2022/05/01-2022/05/08
#採掘場
「行動に駆り立てる言葉や方針はなんであれ正しい」
そうじゃない人間の、そうじゃない思考にも、こんな価値がある、と抗弁する役には立つのかなあ。
scrapboxの大きいタグ
哲学とか法学とか医学などの、専門用語が一般用語として流入して使われる意味が違ってきている場合、曖昧さ回避をしないといけなくなる。 #長いハッシュタグ
「副作用と副反応と有害事象」というタグを、例えば作る。
中身は自分にとって目新しくなく、特に創造的でもない場合、記述をする気が起きなくて、ただタグとして残ることになる。
あるいは、対比的に使われる一つの言葉に言及しているとき、そちらにしかリンクが張られていないのは不便だということがあり得る。
例えば、200文字くらいの思い付きメモがあったときに、そのなかで「これはシステム1が優勢なモードと言えるのではないか」
みたいに書いて、「システム1」だけに文中リンクを張るというよりは、文章末に、「システム1とシステム2」というリンクが張られているほうが同じような発想をしたときのメモを串刺しで拾い上げやすくなる。
「好きと得意を生かしつつ、ゲーム化とメンタルケアで、なんとかより高いノルマ高度にしがみつく」
2022/05/03 22:24
その間には、「受動的に義務を果たす」とか「人目や先行の文化どおりに振る舞う」といった中間地点ももちろんある。
2022/05/03 22:22
すべてを諦めて飢え死にするか、いやいやたくさん働いて物質で自分を守るかの間
角を丸くして、右辺と下辺の外側にうっすら影を付けたりしても、
2022/05/02 12:59
愛され
ほめられ
宗教
仕事術
自分も仕事の話もしていない(どっちも多様すぎる)
世界の環境
身に付けても幸せになれない、実体がないから
手に取られない
⇒不安に応えていないから
2022/05/02 12:12
マンダラート
アウトライナーの自由奔放さ
私は、アウトライナーは気狭で、冷たい印象なんだよね。
2022/05/02 12:02
自分の会社での、自分の素質での、仕事術。
2022/05/02 11:58
101
怒られないために、上位概念から見て思考している
自由度の高いツールで、すごく息苦しく使う
2022/05/02 11:55
うちあわせ101
読者がそこで手を止めないだろうという信頼があるから、シンプルに書ける。
紙の手帳は、会社からツールとして押しつけられない。
2022/05/02 11:50
うちあわせ100
言葉そのものでしかないこと
2階層できると、プロダクトになる
⇒空行で区切りになって、
30年前の思いつきもつながってきたら、喜ばしいような気がするけど
考えるを生活の中に
⇒自分の思ったことは何なのか
⇒ある程度の雑多と、他者や場のような温かさがあること
←2022/04/22-2022/04/30/2022/05/09-2022/05/18→
https://blog.tinect.jp/?p=76386
今のは極端な例だが、ビジネス書の教えを「文脈から切り取った状態」で使用すると、ロクな目に合わない。
「自分の提案にわざと穴を開けておく」
この技術は、「圧倒的な論理的思考力を持ち、そのキャラが社内で認知されている森岡氏」だからこそ効果的なのだ。
もし、この技術を実践したいのであれば、森岡氏と同じように「圧倒的な論理的思考力を持ち、そのキャラが周りに認知されている」必要がある。
もう少し方法論チックに書くと
1.ビジネス書に書かれている事例・技術を把握し(提案にわざと穴をあける)
2. 2の裏側にある文脈を理解し(森岡氏は圧倒的な論理的思考力を持っている)
3.3の文脈が自分にも当てはまるかを照らし合わせて(自分も圧倒的な論理的思考力を持っている)
4.「筆者の文脈≒自分の文脈」であれば、ビジネス書の教えを実践してみる
というプロセスを踏むことで、はじめてビジネス書の教えを再現できる。
https://note.com/jimon_jitou/n/nd4cd797923f9
「学生らしい態度」「社会人らしい行動」「親らしい考え方」「女性らしい対応」。令和の時代におかれましては「らしさの押し付け」などと言われてはいますが、目にはさやかに見えねども、きっとまだ無くなってはいないのです。
あまりに大きく外れてしまうと世間というサイレントマジョリティーやサイレント機能を持っていないマジョリティーに「どうなのかしら?」と言われてしまうこともあり、
「好きな映画(音楽・本)は何ですか☺️?」と聞いています。
その際に「社会性がある方と、ない方どちらから聞きますか?」なんて返ってくることがあります。まるで「良いニュースと悪いニュースどっちから聞きたい?」というアメリカンジョークの導入みたいな話し方で、すごく好きです。
「社会性のある方の映画」として話題の邦画やハリウッド超大作のタイトルがあがり、「社会性のない方の映画」として過激な超問題作があがると、それはもう楽しくてガッツポーズしちゃう私ですが「どっちも、その人自身なんだなぁ」と感じています。その方はハリウッド超大作も好きだし、過激な作品も心から好きなんです。どちらも嘘ではなく「バランス感覚」なんだと思います。(もちろんディズニー映画しか見ないよ✨などという方もいらっしゃいますし、そんな方も大好きです!)
