2023/10/11-2023/10/15
▷そういえば、私は技術や反射神経の必要なありとあらゆるゲームが苦手だけど、それでもマリオカートとグラディウス3については、なんとか操作できる程度にはプレイできる。
▷変化する、変化に適応するってのも労力がかかるんだよな。 「税金」と言われてお金を取られるのも苦しいけど、文化なり制度なりを変化させることになって、それへの適応を迫られることも、それはそれでムカつく、というのは当然だよね。 「変化が必要」というのは、「労力を負担せよ」という徴収
▷子供ってなんで、「えっ?」とか聞きなおしたときに、“もう一回説明すること” が、あんなに嫌いなんでしょうね。
▷快刺激をたっぷり摂り入れて、生活時間にしめる幸福感の比率を高めつつ、でも欲求や学習の面でそれに依存していかないようにすることは、脳神経の構造的に可能か否か?
▷私は割と、「どんな政府であれ、政府があること自体が正しい」という考え方をとりたいし(治安の維持の意味で)、ある地域の集団に資源があれば、貿易して経済的なつながりを作ればいいという考え方もするんだけど
▷イスラエルとハマスは、本当、どっちにも肩入れしたくねえ……
▷そういえば、私は子どものころ、“口さびしい” という感覚のことがわからなかった。今はストレスもかかるし、モチベーションのわかない作業にも踏み込まないといけない瞬間もあるので、「お腹が空いているわけでもないのに、何か口に入れようとしちゃう」瞬間はあるけど、子供の頃は全然なかった。
▷@rashita2 すごい、あらかじめ本の内容を知ってなかったら、ほとんど意味がとれない! こんなに難しい言い回しの本でしたっけ!!
@rashita2 “動的秩序” !
▷@rashita2 ところで、この矢印は逆回転ではないのですね、 腐敗やテロ→戦国時代→しかしその覇者もまた、過剰適応によって柔軟性を失っていく…… みたいなことではなく。 だとすると静的秩序から動的秩序に動こうとするのは、意図的に「偽りの頂」から下りないといけないわけで、なんだか難しそうですね。
▷@rashita2 そうですよね、黒船とか時代の変化とか、嫌われ者ですけど、適量ならワクワクをもたらしてくれるかもしれないですね。
好き嫌いは個人の自由だし「へー、そうなんだ」としか思わないけど、自分が好きなものに対して「あんなもんが好きなヤツはバカ」と言われたら戦争です。
▷そうなんだけど、そこに精神的に「権力勾配」的な要素が絡んでいて、「クラシック音楽いいよね」と言っている人がいたら、「ケッ、このインテリが!」とは言いたいし、言わせてほしいし、許されてほしい。また、自分が好きなものが社会で圧倒的に少数者に留め置かれているとしたら、「ワイドショーだの
▷バラエティーだのゴールデンだのを見ている人間はバカ! 深夜アニメこそ至高!」くらいの発言は、したくなるだろうし、していいと言ってほしいし、発言や意見が社会に受け入れられていってほしい、とも思う。 まあ、年齢制限付きでもいいかな。20代以下は口走ってもいい、とか。
▷あと何年かすると、「『三月のライオン』の宗谷名人のモデルは藤井さんなんですよね?」って層が現れるんだろうか。
▷子供が高校生っていうの、不思議。 下の子が中学生にもなってるのはもっと不思議。
▷一年が後半になって、進級が見えてくると、「えっ、もう次の受験のことを考えないといけない? ついこの間、やっと終わったと思ったのに…」という気分になる。
「それで、ハマスとイスラエルどっちが悪いの?」と決めたがる心の中のおっさんをハリセンでしばきつつ、「どっちもどっちだよな」と言ってくるもうひとりのおっさんを「帰れバカ」と退けたあとで現れる、「つまり悪いのはイギリス」と言ってくる3人目には「そ、それはそうだけど…」と戸惑う朝。
児童にする指導として、「見知らぬ異文化を嫌いと考えてはいけません」と「嫌いと思っても言ってはいけません」だとどちらのほうが「正しい」んだろうか
⇒これ、子育て中、相手が子供だと迷う。
