2023/03/21-2023/03/31
▷「自分への備忘録としてのメモ」「人生のログ」の要素がなくなると、告知や宣伝のようなbot的発信とリプライしか残らなくなりそう。
最近自分のノーティングがはかどらんのは、子供の勉強日記を付けてるからってのもある。勉強を見ることそのものの負荷ってのもあるし。
まあ、仕事が忙しいのももちろんあるけど。
大規模言語モデル (LLM)
コミュニティであれば、そこできちんと人と話さないといけないですよね。人をしっかり見て、そこで感じ取るということは省略できない。定量的に調べれば分かるというものではなくて、質的調査によってしか分からないことです。そして、それを感じ取ろうという人が、さまざまな教養的な背景を持っていなければ分からないことだと思います。
⇒理解だと、「定量分析」は「定性分析」の上位互換の概念だから、この文面はちょっとおもしろい。
地域の人たちにトラブルがあっても、それを全部解決してしまったらやりすぎなのであって、多少のトラブルは抱えたままにしておくことが、このコミュニティにとって良いことだとか、そういう判断ができる人がデザインに関わらないといけない。
どれだけその現場の状況を理解するかが重要になってくるわけですが、もちろん、理解はつねに不十分です。
問題解決といっても、そこで取り沙汰されるニーズは、単純化されたり、あるいは歪められたりしています。アイロニカルな言い方になりますが、そもそも、人は自分で自分のニーズを誤認しているものです。その中で非常に限定的な関わりが起きる。本当にそこでなされるべきことがなされるなんてことはないわけですよ。非常に制約された、もしかすると非常に勘違いしているかもしれないことが起きるわけです。
木継さん:
断片を見ていくことしかできないですからね。
千葉さん:
でもそれでいい。というか、そうするしかないですよね。ある場所に入っていって活動するというのは、有限な関わりをするわけで、それは万能な道具を持ち込むということではないわけです。
公的な言説で「秩序を作ろう」とは言えるけれど「ランダマイズも必要だよね」とは言いにくいことです。「脱秩序化することが必要ですよね」とは普通言えない。なので、人は建前を言うしかなくなるんです。
大事なのは、建前を建前だと分かっている、ということです。表のところでは「こうするとより良いガバナンスができますよ」と言うけれど、会議室から出たら「とはいえ完璧にはできないですから、できないあたりが実は大事なんですよね」という話を、ちゃんとインフォーマルなところで共有できる、喋り分けができるような人間的能力を持った人。これを組織の中に育てることが大事です。建前社会が強まってきて、どうもこの二重性の意識が弱まっていると思うんです。
ハイフンとダッシュはいずれも日本語の長音記号に似た記号であり、さらにダッシュの中には短い「enダッシュ」と長い「emダッシュ」があります。スマートフォン・PCの設定やフォントによって表示が違って見えることもありますが、
PCの基本的なキーボードも同様にハイフンのキーしかありませんが、記号を変換することでenダッシュやemダッシュも使い分けることができるほか、Microsoft Wordなどのライティングソフトでは正しく記号を使い分けるための変換補助もある
普通の、つまり意識的な記憶は脳内の海馬と呼ばれる部分に保存される。しかし私たちには「暗黙の学習」や「暗黙の記憶」の能力もあり、そこで覚えたことは大脳基底核(脳内でも原初的な部分で、海馬に隣接している)に保存される。
特に意識しなくても食べ物をかめるのも、気軽に自転車に乗れるのも、この大脳基底核のおかげだ。それは本能的な「瞬間思考」に関与する部位でもあり、危険を知らせる知覚的情報が来ると素早く反応する。生き延びるために、進化の過程で人や動物が身に付けたツールだ。
情報をあまりシェアしない人は、頻繁にシェアする人に比べて、情報の内容を4倍近く吟味していることが分かった。
さらに、情報を習慣的にシェアする人(研究対象のアクティブな投稿者の上位15%)は、この研究で拡散された偽情報の37%に関与していた。情報をよくシェアしている人が提示された偽情報コンテンツの26%を拡散していたのに対し、慎重な人は約3%にとどまった。
このAIは自然な文章を作るのが得意だが、数学のように論理的な思考を組み合わせるのが苦手だ。ところが問題文の最後にある「呪文」を付け加えると、見違えるように問題の正答率が上がる。
その呪文はこうだ。
「Let's think step by step(一歩ずつ考えよう)」
小島さんは現在、「大規模言語モデルの中には直感的に答える思考法と、論理的な思考法の双方が獲得されているのではないか」と考えている。「『step by step』の言葉がスイッチのように働くことで、大規模言語モデルの挙動が切り替わるのかもしれない」
かつては「ライフハック」にアンテナを張っていれば、本当にさまざまな情報が入ってきました。効率化・最新ツール・最新ガジェット・ノウハウ論、……。「ライフハック」という汎用的な言葉だったらこそ、その言葉が一種の巨大ハブ足りえたわけです。そこには話題の雑多さがあったと言ってもいいでしょう。
現状のAIも似た雰囲気があります。AI系の話題を追いかけていると、「へぇ〜こんなツールがあるんだ」と新しい出会いをすることが少なくありません。最近のAIが汎用的に使えるものだからこそ、話題のハブ的存在になっているわけです。
