2022/11/01-2022/11/10
英語のまま理解する
1.語順通り
2.文法情報
3.意味体力
英語では何かモノを見たとき、外枠や輪郭をかたどった上で中身を表現します。先に枠組みに注目しているわけです。
(中略)
例えば、「週末は友だちと遊びに行ってくるよ」という日本語に出てくる「友だち」を考えてみましょう。
これだけだと何人の友だちと遊ぶのかわからないですよね。一人の友だちと遊ぶのかもしれませんし、複数の友だちと遊ぶのかもしれません。
このようなあいまいさを包含できるのは、日本語では枠組みを表現しなくてもよいからなのです。
蛇足ですが、このような表現方法は文化にも影響を及ぼしていると私は思っています。「西洋絵画」と「日本画」を例に考えてみましょう。
西洋絵画では額縁つまり「枠」が立派ですね。枠がせりだしていて「絵」がその中にあります。一方で日本画の掛け軸は「枠」というものがなくて台紙の上に「絵」をはりつけています。
これは日本語・英語におけるモノの表現方法とよく似ています。外枠から中身への順でモノを表現する言語が、
⇒いや、こんなもののとらえかたをする人たちの考えた、「存在」「カテゴリー」「形質」などの哲学、日本人には切迫感を持って読めないのは当たり前だろう……
「読まんでいい」まで言おう。うん。
思想や文化を学ぶときには、「いついつの時点では今では普通になった何々という感覚がまだ決定的に新しかった」というのを復元する必要がある。
⇒いや、そういうことを、「何がなんでも、してやりたくない」という気持ちがある。
いま当たり前になっている知恵、は当たり前になった知恵なんだよ。
そして、その人がどれだけ当時頭が良かったとしても、ヒカルの碁して連れてくることもできないし。
まあ、「挑戦の気概」みたいなものを学びたいときはあるかもしれない。それだと、『人間・だれそれ』みたいな小説に落とし込んでもらいたいところだ。本当の意味ではね。
本会議や委員会などにおける各議員の発言機会・時間を確保するならば、1000人を超える議会はなかなか編成しづらいのだろう。議員数がさほど変わらないのに人口が2桁異なるのだから、議員1人あたりの有権者数も2桁変わってくる。
人口500万の国から10億の国まで、たいていの国の議会定数は3桁である。
例えば腐敗認識指数(市民が政治が腐敗していると感じる“肌感覚”)は国の人口が多くなるほど増大するように見える
シンプルに人口に比例して選挙費用が増えていることが分かる。
このため、人口の多い国では、党から選挙資金を受ける専業政治家のほかは、最初から選挙資金を用意できるような金持ちか選挙活動抜きでも票が期待できる有名人(celebrity)に候補者は限られるようになる。日本で二世議員やタレント議員が強いのはそのような理由だろうし、
よい仕事をしたい、少しでもよい状態に向かいたい、といった「欲望」を持たない人にお仕着せのビジョンを与えても、何も変わらないでしょう。むしろ苦しみが増えるだけかもしれません。そういう押し付けのアドバイスは無視してOKです。
一方で、それが何かはよくわかっていないけれども、進みたい、あるいは変化したいという気持ちがあるならば話は変わってきます。言い換えれば、自分では明確に意識できていない「欲望」が心に潜んでいるときです。
そうしたときは、「ビジョン」作りはたしかに役に立ちます。自分の中のもやもやしたものに輪郭線を与えられるようになるからです。「ああ、なるほど、自分はこういうことを欲していたんだ」と自分の理解が進みます。
この資料を見てもわかるのは、要するに「色々やります」という事で、(中略)。だから、見る人にとっては「ゴチャゴチャしてる割に何も言ってない無意味なページ」に見えるんですよ。
しかし、色々と「日本社会のローカル側」との協業体験を積み重ねてくると、最近私は「この曼荼羅型チャートの持つ意味」がだんだんわかるようになってきたんですね。
というのは、日本の「現場」的なところは「上」があまりに事細かに指示してくるのが嫌いで、一方で、「ちゃんと方向性を示してくれるなら主体的に工夫をしてくれる」メンタリティはある。
実際に私は自分の奥さんに対して「理解のある彼くん」的存在でいたいと思っているし、彼女が私に対して「オタクに理解のあるギャル」的要素があるというのも否定できない事実かなと思っています。