノートが一列に溜まっているのは、自分がwebの知に参加しているような錯覚があって興奮した記憶がある。
▷分かりにくいかもしれない。まあ、webで見つけた仕事術のtipsページのコピーと、自分の業務上の気づきをメモしたノートがアトランダムにスクラップされている感じ。 これは、Twitterのタイムラインが幻覚なのと同じように幻覚なのだけど、自分がライターさんと同格に参加できているような気分に
▷なれたわけなのだよな。
▷フェイク生成動画をフェイクだとことわって流すのは合法? 画面の左上に、「イメージ映像」とか「再現VTR」とかと表示するのと同じ感じで。
▷漫画の読み放題アプリやサービスの広告が、TLにときどき流れてきて、その目玉として、往年の結構な有名作が表示されてくるんだよね。「ええー、売り出し中の新人や、企画モノだけじゃなくて、こんな人気作も読み放題になっちゃうの?!」価格破壊だなー、待つだけでタダになるんだなー、と思い
▷はするわけだけど、今の子にしてみたら、それで試しに読んでみて、過去の蓄積された作品群の中にすごく面白いものがあったとしても、「こんな面白い作品を見つけたよ、みんな知らない?」「読んでみてよ」と言っても周りの誰かと共有できる可能性はすごく小さいというのは、
▷けっこうなガッカリポイントになってしまうかもしれない、ということは少し思った。
▷まあ私は、「話題のタネにするために抑える」とか「人気作だから読む」「人気になっているとおもしろく感じる」みたいな精神性は、どちらかといえばバカにする人で、自分の感受性にこそ焦点を当てて、快楽のツボを掘り下げようぜ!! と思うんだけども
▷ただ、そういう楽しみかたはあまりにも閉じているとも言える。「これからの時代に必要な精神性ってこういうことだよな! そう思わねえ?」って複数人で(必ずしも大人数でなくても)ぶち上がる気分になれることも、物語のそれなりに重要な要素なんじゃないかって。
▷はあ
▷実際の親子関係においては、「子も一個の人格として、対等の権利を有する」ではなく「親がやれと言うことをやる限りにおいて、飯を食わせるし、やるなということを守る範囲において、失敗の責任を被ってやるし、安全も保証する」という社会契約的な本質を法体系の基礎としてもらえんもんかな!
▷(愚痴)
▷こっちが一個の人間として、感情的に相手から妥協を引き出したり、ぶつけ合って喧嘩したりができないから。 「親はいかなるときでも子供を見捨ててはならない」というテーゼが置かれてしまうと、こっちが奴隷になってしまうんだよなぁー
▷@rashita2 「○さ」は深浅どちらにも使えるわけですね。
▷渡部昇一だったかなあ、が昔、対談本かなにかで、「演義じゃない三国志なんて抜け殻みたいなもの」(意訳)的な会話をしていて、「この人、馬鹿にされるのが怖くないんか?!」ってはために(というかなんというか)びっくりしたのを覚えている。
▷《「『ケアしたくない』なら、ただ黙ってそうすればいいだけなのに」って? 違うな。「ケアしない自分は正しい」って立場ごと手に入れなければ落ち着かないんだ。だから、困っている人の存在ごと、問題提起している人の存在ごと、消滅させなければいけない。そうしないとうまい酒が飲めないからな》
▷この世界のすべてをハッピーにする余力が誰かの手にあるわけではないから、「困っている人から目を背けることができない」特質を持っている人が、裏では別のタイプの手が届かない人につらく当たっている可能性もある。
▷免罪符や懺悔室のような機能が必要だ。 それは個々人の精神の内側においてすら。
▷よく「叩いていい奴認定」って言葉があるけど、その手前に「気にしなくていい弱者認定」というのを広げまくらないといけない。
▷社会が問題解決に使える人的リソースだけでなく、個人の抱えられる疾しさの総量にも、おのずと限界はあるのだから。
⇒この観点でいうと、「守るべき弱者」の範囲を広げ続ける団体や、新たな弱者を見つけ続けるメディア、は、悪魔の所業ということになる。
← 2023/10/11-2023/10/15 / 2023/10/21-2023/10/25→
https://twitter.com/shigotano/status/1587320048406106112?s=21
やりたいこと全部はできなくて、どれもこれも中途半端になることに絶望しそうになっていたとき
「人生をマラソンのように感じていたけど、駅伝のように考えたらいい。自分が成し遂げなくても、子孫がなにかやってくれたら自分がいた意味がある」