糖衣は好意です。「嘘をついている」とか「違う人格を演じている」訳では全くなく、どちらも大切なその人の要素です。正露丸だって糖衣をまとえば途端に飲みやすくなるのです。
「就職活動のスーツ」「お子様のお受験のためのママセット用アップ」「婚活用のワンピース」または「冠婚葬祭(結婚式や法事など)のお召し物」実はこんな“糖衣A”や“糖衣B”は型がある程度決まっているので、選びやすいのです。
複雑になってくるのは「狙った彼だけをメロメロにするけど、他者を寄せ付けないデート服」や「同僚に一目置かれるけど目立ちすぎないオフィスカジュアル」「ママ友とのランチ会で程よくマウンティングをかわせる服」や「社宅で旦那さんの上司の奥様に疎まれないけど、自尊心も満たすバッグ」などなど、生きていると変化球に飛んだ「糖衣ウルトラQや、糖衣クローバーZ」も着なくてはいけません。
ここで問題なのですが、世の中には糖衣を厚くしすぎて「セイロガン部分が分からなくなってしまった人」もたくさんいらっしゃいます。「自分らしい服が選べない」と言っている方はだいたい
「セイロガン糖衣A」は外見は甘いし、中身は効くので人気ですが「糖衣A中身無し」は、ただの糖の薄い膜なので、飲んでもプラシーボ効果しかありません。
そして、社会って「糖衣が分厚い人」が生きやすかったりするので、糖衣をできる限り厚くすることを推奨されます。
「真面目に勉強すると良い」「一生懸命仕事をすると良い」「尊敬される親になると良い」などとは言われますが「苦くてもいいから、正露丸を大きく、濃く、匂いを強く、効き目あるようにするといい」とは、あまり言われないんですよ。個性が強すぎると苦労するのが目に見えているからです。
https://note.com/yoshiki_stu/n/nb6a6d286ce3d
中途半端に「ポリコレ」に目覚めて「ポリコレオタク」になった人たちがやたら上から目線でいっちょかみしてくる事例が多いですが、この人たちはコミュニケーションにとって最も大切なことを忘れているのではないでしょうか。
当然「逃げられる」か「にげないまでもウザがられる」のが当たり前だ。
ところが、ポリコレ的な話になるとなぜかこの基本を忘れてしまう人がいるようだ。 会話が唐突すぎるのである。巷ではそういう人を「コミュ障」という。ポリコレの話をするときだけコミュ障になる人がすごく多い。
こうしたコミュ障化を防ぐためには、反発する人もいるかもしれないが(コミュニケーションとしては)ポリコレも一つの「オタク趣味」である、くらいに考えるのが良い。ポリコレに変な特権性を持たせいようとしない。
http://s-scrap.com/7554
たとえば、男性であるわたしがだれかの要求や主張を「感情的だ」と思ったり「不当な主張だ」と思ったりしたとき、とくにその相手が女性である場合には、わたしはまず自分の判断を疑ったほうがいいだろう。「女性は感情的だ」という偏見にわたし自身が影響されていないかを自省したり、自分にとって都合の悪い主張であるから不当に感じられていないかを確認したりしたほうがよい。その結果、わたしが最初に感じた拒否反応が正しくないと理解することで、相手の女性の主張に対してより適切に向き合えて、より理性的な議論ができるようになるかもしれない。
マイノリティに対するマジョリティの指摘がトーン・ポリシングであるかどうか、男性が女性に対しておこなう議論がマンスプレイニングであるかどうかに、客観的な基準というものはない。結局のところ、その判断は、指摘されたマイノリティや議論を聞いた女性に委ねられる。そして、マイノリティの人はマジョリティの人と同じように自分にとって耳に痛い指摘は拒みたがるものだし、女性は男性と同じように自分と異なる議論を受け入れたがらないものだ。そのため、適切な指摘や議論であっても、「それはトーン・ポリシング/マンスプレイニングだ」といって拒否されてしまうことがある。
https://toyokeizai.net/articles/-/13769?page=2
アメリカのリベラルアーツカレッジで、現在でも重要だと考えられているのは、ローマ時代の末期に成立したという「セブンリベラルアーツ」(自由7科)だ。なぜ、「自由7科」なのかというと、この7科が、奴隷でない自由人として生きていくために必要な素養とされたからだという。
「自由7科」は、「3学」 (トリウィウム) と「4科」 (クワードリウィウム) の2つから成っている。「3学」は、主に言語にかかわる3科目のことで、「文法」(Grammar)、「修辞学」(Rhetoric)、「弁証法(論理学)」(Logic)。「4科」は数学にかかわる4科目で、「算術」(Arithmetic)、「幾何」(Geometry)、「天文」(Astronomy)、「音楽」 (Music)である。
