2023/04/21-2023/04/30
ここ数ヶ月、高校生ラブコメのラノベばかり読んでいた。
感覚的には、『弱キャラ友崎くん』の新刊を待っている間の代償行為の側面が、初めはあったかもしれない。それはそれとして、自分の中学・高校時代がこんなだったら、人格がもっと曲がらずに済んだかもしれないのにな〜、という動機もあり、その意味でも代償行動ではあるのかもしれない。 ところで、これだけ読んできて、俺ガイルやようじつがここにない。うーん、いつかまた読んでみるかねえ……。
過去に踏み込んでみたものの、ノリきれていない。ラブコメでノリきれないで言えば、漫画のハチクロもそうだ。
まあ、村上春樹ほどには、楽しめない自分をコンプレックスに思わないですむ規模の存在だけど、それでもちょっとは、心のトゲとして残る。 たぶん村上春樹は、その喪失感や不全感のような空気が、説明とか描写とかのレベルを超えて、響く人には理屈抜きに響くのだろう。そしてそれが、私には十分には機能しないのだろう。
しかしまあ、青春の本質というものが、「みんなに頼りにされること」だとするのなら、それは「みんなの厄介ごとよろず受付」になるということだから、そりゃあもう、めちゃくちゃめんどくさいよね。
あれは候補者と支援者の愛の確認なのです。「いつもありがとう。私、ココまで会いに来たの」「先生、わざわざ来てくれてありがとう。もう一踏ん張りするわ」てな感じです
RT @sasakitoshinao 連呼の投票行動への影響って測定されたことあるんだろうか/名前を連呼する「選挙カー」
いい?デスクトップにフォルダが散乱してる人や、タブ多い人は仕事ができない人よ。zoomしてる時に「画面共有してもらって良いですか?」と言えば1発で判断できるわ。やってみなさい。
「え?でも私の周りの仕事できる人はデスクトップきたないけどwwww」的なリプくれる人ー!リプくれるの超ありがたいけど、たぶん気付いてないと思うけど社内で「コミュニケーション取りづらい」って疎まれてる人の可能性高いよー!議論の枝葉ばかりに引っかかって話長くなってないー?心配だわー!!!
⇒いやいや。「主語でかくすんな」「変な偏見生み出すな」のほうが感想として先に来るよな……。全然そんな感想ないんだもん、最近は。
⇒無能になるまで出世するみたいに、整理できなくなるところまで、みんな仕事か増えているみたいなところもあるのでは。 笹原さん[編集部注:いわき市の実業家]の話を聴きながら私がアタマに思い浮かべていたのは、藤野英人の『ヤンキーの虎――新・ジモト経済の支配者たち』(東洋経済新報社、2016年)という本である。
このなかでは決してサンデルが描くような高学歴層ではないが、地方に根を張ったビジネスをリスクをとりながら多角的に展開し成功している経営者たちを「ヤンキーの虎」と呼んで描き出し、彼らのようなリスクテイカーこそが地方経済を建て直す大きな可能性を秘めていると論じているのである。
実際、彼らは事業拡大のために積極的に金融機関からの借入を行なって儲けを出し、地域の自治体に多くの税金を納めている。
「立憲民主党を支持する有権者が少ない」ではない。「立憲民主党を知っている有権者が少ない」であり、つまるところ、支持率の前に、そもそもの認知度が圧倒的に低いということだ。 このあたりの平仄は、おそらく立憲民主党の議員や立候補者などの当事者には理解できまい。立憲民主党に限らずどの政党でもそうだが、議員や立候補者は、常に、「支持してくれる人」「支持してくれそうな人」そして「クレームを入れてくる人」の三種の人々と対峙している。当然この三者は、議員や立候補者の「存在」を知っていればこそ、支持をするなり支持しそうになったり、あるいは悪罵を投げかけたりするわけだ。
もちろん、純戦略的に言えば、「世の中の6割以上の人々」を切り捨てる自民党の戦略が正しい。そうであればこそ選挙に勝てる。選挙にくる人の層が決まっている以上、その層自体がいかに微少なものであっても、その中で過半数を獲りさえすればヘゲモニーは握れる。効率よく勝つために層そのものを小さくし続けようとするのは極めてクレバーな動き方とさえ言える。 しかし同時にこれは勝者のみが採用できる戦略でもある。勝者であればこそ、層そのものを小さくし続けることができる。 挑戦者にはそれができない。挑戦者に残されたものは、もともと小さい層のうち、勝者が過半数を取り去った、いわば「食べ残し」である。
このとき多くの人が(私を含めて)社会党に回帰した立民党は衰退するだろうと予想したが、逆に希望の党が解散し、万年野党に徹した立民党が野党第一党になった。残念ながら、それは日本では有効なマーケティングである。現実的な政策を提案しても、野党には実行できないので、大きな勢力にはならない。
2010年代の野党の離合集散の中でわかったのは、戦術として昭和初期と同じスキャンダリズムしか残されていないということだった。その意味では立民党はそれなりに合理的に生き残りをはかったのだ。
防衛費や少子化対策など多くの争点がある中で、なぜ統一教会なのか。有田氏が国会議員だった12年間に一度も質問したことのない統一教会事件に、なぜいつまでもこだわるのか。
それは立民党が政権を追及できる争点が、それしかないからだ。国防や社会保障のようなややこしい問題は、党内で意見集約ができない。そんな専門的な問題を質問しても官僚にかなわないし、マスコミも取り上げてくれない。
統一教会事件や、通常国会で小西洋之氏が騒いだ8年前の総務省の怪文書など、どうでもいい事件ばかりだ。それは誰でもわかり、テレビでも取り上げてくれるからである。