という一文を見かけて、気が楽になった。
https://twitter.com/yuichi_hosoya/status/1712984761675976790?s=21
書かなければいけない原稿も、終わらせなければならない事務作業も山ほどあるのに、国際情勢が動揺すると、自分の心も動揺する。精神的な修行が足りないのか、あるいは国際政治学者の性か。困りものです。
https://twitter.com/honnoinosisi555/status/1711956727271510426?s=21
「ポップスとロックは、暇を持てあました十代の若者が、個室でギターをいじくり回していたために生じた。「失業が万人にギターを運んでくる」と言われる。しかし、「十代」という概念は、第二次世界大戦後の好景気によってもたらされた余暇と余剰金のなかで発明されたものだ」(『音楽の人類史』P68)
十代の反乱は労働に向けられている。音楽社会学者リチャード・ミドルトンは、堅苦しい言葉を使って、これを「産業界の時間統制に向けられた敵愾心」と呼んでいる。
⇒同じ写真の中から、こっちを引用したい。
まあ、「所詮は安全で暇な連中がやっていること」という目線には、変わらずなるかもしれないが。
⇒「禁止されたくない、強制されたくない、そういう役割のある枠の中に入れられたくない」というだけになってしまって、ある意味しょうもない。社会で、生産することの背負ってしまっている、大人からするとね。
https://choiyaki.com/p1278/
Googleカレンダーにログを残したいが故に、手間に感じているのにわざわざGoogleカレンダーを使う。
ときには他のツールとの接続がうまくいかず、スケジューリングをミスったり。
Googleカレンダーに登録しているスケジュールをタスクリストと同列に並べるために、わざわざ複雑なことを試みたり、使いやすく感じてたツールから乗り換えたり。
で、いつまで経ってもタスク・スケジュール管理が安定せず、また別の方法を試みたり。
そういう諸々のことは、Googleカレンダーを使わない、という選択によって解消された。
https://wineroses.hatenablog.com/entry/2023/09/17/113146
どんなノートアプリを使うかより、本当に重要なのはキーボードのほうです。 ここをもっとカスタマイズしたい。
いろいろ試してみると、QWERTYが一番日本語に向いているんじゃないかという気がしてきました。 日本語用の配列が出てきては消えるのも、実際のところQWERTYで不便がないからでしょう。 不思議な話ですけどね。 アルファベットに合わせて発展してきた配列が、極東の言語にも対応できるのは。
⇒Dvorak配列やM式(楽々キーボード)配列よりもかー。
ライフログは体験の記述である - Jazzと読書の日々
軸は二つ。 「過去←→未来」と「外界←→内界」を直交させます。 これで四つの領域を作る。 DESCはそれぞれの象限に割り当てることができます。
D…事実。実際に何が起こったか。
E…感想。それに対し何を感じたか。
S…目標。どうなるといいか。
C…行動。これから何をするか。]
https://www.itmedia.co.jp/business/spv/2310/19/news094.html
HIROEN(ヒロウエン)とは、私たちが行う活動(仕事)は、必ず6つのレベルのタスクに分けることができるというもので、それぞれの頭文字をとったものです。
H:Hear(聞く)
I:Inform(伝える)
R:Request(依頼する)
O:Operate(作業する)
E:Examine(調べる)
N:Negotiate(交渉する)
HIROENとは、30年ほど前に、小林忠嗣氏が、著書『知的生産性向上システムDIPS(ディップス) 』のなかで提唱したもので、
https://finders.me/articles.php?id=3980
日本在住の外国人関連政策で私が良いと思っている制度のひとつは、在留資格の有無に関わらず子どもは公立学校に入学できることです。先生がその児童が不法滞在者かどうかチェックする法的義務も、報告通報義務もありません。