ローマ時代には、この「自由7科」の上に「哲学」(Philosophy)があり、さらにその上に「神学」(Theology)があるという学問体系になっていたという。その後、中世のヨーロッパで大学が誕生した際、この「自由7科」は、学問の科目として公式に定められ、その伝統を今もアメリカのリベラルアーツカレッジは守っているというわけだ。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220506/1651822091
自己実現について考えた時、私は、マズローの心理学が産業界に受け入れられ、例の、マズローの欲求段階説ピラミッドが今日でもまだ引用されていることに思わずにいられない。欲求段階説のピラミッドが古い古いと誹りを受けてもなお、繰り返し引用されているのは、産業界との親和性が高いこと、労働者や実業家が生産効率を向上させていくのに都合の良い言説だったからでもある。ドラッカーなどもそうだが、産業界がたびたび引っ張ってくる啓発的な言説は、どれほど人間の可能性を謳っているようにみえても、それは資本主義に適合する詩であり、生産性や効率性に貢献する社畜の歌である。ここでいう社畜とは、文字通り会社の家畜という意味だけでなく、社会の家畜という意味を含んでいると付言しておく。
文脈によっては、私はそのフロー体験をありがたがってみることもあるのだけど、今日はそういう気分じゃない。脳汁が出てるだけじゃねえか。ずっと出ているわけでもなし。唯一無二の脳汁であるわけでもなし。
でもって体制はたぶん、ロボットのように働けちゃう私たちに容易く安楽死の門はくぐらせないだろうし、安楽死しようよではなく、もっと楽しく生きようよとか、もっとポジティブに生きようよとか、もっとあなたらしく生きようよとか、声をかけ、支援を促すだろう。言い換えれば、ロボットのように働けちゃう私たちはもっと楽しく生きなければならないし、もっとポジティブに生きなければならないし、もっとあなたらしく生きなければならない、のだと思う。少なくとも、そういう読み換えは可能だ。
だから本当はアリのように、社会の細胞のひとつとして生きなければならない私たちにせいぜいできることは、せいぜい趣味や余暇を楽しんだり、家族や友人も含めた社会関係などをとおして実存を幻想したり、それぐらいのものだと思う。それぐらいのものだ、と書いたらたいしたことないように思えるかもしれないけれども、一匹一匹のアリである私たちにとって、案外それが重要だったりする。くだらないことに入れ込んだり、お笑い芸人に楽しませてもらったり、プロ野球やプロサッカーの結果に一喜一憂する、そういうひとつひとつだって、案外生きることの肝心な要素たり得るのではないだろうか。
https://hei-bon.hatenablog.com/entry/2022/05/07/073000
でもね、わたしは思うのです。たぶん、ヘンリー・ダーガーになれなかったヘンリー・ダーガー未満の人間は世界にたくさんいるのです。その多くの作品は拙くイタく、作品が見つからず捨てられたらいいほうで、発見されたら「キモ」とやっぱり捨てられてしまうのです、きっと。ヘンリー・ダーガーは見出され、そして非凡だったからこそヘンリー・ダーガーなのです*1。
自分より一生懸命研鑽を積んできた自分より上手い人なんてゴロゴロいて、差を自覚して惨めになる。そんなことばっかです。うん、わかる、匿名ダイアリーの主はこんなふうになりたくないので近づかない。賢いのです。
惨めでむなしくて何かを生産しているのに非生産的な気持ちになって、でもやりたいからやっちゃうのです。
*1:人に見せずに研鑽し、人を魅了するものを作り上げるのはたぶんすごく難しいので、ダーガーはそういう意味でも非凡なのだと思います
https://togetter.com/li/863440
https://twitter.com/sakko_o/status/633523329857511424
コミュニケーションをとるにあたって、言葉だけでなく抑揚や表情から言外の部分を読み取ろうとする人にとって、無表情は不安を与えたり不快感を与える表情なんだよな。表情作れないなら言葉でできるだけ伝える努力が必要
https://twitter.com/azako0310/status/632691089401507844
疲れてると表情がなくなる旦那に「なんで怒ってんの?」って結婚してから100回くらいは言ってる。
最近は表情を作る余裕がないだけって事は分かるんだけど、わかってても無表情の人が家にいるのはなんとなく不快(-。-;
これは私の問題か?