スキャンダリズムは昭和初期から、野党の戦術だった。大正までの有権者は地租を納める地主だったが、1928年に普通選挙が始まって一般の男子に選挙権が拡大し、有権者は8倍以上に増えた。その大部分は小作人と労働者だった。
彼らには難しい政策がわからないので、帝国議会で政策論争をしても選挙に勝てない。おかげで議会は、松島遊郭事件、陸軍機密費事件、朴烈写真事件など金とセックスのスキャンダルに明け暮れた。
1930年代の大恐慌になっても、政党政治はそれに対応できなかったので、大衆は清潔な軍部を支持し、満州事変以降の大陸侵略を支持し、五・一五事件には70万人以上の助命嘆願が集まった。戦争で部数を急速に伸ばした新聞も、軍部の暴走を支援した。農民や労働者の支持を集めた無産政党は全体主義に共感し、大政翼賛会に真っ先に合流した。
⇒「政治に関心を持たなければならない」「みんなが政治や決定に参加しなければならない」というのを解体しなければいけないのではないか。
とはいえ、選挙権がない人を作るまではもちろんやりすぎなので、ナッジ的に文化圧で推すとして、「必ずしもみんなが政治を見詰めても碌なことにならない、かもしれない」くらいの意識というか、言明はあっていいかもしれない。
⇒「新しい文化はなんか馴染めない、デジタル機器はきらい、使わない」とか「PTA会費を余計に払ってもいいから、役員はやりたくねえ〜」とか「歌舞伎が残っていてもいい(し、その文化保護に税金が使われてもいいと思う)けど、私は見に行かないかな」という言明と同じくらいに、
「私が口出ししても良い方向に政治が進むとは思えないから、(中途半端に学んだり)投票という行動に出たりはしないようにしている」という言明が市民権を得てもいいのではないか。
⇒もちろん、法律は自分の身に降りかかってきてしまう種のものだから、本当に無関心ではいられないのかもしれないけど。
「何度やりなおしをさせても文句を言わない」という特性こそ、アウトプットの質を云々する前に、圧倒的に人間を超えています。
パワハラOKなのです。これこそ、AIの本質です。
少ない情報でも、あいまいな状態でも、ひとまず「結果を示せ」と命令すれば、クオリティが低くても、何かしらの成果が一瞬で上がってくる。
そこで「クオリティが低い、ダメだな」と切ってしまう人は、「ChatGPTを使うのがヘタな人」です。
逆に言えば、「クオリティの低い回答」でも、それをうまく利用できる人が、「ChatGPTの使い方が上手い人」でしょう。
ChatGPTをうまく使う人は、成果品のイメージが最初のうち曖昧であっても、やり取りを繰り返すうちに、それを洗練させ、求める成果品に近づけていくのが非常にうまいのです。
⇒応答に時間がかかったり、そこから修正していくのは、いちから自分で書き直したほうが早い、という場面では使い道がないわけだよね。
逆に「最初から高クオリティの回答が返ってこないとダメ」と思っている人は自分が求めているものを、誰かに「引き出して」もらわないといけませんから、ChatGPTではなく、優秀な人間がそばにいないと、アウトプットを出せません。
優秀な人間から
「たぶんこうするとうまくいきますが、どうでしょうか?」とか、
様々な、自分の考え方を引き出す問いかけをしてもらわないと、自分が求める成果を明確化できないのです。
こういう人は、(今のところ)ChatGPTをうまく使えません。
ChatGPTは、自分に語り掛けてくれませんし、自分の心を読んでくれません。
⇒完成系がくっきりイメージできてしまうけど、技術が足りないのとめんどくさいので動き出せないタイプには、いまいちマッチしないのか?
したがって、「指示や要望が固まっていないと、手戻りになるので動けません」という人間は、かなり早い段階で、AIに負けてしまうでしょう。
「じゃあ、(いくら負荷をかけても大丈夫な)AIに相談してみます」と言われてしまう
逆に、「成果品への要望を、質問などを使って固められる人」は生き残りやすいでしょう。
人によってかっこいいものは違います。筋肉ムキムキがかっこよかったり、スマートな対応がかっこよかったり、おしゃれな着こなしがかっこよかったりと。そうした中には知的なものへのかっこよさもあるはずです。
たとえば頭の回転が早いのはかっこいいですね。知識が豊富だったり、とびっきりのアイデアを生み出したりできるのも、他のかっこよさに負けない魅力があります。あるいは図書館に大量の本が並んでいたり、一冊のノートにびっしり文字が書き込まれていたり、夢中になって一冊の本を読んでいる姿だったりも、やっぱりかっこいいと感じます。
⇒うまく宣伝はできないけど、まあ確かにあるのか。
自分は新しいものを作っているつもりでも、ぜんぜん新しいものが生み出されていないことが十分あり得るのです。
それに、適切に作られた道具があるならば、それを用いるのは悪くない戦略でしょう。誰も家を建てるときに、ノコギリから作ったりはしませんし、家屋専用の樹木を植林することからもしません。すでにあるものを使いつつ、新しいものを作ることは日常的に行われています。
とは言え、既存の知に頼りすぎると今度は新しいものが何も生まれなくなってしまいます。「こういうやり方をすればこういう家が作れる」というのも一つの知ではありますが、それ以外の作り方を試さないなら新しい形の家も作られません。
ブルーハーツを解散する理由を聞かれて『やめたらもったいないなって自分で思ったから』って答えてた。
だって
欲しいから手に入れるんだし
好きだから抱きしめるんだよ。
もったいないからとっとこう、ってのはちがう。
その時点でそれはゴミなんだ。
甲本ヒロト