そもそも子どもというのは少なくとも15、16歳ぐらいまでは住んでいる国の学校に通うべきだと思っていて、そうでなければ働かされる、つまり児童労働の問題が生じてきてしまうからです。そもそも日本でしっかりした仕事に就こう、自己実現しようと思ったら、やはり日本語ができないことにはどうしようもありませんし。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231019/1697674271
フリーレンに自分をダブらせることができる。もちろんフリーレンは若い姿のエルフ女性なので、それが己をダブらせる際に邪魔になる人もいよう。が、オタク界隈で長くやっている人なら、そんなのは障壁にすらなるまい。
https://twitter.com/kama_iruka/status/1714069821963329571?s=21
批判と明確な中傷は違うけど言うて批判も怒りの娯楽中毒に片足突っ込んでるので「本当に自分がこの事に言及するほどの価値があるのか?思い留めるで十分では??」って冷めた視線は必要なんよな。
https://twitter.com/6yhsdsiswmcd/status/1714427104605979031?s=21
子供の頃に読んだ「ズッコケ山賊修行中」という本で「土蜘蛛様」という神を崇める宗教が出てくるのですが、これが普通の神様の逆というか、村人に呪いをかけて好ましくないことを引き起こすとされる神なんですよね。
でも村人には崇拝されている。それはなぜか、というと
https://twitter.com/6yhsdsiswmcd/status/1714428309210096123?s=21
自分に降りかかっている苦痛はすべて土蜘蛛
様のせいだ、と思うことで、人生における自己責任の苦しみを和らげているんですよね。
テストの点が悪いのも土蜘蛛様のせい、等々。
現代日本は無宗教と言われてますが、これと同様、他責のための「災いの神」を信奉している人は少なくないと思います。
https://twitter.com/6syaku_houshi/status/1586291909118418945?s=21
僧侶として新興宗教脱会の相談を受けていて
よく耳にする「新興宗教に入信してから心が軽くなった」というのは、多くの場合「人生の選択と決断のコストを宗教的教義に委ねられるから」なんですね。つまり自分で決めなくて良いという状況が楽なんですね。裏を返せば、大切な選択や決断すら出来ないような
https://twitter.com/6syaku_houshi/status/1586293017874268161?s=21
精神的、肉体的、経済的な状況にあると、人は絶るものを欲してしまう訳ですね。
例えばそこで伝統宗教(寺社など)と縁があると、根本治療として生活自体の改善を指摘される場合が多い※もちろん例外もある
しかし新興宗教、カルト宗教にとってみれば研修の要らない新人のようなものですから、団体に
https://twitter.com/mehori/status/1714658851159683428?s=21
「いまのイスラエルの紛争のフェイク情報について解説をシェアしないのは、結局多くの人は反対陣営の誰かに投げつけるための自分の文脈に都合のいい『真実』を探してシェアしているだけだからだ」
この重い無力感はわかる
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1714219300767367299?s=21
仏国の思想界では今、近代啓蒙を継承して普遍主義・世俗主義と科学尊重を堅持するタイプの左派論客達が、米国流のアイデンティティ政治と共同体主義に入れ込む極左のウォーキズムに抵抗している。「極右」という不当なレッテルを貼られながら、反ウォーキズムが左翼のものであり得る事を証明している。
https://note.com/econ101_/n/n1316f05c487f
20世紀のあいだ,少なくない西洋の左翼はスターリンを擁護したり毛沢東を偶像あつかいしたりクメールルージュの大量殺戮を否認したりしてたからね.でも,少なくとも,そういう20世紀の〔社会主義・共産主義の〕護教論者たちは,ああいう体制がユートピア社会を建設しようとしてるんだと自分たちに言い聞かせることができた.「他人の頭骨を」――いや,ちがったかな――「卵の殻を割らなくてはそこには至れない」という話だったからね.これと対照的に,ハマスは宗教的な右翼集団で,その支持者たちは明示的にナチの意匠を用いてる.そんな集団が,いま彼らから声援を送れる最良のチームなんだとしたら,左翼の人たちはずいぶん堕落してしまってる.