私自身は楽しく使い続けていますが、たとえば買った本の情報を投下することで他の人の物欲を刺激しすぎている可能性はありますし、本の感想を投下することで、「本を読めていない」と感じている人に不要なネガティブさを与えている可能性もあります。
そもそもとして、Twitterは使う人の注意を効率よく"搾取"するように設計されているプラットフォームの一つですし、そこに"興味深い"コンテンツを投下することは、どういう意図があるにせよ、その"搾取"に一役買ってしまっている、という指摘は可能でしょう。
私としては、他の人が面白い本に出会ってもらい、可能ならばそうした本を読んでもらえるような「刺激」を与えられたらいいなとは思っていますが、その願望すら余計なものである可能性はあります。むしろタイムラインから離れて、手元の本や自分のノートに注意を向けられるようになった方が(少なくとも私が考える)健全さには近づけるでしょう。
⇒業、なのだろうか。
科学的なインチキ商品が問題視されるたびに「高校くらいの理科の知識があれば見抜けるのに」って言われてその通りなんだけど、ご近所の寄り合いレベルの集まりで高校履修範囲の知識を常識扱いしたらまず間違いなく異物として排除されるのが難しいところ。
「初対面の人に断りなく使ってよい知識は小4レベルまで」という説があって、たとえば老親やら自治会役員の中で「小学校高学年の子に宿題聞かれて逃げ回る大人」が具体的に思いつくようなら詐欺に巻き込まれる可能性を考慮しといたほうがいい。実のところ防御力あげるのは大変。
割合を習ったのが多分小5くらいで(今は知らないけど)、その辺りから怪しい人は結構いるような気がする。
オンラインで読める古今東西の教科書を何十冊かチェックしたことがあるんだけど、いつの時代でもどこの国でもだいたい10歳前後から抽象論っぽい勉強が混ざってくる感じだった。発達段階で対象年齢が決まってるんだろうけど、訓練し続けてないと難しい話は簡単に理解力が落ちてしまうのだとも思った。
⇒10歳の壁?
抽象的な学問というのは、例えば以下のような内容
算数:分数x分数 など指折りでは対処できない計算
理科:月の運行など視座を切り変えないと意味が判らない話
社会:行ったことがない街・自分が経験したことのない時代の話
興味ない人にはどうでも良くなりがちなやつです
小学校高学年くらいの勉強からいよいよ世界の本質に突っ込んでいくことになるけど、その分実生活から(表向き)切り離されてくので、興味湧かない人は暗記で乗りきって卒業後はきれいサッパリ忘れちゃうのだろうな、と言う感想。
年上の親族を諭すときに、本に書いてありましたは禁句、新聞に書いてあったも微妙なので、テレビで言ってましたというしかないというのをだいぶ前に学びました。
これは本人に知識がない故に「高校生くらいで習う理科の知識に基づく指摘」よりも「どっかの大学の教授(専門とは言っていない)の発言とか論文(書いただけ)」の方を信じてしまうんだよなあ。
現実問題としておかしな勢力からコミュニティを守るには「悪いようにはしないから、ワイ達を信じてついてきて」と言わざるを得ない場面が必ずあって、どっちもどっち感あるのが更にしんどいところ。
「なんだ医者か、勝ち組じゃん」
「親ガチャ勝ってるだろ」
「お前みたいな恵まれた立場にいるやつに、俺たちの気持ちはわからないよ」
もう10年近く前、ほとんど一睡もできずに働いていた当直の夜に、急性アルコール中毒で救急搬送されてきた若者がいました。
ぐったりしながらも必要な処置をしていたら、その若者は少し酔いが醒めたのか大声で騒ぎ始めたのです。
「なんでこんなことするんだよ!お前らみたいなエリートに、俺たち落ちこぼれの気持ちがわかるか!」
いやいやいや、我々は一睡もしていないのに、楽しく飲み会をしていたあなたに、そんなふうに罵倒されなければならないのか?
「エリートさん」って、実際にやっていることは、夜中にゲロまみれ、血だらけになり、「なんですぐに検査できないんですか?」と、昼は忙しいから、と救急車で来た人に怒られるとかばっかりなんだけど。
僕は自分を「強者」だと思ったことはありません。生き延びるために必死だった(というほど、生き延びたい、と思ってもいなかったのですが)し、「なんで僕はこんな人間なんだろうなあ」と自分が嫌になってばかりです。この年齢になると、「どうせ嫌でもそろそろ死んでしまうし、子供達もいるから」と、ある程度折り合いはつけられるようになってきた気はしますが。
⇒わりと、“死”って救いだよね。特に名誉ある(「逃げた」等の後ろ指をさされる心配のない)死の場合。
隕石から地球を守るとか、戦死とか。
ゆるキャラが何故広報に使われるのかというと、「男とも女ともつかない、それどころか人間ですらない明らかに虚構の存在」は政治的正しさの問題を生じにくいからだということにいまさら気づいた
そのくらい虚構度が高くないとリアルと誤認する人たちがいるから、と言い換えることができる(?)
迷惑行為はやめましょうのポスターに若者描くか年寄り描くかで色々変わってくるし面倒だしピクトグラムにしても男女は分かるから面倒だし結局正体不明の何かにやらせるのが一番いいのかなって思いながら電車乗ってた今日でした…
まあこわいものをこわくなくするとか、きたないものをきたなくなくする、とかあるよぬ
生きた個体はポリティカルコレクトではない