2023/04/11-2023/04/20
▷ところで、「でも、“言い方”ってもんがあるでしょう?!」という話があるけど、その相手の“言い方”に反応して、こっちの“言い方”をぶつけ返さないこと、“言い方のぶつけ合い”を始めないことってのも大事だよね。
▷1.政治家のなり手がいなくなること
2.政治家の行う政策や言論で、落選だけでなく、(利害の対立する集団から)命を狙われる危険性が頭をよぎるであろうこと
3.(応援演説を含めた)選挙が安全に行えなくなること
うん、全然駄目だわ。民主主義(制度)に対する挑戦だわ。
▷中学校の部活で、「授業終了後は一度帰宅し、部活の時間に再登校するのが、正式です」という体裁ってなんなの?
▷こっちで、マウス動かしたり、ファイル探したりダブルクリックしたり、砂時計が回ってたりするところは向こうからは見えないので、ちょっと過剰に間を埋めてしまうところはありますね。
「人はなぜWeb会議で画面共有する時に"よいしょ"と言ってしまうのか」(カンプ新書)
▷“それぞれの駅のお店を3軒ずつ調べてください。テーブルを予約したいので、店のURLと電話番号を調べてメモしてください。
日程は5月3日、5月4日、5月5日が候補です。
その日に予約が可能かどうかを先に調べられたかどうかもレポートしてください。”
▷ここまで書いても、嘘URL生成してくるかー。
▷まあ、「あくまでもこれは、チャットbotなのです」ということなんだろうな。webのインターフェースではなく。
▷とはいえ、GPTの量的な進化ではなく、transformerの次に行ってほしい感はなくもない。
一つには、その知性でグーグルクローラーのページランク制を超えたwebコンシェルジュになってほしいとうこと。
もう一つは、サーバー全体の知性学習や、前の文、直前の文脈から類推するだけでなく、個々のユーザーの学習や好み、ボキャブラリー空間の広がりを予想するコプロセッサーをメイン知性とは別に走らせて協業するようなシステムを作ってほしいということ。プロンプトが必要とかじゃなしに。
▷神エクセルも困るのだが、ワードでも、
“契(全角スペース)約(全角スペース)書”
みたいな書き方のフォームはやめてほしい。
―アニメの脚本家とはどんな仕事でしょうか。
よく「映画は監督のもの、舞台演劇は役者のもの、テレビドラマは脚本家のもの」って言うと思うんですが、それで言えば、アニメは監督と制作スタジオのものなんだろうと思っています。ファンの方も作品を監督かスタジオの名前で覚えていることが多いと思うんです。新海誠監督作品とか、制作京都アニメーションとか。アニメの中心にあるのはあくまで絵なんですよ。だから作品をつくる時も大抵の場合、最初に出てくるのは監督がイメージしている画面であったり、キャラクターデザインの方が描いた絵とか、簡単な企画書だったりする。脚本家はそれを見て、監督やスタッフがイメージしているものを誰にでも分かるように文字にしていく。原作ものでも「こんな曲が流れている」とか、「こんな色だ」とか、原作者の方や監督は何らかのイメージを持っているので、話を聞きながら、作品をどう捉えているかをつかんで「つまりテーマを言葉にするとこういうこと?」とか「だとしたら、最終回はここがいいのでは」とか、自分の考察を入れつつ文章にして全員が客観的に見られるようにする。よくシナリオは作品の設計図と言いますが、まさにそんな感じです。こーんなでっかい船作りたいんだけど、作れるかどうかちょっと展開図書いてみてくれない?と言われて描いてみる。そんな仕事です。展開図があれば「どうやらこのまま作ると沈みそうだ」などと見ながら確認して、実作業に入る前に修正できますから。なので締め切りを守るのは重要です。設計図が遅れたら全ての工程が遅れるので。
あとは客観と主観のバランスというか、比率ですね。物語の構成やプロット(あらすじ)を書くのは、自分が神様みたいな客観的な視点でキャラクターの運命を決める作業。逆に、シナリオは肉声を書くので、キャラクターになりきって主観的に目の前にあるものに対してどう思うか、何を言うかを考える作業。その差は意識するようにしています。例えば「STEINS;GATE」みたいに情報や伏線を沢山処理したい作品の時は、客観的な方に軸足を置いて、面白い会話が書けてもストーリーに関係のない所は削りますし、逆に「ラブライブ!」みたいに物語よりエモーションに重きを置きたい作品の時は、いい台詞(せりふ)や会話が書けたら、ストーリーの方を変えて台詞を生かす。どちらに軸足を置くか、どのくらいの比率でいくか、原作や監督の方針に合わせて変えるようにしています。
自分がキャラクターになりきれないと書けない。なので原作ものでもストーリーで理解できない部分は、何度でも質問して理解することはしますが、キャラクターが理解できない時は、すぐに執筆を断るようにしています。そのキャラクターになれないなと感じたら書けないので。ただ、時々、お任せしますので好きに書いてください、と言われる時があって、これは難しいですね。悩んでもしょうがないので、この子はこんな子だと思う、こうだったらこの子になりきれる、と自分なりに捉えて書きますけど、そうすると視聴者から、この子はこんな子じゃない、とかお叱りの声が飛んできたりしてね。何度やっても難しいです。