というか,「堕落している」というのが実のところ,ここでのカギなんだと思う.20世紀の共産主義の企ては壮大に失敗し,その後のウゴ・チャベスみたいな巻き返しの努力も失敗に終わった.植民地支配からの脱却は実現して,ヨーロッパのあれこれの帝国は消滅した.ヨーロッパでは社会民主主義が成功したけれど――社会民主主義の成功は,つまるところ革命ではなく改革思考の進歩派たちが推し進めた結果だった――その成功にはこれ以上の改善の余地があまりないことを認めているように思える.スウェーデンの労働者たちは革命なんてはじめそうにない.だって,スウェーデンの社会民主主義は〔彼らにとって〕実に結構なものだからね.
この結果,西洋の左翼たちには,戦うべきものが大して残っていない.たしかに,こんな主張をする人たちはいる――「アフリカやラテンアメリカの国々はいまだに『植民地化』されてる.だって,輸出してる天然資源に見合うだけの対価を支払われていないじゃないか.」 でも,そんな主張を実際に信じてる人はほんのわずかしかいない.まして,路上でデモ行進をしようという気を起こす人となると,いっそう少ない.それに,「ネオリベラリズムのせいで世界もアメリカも貧しいままになってしまった」と左翼の人たちがうるさく言いつづけてるにも関わらず,世界の貧困が急激に減ってきてることやたいていのアメリカ人たちが物質的に不安がないことを,ある水準では誰もが知っている.
パレスチナの大義は,ちがっていた.あれは,こういう「歴史の終わり」の倦怠感の例外だった.ここには,とってつけた理屈ではなしに,現実に一目瞭然の抑圧があった.ここには,脱植民地の解放の戦いと言っても(いくらか)もっともらしく思えるものがあった.アメリカと同盟してるために,イスラエルは西洋の一部と言ってもおかしくはなくって,おかげで西洋の左翼はこれに対立するのはおかしくないと感じられた.それに,たいていの主流の進歩派はイスラエルが存続し続けることを本能的に支持してるから,この論点なら中道左派の本流から西洋の左翼が自分たちをくっきり鮮明に区別する線引きができた.
https://twitter.com/masayachiba/status/1713746772793884931?s=21
聖なる場所というのは、まあ、その経営は実際には資本主義にまみれているにせよ、一応、世の中のあれこれから分離されているわけで。大学にもその機能はあったし、あるが、最近はそうでもなくなってきた。
https://twitter.com/masayachiba/status/1713748329438589072?s=21
価値やイデオロギーの争いが宙づりになる場所。聖なるものとは分離であり、宗教とは結びつけるもの。だから、聖なるものと宗教には対立がある、とジャン=リュック・ナンシーは言った。宗教より手前の聖なるもの。芸術、遊び、学問はそれに関わっていると思う。
https://twitter.com/masayachiba/status/1713757127695884346?s=21
午前中、吉本隆明を読んでいて、かつてマルクス主義系理論が持っていた権威性は途方もないもので、それとの対時でものを考えることの当然視っぷりに今更「そうだったんだなあ」などと思ってしまった。
https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/20090503/1241340187
情に流され、男を見せるのは読者としては心地よく、ついつい感情移入したくなってしまう。なぜなら我々は常にそうやって生きていきたいものであり、人に良く思われたいという思いが尽きないからである。
https://fuum.me/archives/117
征夷大将軍という官名は意味合いは同じでも何回か呼び方が変わってるんです。
<征夷大将軍と同官の初代>
陸奥鎮東将軍=巨勢麻呂(709年)
征夷将軍=多治比縣守(720年)
征東将軍=大伴家持(784年)
征東大将軍=紀古佐美(788年)
征夷大将軍=大伴弟麻呂(794年)
いずれも、意味合い的には全て同じです。東方方面の軍司令官の立ち位置なので。なので、この考え方からすると、巨勢麻呂が初代ということになりますが、正式な官名としての征夷大将軍の初代は大伴弟麻呂ということになります。
ちなみに、あの有名な「坂上田村麻呂」は大伴弟麻呂の次の征夷大将軍です。「阿弖流為(アテルイ)」と戦ったとこでも有名ですね。