相手が自分と同様な大人だと、当然後者なんだろうけど。
「自分の感じかたを、“尖らせる”選択肢と“保留する/融和させる”選択肢があるとして、こういう場面での感じかたは、放置したり尖らせたりするのではなく、ならしていくほうがいいと思うよ。そのほうが味方が増えやすい生きかたになるから」
ということも、本当は聞いてほしい。
単純さの中に折り畳まれた複雑さ、というのがある。
なんにせよ、ここ数ヶ月で僕の中にあった
「単純さ」と「複雑さ」の二項対立が崩れつつある。
僕は人間は変化する存在だと思っているし、その変化を抑制することを是とするような観念には異議を唱えることが多い。で、静止的な「方法」がまさにそれをやってしまう。
⇒変化を生むために方法があったはずなのにね。不思議
「どこでも原稿が書ける嬉しさ」はおそらく
めちゃくちゃ忙しい人が確保した時間(つまり有限化された時間)を使う上で出てくるのだろう。そういう制約がない状態だと単に区切りがないだけになってしまう。
ウクライナ問題やパレスチナ問題はメディア的に関心が制御されてる面もあって、例えば、サヘル地域問題とかあまり関心が持たれてない。
日本のネットはとても自由。こういう事実知っておきたい。米NGOフリーダムハウスの「ネット上の自由」評価で、日本は8位。ネットを国が監視干渉してないのは、日本カナダコスタリカアイスランドだけ。/ネットを監視も干渉もしない国は日本を含むたった4
力国だけ
救急車のサイレンが「うるさい」との苦情が相次いでいるという。それほど心の狭い人がどのくらいいるのかと思えば、21年に東京
消防庁には402件の苦情や要望があり、そのうち190件は同一人物によるものだという。子供の遊び声がうるさいだの、奇妙な苦情を言う人が増えたよなぁ
⇒190回も送り込んでるのか
「これはコップです」
は
「これはコップにて、候」から来ている。
「『これはコップなり』と君に申しさぶら
ふ」かな。
ここから、英語の"If you please""が生じて、“please”になる。
一般社会に害をなす宗教団体はすべて解散させてしまえ、というのは超強烈な世俗主義的
理念としてはあり得るところだろうと思いますが、それ自体皮肉にも宗教に似てくる点はせめて自覚したいものです。
男の強さって女子供より自分の命を雑に扱えるところなんだよな。一見男が損なようだがこの命の軽さこそが男の強者性の根っこ。無謀な長時間労働により得られる成果、過酷な肉体の鍛錬の先にある超人的パフォーマンス、命をかけた林業などの肉体労働。命を過度にヨシヨシしないからこそ出来る男の強み。
信教の自由を内心の信仰とのみ解すると思想・良心の自由でそれはカバーできるのだから、わざわざ信教の自由を保障した理由はなんだろうか?ともなる。
これまた一つ言えることは、「さあ、やっとこう」という形がベストなのだとしてもその思考を自分の脳にインストールはできないので、「これ意味があるかな?」と思ったその時点で、「意味があるかを確かめよう」とそのたびに訂正していくのがうまいアプローチだと思います。
もし仮に現代日本で「現行の自動車」が開発されたら「人が時速100キロも出るモノを操作して何か起きたら責任取れるのか!」ってなる気がします。現行品のリスクはあまり気にしないのが不思議ですよね。
文学作品というのは、テーマというものをもってるが、このテーマを内的に共有しない人が作品の字面を読んでも意味はないと思う。
ゴールディン、要は「バリキャリ、子育て、上方婚のトリレンマ」的な話をしており、上方婚と子育て取るならキャリアは諦めざるを得ないし、バリキャリと子育て取るなら上方
婚は諦めて主夫養うしかないぞ?と言ってるんだが、あまりに都合が悪すぎるので全力で見なかったことにしたい人が多い。
「こんなことを言われて悔しいと思わないのか?もっと奮起してやれよ。できなかったら腹切るぐらいの覚悟でやれよ」とボクの闘争心を煽るようなことを言うのが常だった。