今日は「日常」を書いて、明日「ノーゲーム・ノーライフ」を書いて、あさっては「やがて君になる」を書くことができるところ。ゲームについてそんなに詳しくなくても、ギャグが得意じゃなくても、仕事として書けるのはすごく楽しいです。どんなに天才的な作家さん、クリエイターさんでも、どうしても自分のできる作品の範囲が限られますよね。でもシナリオライターは少女漫画でも異世界転生でもあらゆるジャンルを体験できる。それはいくら続けても新鮮さが失われず、新たな発見があります。ただ、その代償として、普通の作家のように自分だけの作品は決して作れない。作家や画家、デザイナーが自分の手で作品を完成させて、発表という形で他人に見せることができるのに対して、
自己承認をどうするかが結構なネックになると思います。
制作者の中にも深夜アニメの娯楽作品を毛嫌いするような人もいて、そういう方の作品を見ると「芸術って褒めてほしい」が作品全体からにじんでしまっている。
40代男性が20代女性に「まだ若くてモテるし、楽しい事もたくさんあるね」って話してるのを、その場に居た50代女性が「30、40になっても楽しいから大丈夫。私は今が一番楽しい。20代が女性のピークっていうのは男だけの視点だから」って返した話が全ての女性に届けばいい。
⇒ただ、若さやモテてる感みたいなものにしがみついちゃうと、かえって不幸になるだろうし、そういう人もいるだろうけど。
⇒だから、どんな言葉にも取りこぼしはある。逆に、最初にあった言葉も、それが当てはまる人が少ないだろうけど、いる、だろう。
⇒140文字におさめるためにはしょったせいだろうけど、最初のセリフもそこま無知なニュアンスはこもってないように見える。
「だいたいでOK」と割り切ってしまうことでしょう。すべてを追い求めるのを止める。
ただしこれは、本当に歯を食いしばるくらいにつらいことです。たとえるなら長年の喫煙者にとっての禁煙行動です。ここではこんまり流の整理術は効きません。なにせすべてが私の心をときめかせるのですから。
その意味で、あの整理術は知的好奇心が常識の範囲に収まる人だけが使える方法でしょう。私のようなちょっとヤバイ人間にはもっと胃がキリキリするような基準がないと整理なんてとてもできません。
バルザック的な言い方になるが、ソウルメイト的な幻想を抱くのは、うぶ、だからであって、実際の男女関係のグダグダ、まさに現実に生きて自己の「性」を確立した人間によって、異性は性欲という欲望の対象であり、それによって確立した個人である。ソウルメイトとしてだらっと甘美に繋がるものではない。
春樹文学での執拗なまでのソウルメイトのテーマは、一つには、彼の個人的な経験に根ざしていることは間違いない。高校から浪人期における恋人の存在であり、彼が一人っ子であったこと、そして早稲田大学での事件などが関連しているだろう、が、
ユング心理学やフロイト精神分析は単なる偽科学にすぎないといえるが、ほぼ一世紀をかけて批評世界の枠組みを作り、ともかくも「無意識」の実体性(機能性ではなく)を実際的に確立してしまったのだがら、人間の真理探求方法論として経験的に確立していると見てもよいだろう。
というか、偽科学を糾弾する人の人文学的な軽薄さは文学批評の雑音としてよいだろう。
何にせよ、小説作品の評価、特に自分にとっての評価というのは読み終えた直後にわかるものではありません。それこそ5年、10年経ったあとに心の奥底にその物語の足跡を発見してはじめて理解できる、という類いのものです。
無料で使えることの裏で何が起きているのかがわかっていないことは大きな問題だと思います。オープンソースのツールを使うのと、フリーミアムのツールを使うのは同じではないのです。
その点を考えると、「お金を払ってください。ツールを提供します」という関係は非常に明瞭です。その裏で何が蠢いているのかを心配する必要がありません。
「このサービスなら気持ちよくお金を支払えるな」というサービスを意識的に選んでいきたいとも思います。なんかあまり好きじゃないけども無料だし、のような考え方はやめて
1つ目は、キャラクター同士が情報を伝え合い、それが町の中で社会的に広まること。2つ目は、キャラクター同士の過去のやりとりを記憶し、後でその出来事に触れること。3つ目は、他のキャラクターと一緒にイベントを計画して参加すること。これらはいずれも事前にプログラムされたものではなく、キャラクター間で自発的に発生したものである。
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例えば、バレンタイン・パーティーだ。イザベラ・ロドリゲスというキャラクターがカフェでバレンタイン・パーティーを企画し、友人やお客さんを招待したのだ。彼女は友人のマリアの助けを借りてカフェを飾り付け、彼女の片思いの相手であるクラウスをパーティーに招待した。
発起人のキャラクターは、2日間でパーティーへの招待を自律的に広げ、新しい知人を作り、パーティーに好きな子を呼び、適切な時間に一緒にパーティーに現れるように調整した。