2021/09/11-2021/09/15
#採掘場
シン・エヴァがPrimeに入ってきていたので見た。
うむ。終わりましたね。しかし、「終わりましたね」以上のものが残らないのもまた事実なんだよな。
いや、色々といいシーンや表現はあった。
最初30分間の戦闘シーンの作り込み
農業と赤ちゃん、村の風景
座り込んでいるシーン、どのアングルからでも、構図が決まってるよな
この次元はもともと知覚できないから、システムが適当な風景を合成してくれてるだけだ、とかの上手い設定により、心象風景を連打
現実の世界に帰る
ただまあちょっと思うのは、
たしかに「終わった」、アフターストーリーになるようなエピソードがあり、それなりに各キャラが幸せになったように思えた。
でもさ、そんな「ハッピーな世界とキャラ」が見たいのなら、なんで今までずるずるとこの監督にしがみついてきたのよ? そういうこと、やらん人じゃない?そもそもが。願う先が違うでしょ。
⇒私は、ハッピーエンド至上主義者だから、「バッドエンドやりたがる人」に対するセンサーが過敏なところはあるけど、
TV版の共食い&嘔吐→バスタブ/3人目の時点で、結構「この人についていっても、望むものは得られそうにないし、お互いにツラいだけだな」という感想だったのだが。
オタクは現実に帰れ 言われてしまっていたしな。まあ、そうすべきだと思ってたし。
またたしかに「ネオンジェネシス」とか、新解釈の旧設定、というか「伏線回収」もあったけど、今回のそれを見て、「TV版から張られていた謎が解けた! 監督がこのシリーズに込めたテーマとメッセージがようやく読み取れた!」って、なるのかな?!
どちらかと言えば、メッセージならTV版の26話のほうが、テーマや設定なら旧劇場版のAirのほうが、分かりやすく見えている気がする。
……ということになると、これは誰が見て誰が喜ぶ作品だったのだろうか? という気分にもなる。誰が新劇を待っていたのだろう。
それに、ひとしきり取りまとめつつのハッピーエンドだったら、貞本義行の漫画版エヴァがめちゃくちゃハイレベルなテリングでストーリーを作ってくれてるから、もう私の中では片付いてしまっていた部分もかなりあって、それのせいもあったのかもしれない。
……おかしいな、3連ツイくらいで書けそうな気がしていたのだが、思ったより文字数がかさんでしまった。
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https://twitter.com/omoti194/status/1437001892182167556?s=21
うちの母ちゃんとかもそうやねんけど、「読書が好き」とか「歴史や芸術が好き」って人がいると《自分は馬鹿にされた》と受け取って攻撃態勢に入る人がたまにおるねんな。
⇒“読書”についてはないけど、“村上春樹”だったらあるかもな。うまく楽しめなかったコンプレックスがあるのでw
https://twitter.com/if0r5do2xx3il/status/1436884377225416704?s=21
彼らの意識では、道徳科においては人権ではなく感情をベースで助け合いをする世界を望ましいと考えているらしい。市井の感情が個々人の生きる権利の保障よりも優先される世界って、この道徳教育の先生たちはどこまで歴史を遡っていきたいのか。自助努力万歳という価値観の浸透っぷりもここまできたかと
https://twitter.com/if0r5do2xx3il/status/1436884371525431298?s=21
人権保障や生活保護に個々人の感情は関係ないという話をした際に、小学校の先生から「憲法で人権が保障されてるから弱者を保護するのか」「人権という仕組みがなくても助け合えるような子達を感情や共感に訴えて育てていくべきではないか」との指摘をもらってしまった。
⇒「決まりだから助けるのか、決まっていることだから従うのか」と言われたらそこはちょっと違う。
⇒統治者の人為を避けるための法治、というのは共感しやすい概念だけども
⇒「その憲法がなぜ定められたのか、なぜその内容で定まったのか」という人類史的な因果関係で語るなら、その入口はどうとか的感情で説明を始めるしかないんではないのかな、とは思う。
https://twitter.com/grayengineer/status/1437302439653216257?s=21
たとえば麻原逮捕前のオウムだって、自分たちはただの宗教団体であって犯罪とは無関係だと主張していたわけだけど、その主張だけで判断できるわけではないじゃない。自分たちがどう言ってるかだけじゃなく、第三者から客観的に見てどうなのか、というのも重要なはずだよね
⇒日本共産党自身は、綱領からは暴力革命はもうはずしてます、ということと、公安等はまだそれを諦めてはいないだろうと見做してマークしてます、ということの、どちらの事実に信を置くのか。
https://twitter.com/cloudy_raccoon/status/1437280648591331329?s=21
親ガチャって単語めちゃくちゃ軽率に使おうと思えば使える単語だから
『ちょっと稼ぎが悪い親の元に生まれただけのクソガキが言う「親ガチャ失敗した」』
と
『ガチ毒親の元に生まれて人生詰みかけてる人が言う「親ガチャ失敗した」』
の意味が乖離しすぎるのだ。
https://twitter.com/kaitou_ryaku/status/1437252388776153093?s=21
親ガチャ
↓
いやガチャ引いたのは子じゃなくてむしろ親やろ
というのが話題だが、要するにランダムマッチはどちら側からもガチャに見えるという話で、我々がガチャを引くとき、景品の側もまたガチャを引いているのだ
⇒いや、ガチャと認識するのは別にいいけどよ、じゃあお前リセマラっつーかリセットするのかよ。
⇒言われた側にはすごく嫌な気分のする言葉で、ということは別の場面では自分も言われてる(親にならないらしても「同僚ガチャ外れたー」とか)言葉になるわけで、そういう言葉を流通させてくのは、よくなくね?