無表情はどうしても敵意を感じるんだなー。
https://twitter.com/azako0310/status/632691736335093761
@azako0310 「表情を作る余裕がない」ってのがわからない。
表情は常に気持ちと連動してて、不快な時は不快な顔になる。嬉しければ自然と笑顔に。
私はおそらく1日の中で無表情になる事はないのかも。
私にとって表情がない時は感情がない時。
そんな時は殆どないもんね。
https://twitter.com/azako0310/status/632700553127051264
@KaoruNatsumi4 リプありがとうございます!お気持ちよーくわかります!旦那に「家族の顔を見たら、疲れが飛ぶとかってないの?」と聞いたら「疲れは一人で休むことでしか取れない」と言われました(^_^;)
もともと人と接することはストレスらしいので疲れてると余計なんですね。
https://twitter.com/Koukakurou/status/632783074334408706
@marumushi40 @azako0310 ええと、あざこさんには、怒らずに聞いて欲しいんだけど、変な例えをするとね、ここは嬉しいと耳をパタパタさせる風習のある地域だとして、貴方の耳ぜんぜん動かないじゃないの?って尋ねられたような、そんな心持ちなの
https://twitter.com/Koukakurou/status/632783779266871297
@marumushi40 @azako0310 え?耳を動かしてないと、不安になるの?と、気づく事が出来た。それは嬉しい情報なのよね。そこから、耳を常に動かさなくちゃ…と出来ない努力をしてしまうと過剰適応で倒れちゃうの。
https://togetter.com/li/1032187
https://twitter.com/kagi_97/status/782204890378412033
「どうしてコロコロ漫画には女子キャラがあまりないだろう」って前から考えてたんだが…この理由いろんな意味で恐ろしくない?
https://twitter.com/ASURAa2s/status/782475983118934016
「女の子に興味が出始めたらコロコロはつまらなくなって卒業なんです」
深い・・・
https://twitter.com/KID_tw/status/782548563993632768
読者と一緒に成長しちゃいけないって言い切る強さが素晴らしい。離れて30年は経ったけど、子供が読んでるコロコロをめくると相変わらずあの頃のコロコロだもんなぁ。
https://toyokeizai.net/articles/-/582711?page=3
日本が今日でも先進国の一員でいられるのは、実は"東京一極集中のおかげ"ともいえるのです。ヒト・モノ・カネ・情報が今のように東京に集中していなければ、日本はどこかの時点で、G7(主要先進7カ国)から脱落していたかもしれません。多少オーバーな言い方をすれば、東京一極集中こそが日本を救っているのです。
なぜ、そういう理屈になるのか。それは、現代が第3次産業全盛の時代であり、第3次産業は大都市でこそ繁栄する産業だからです。
自然界に直接働きかける産業を第1次産業といいます。
では、第3次産業で製品を生産するために必要な場所とはどこでしょうか。
いまや、日本で働いている人の10人のうち7人は第3次産業に従事しており、その大部分が都市部で暮らしていると推察できます。
この第3次産業に特徴的なのは、人口が集積すればするほどスケールメリットが働き、指数関数的に経済がより巨大に発展していくということ。人が集まれば集まるほど、そのニーズは多様化かつ巨大化していき、新たな市場が同時多発的に増殖されていくからです。
人口100万都市が生み出す経済的価値=都市GDPを10倍しても、人口1000万都市1個分の都市GDPには遠く及びません。
⇒インターネットも、安易にゾーニングしたりクローズなコミュニティー化して外から見えにくくなってはいけない……、が、もはやそれも主張として難点を含むようになった。
先ほど、東京にはヒト・モノ・カネ・情報が集積していると述べましたが、東京は、いわゆる大企業が集積していることでも知られています。
たとえば、「フォーチュングローバル500」(2020年)のデータによれば、世界で売上高上位500社に入るグローバル企業のうち、東京都に本社を置く企業は37社。これは北京市55社に次ぐ世界第2位の多さであり、3位のパリ市、ニューヨーク州16社を大きくリードしています。