しかし「いくらなんでもこの時代にハラキリはないな」とか思ってる時点で、ボクと上司はかみ合ってなかった。そもそも、自ら仕事がうまくいかずにヘコんでるところに叱咤されて奮起できるほど、ボクは精神的にタフじゃなかったのだ。
闘争心なくても、ぜったいシアワセだったと笑って人生終えてやる!・・・って書いてみて思ったけど、これこそが闘争心じゃないか?なんだ、どっかに置いてきたと思ってた闘争心、こんなところにあったのか。
⇒ところで、私は闘争心は実は結構あるんじゃないかと、最近は思う。でもあれは、そんなに頻繁にはONにならないし、長持ちもしないんだよな。スタミナの在庫を高消費するだけじゃなく、輸送部隊のキャパを圧迫しているようなところがあるから。
殺意ってそんなに長く続かないよ。日頃から暗殺訓練しててもさ1日ずっと殺す気でいるのは大変だもん。殺意でドーピングしたいなら・・・一夜漬けの殺意じゃなくて時間をかけてじっくり育てるべきだったよ
ないもんねだりしてるほどヒマじゃねえ あるもんで最強の闘い方探ってくんだよ 一生な
きけば全身の血をすてたくなるぞ
「規則全部破ったら自由になるかな」
「かえってメンドクサイじゃん つまんない事でも周りはウダウダ言うんだからいちいちチェック受けてる
うちに規則守るより辛い事になるんじゃねーの?」
迷えばいい人間か……? 悩めば素晴らしいんかい…? そんなもんクソやんか…!
「テルアビブ空港銃乱射事件」も、たまたま居合わせただけの民間人が26人殺害され、80人が重軽傷を負ったわけで、これはある意味で紛れもない「テロ行為」ではある。
一方で、活動家の間ではこの事件は「リッダ闘争」と呼ばれ神格化されていて、この「事件の呼称」自体がその人の「立場」を表しているところがある。
奥平剛士たちのテルアビブ空港襲撃事件は、喩えて言うと、ウクライナの領土が8割ぐらいロシアに占領された後、20年ぐらい経ってウクライナの武装抵抗組織が「ブチャ虐殺の報復作戦」と称してロシアに占領されたキエフの空港襲撃計画を立て、たまたま日本人義勇兵がそれを担当するという感じだな。
ちなみに、空港襲撃はPFLP側では「デイル・ヤシーン村虐殺の報復作戦」と命名されていたらしいのだが、これは、1948年にユダヤ人武装組織がパレスチナのデイル・ヤシーン村の住民254人を虐殺した事件の名前を象徴的な意味で使っているもの。
⇒8割占領されて・20年経って・された虐殺の報復作戦。いやそれは、日本人の“感覚”だと、民主主義が独裁体制に占領された場合ですら、「もう無駄じゃない? その暴力」ってなるよな。
⇒でも、それこそが「所与性」というか、「やったもん勝ち」になってしまう。「ロシアに前例を与え」るみたいになる。
⇒だからまあ、占領後統治が、ウイグルの断種や他地域からの他民族の入植や、あるいは最初に抵抗していが降伏にいたった抵抗能力者の謀殺や粛清といった要素があったかどうかだよな。
あちらはほぼ全部「しがらみ」で動く。
ビンラディンとかザルカウィなんかもそうですし、過去のパレスチナ各派なんかもそうでしたが、中東のテロの研究では個人(キーマン)の人脈分析をベースにするのが基本
盟友関係やパトロンクライアント関係で動いて、しかもそれが裏切ったり見捨てたり脅したり和解したりのドロドロの経緯を経て世代を超えて受け継がれるので
⇒えー? それはつまり、メンツとか、昔お前の親父さんには世話になった、とかもあるわけですかね?
ユダヤ人入植者のパティーにハマスが攻撃を仕掛ける直前の動画。
パーティーでは巨大な仏像(多神教)があり、参加者は酒を飲み、乱れ、踊りまくっているように見えるが、その中にイスラム主義のハマスが奇襲攻撃をしてくるという絵は、ある意味イスラム主義者受けするかもしれない。
↓こういう状態だったからです。
仏像→偶像崇拝の禁止、多神教に関わるものの崇拝の禁止
飲酒→ハラーム(飲酒の禁止)
露出が激しい→特に女性は髪や胸
等を隠す必要あり(男性も脚が出た服装はあまり良くない)
ダンス→公で女性が男性の前で踊るのは良くない