⇒才能は遺伝するし、貧困や文化資本の固定化や格差の再生産が起きること自体は事実だし、虐待があるような親子関係があるのも事実で、そこを否定する気はない。
⇒当然、努力すればかなうということもいう気はない。
⇒単に、それを言ってお前の人生何か変わるのかよという話。
※→ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。
https://president.jp/articles/-/49827?page=2
二大政党制のもと小選挙区制度で選挙を行うと“風次第”でオセロゲームのような地滑り的な大勝が起こる。2009年がまさにその典型であり、民主党は衆議院全体の議席480議席のうち308議席を占めた。119議席にとどまった自民党の2.6倍の議席を獲得し、政権交代を成し遂げたのだ。
ある政治アナリストは「どれだけの候補者数を擁立しているのかは、その政党が政権を本気で奪取する気概があるかのバロメーターになります。いまの立憲民主党は、はなから自民党と五分に闘うつもりがないということなのだと思います」と冷ややかに見る。
⇒それで当選し続けられればいいけど、大量にチルドレンを確保して、次の選挙で落選するとかしたら、すごく苦しいことになるよね……。
https://m.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_613dd7ebe4b0dda4cbcfbc41?ncid=tweetlnkjphpmg00000001
吉田氏は、憲法や安全保障問題を重視する確固たる左派層を「岩盤リベラル」と呼ぶ。今回の共通政策は、岩盤リベラルが実現を求めている内容で、そこに偏重した立憲の姿勢が支持拡大を妨げていると指摘する。
「立憲は『岩盤リベラル』にあまりに忠実すぎて、そこからウィングを中道の『無党派』に広げられないのが弱点だ。夫婦別姓やLGBTQなどリベラルな論点は訴求力は高いが、幅広い有権者に浸透しにくい」
「一方で、立憲は(中道向けの)マクロ経済政策を打ち出してこなかった。リベラルと中道に橋を架けることこそ政治の役割なのに、岩盤リベラルに寄りかかった政党、という以上の存在感を示せていない」
⇒つまり、3つの層があるわけだ。
①安保反対絶対層
②夫婦別姓やLGBTQなどリベラルな論点を示していきたい層
③で、マクロ経済政策はどうしてくれんの? の実力重視層
だから、もし「②」をやりたいのなら、①と③は捨てて、「その分野は現与党の方向性を継承します」と言っていく。
政権担当能力を訴えるには、党内ガバナンスの構築が問われることになる。
「自民のような保守政党はリーダーの『権威』を認める文化を持っていて、親分の言うことには従う。対する左派政党は平等主義、個人主義的な文化を持ち、組織の統率が効かないことがある」
「立憲の枝野幸男代表のトップダウン的な統制は、党が取り込んでいる民意の幅が狭いから成り立っているが、民主党政権のように党が大きくなれば通用しなくなるだろう」
⇒自由を認める集団の、永遠のジレンマ?
⇒「だったら、政党とか党議拘束とか、そもそも無くしたほうがよくね?」という声も出てきそうだけど、法案審議はともかく、議員立法の20人や総理大臣の指名は無理が出てくるよね……。
総理大臣公選制とかは、ポピュリズム出てきそうだし。
「こういう社会を実現したいという思いがなければ、投票の意味はない。どうして、なぜ投票するかが大事だ」
https://blog.tinect.jp/?p=72544
「人からは理解されないんですが、私は勝とうとしてスロットマシンをプレイしてるんじゃないんですよ。プレイしつづけるため…ほかの一切がどうでもよくなるハマった状態、”ゾーン”に居続けるためにスロットマシーンをプレイするのです」
それまではゾーンというと、将棋やスポーツといった崇高な活動を通じる事のみで入れる深い集中の事で、とても神聖で高貴なものだと思っていた。
かつてはギャンブルというと、一点に大きく賭けてダイスを振ったり、当たれと念じてカードをめくったりといったハラハラ・ドキドキを楽しむものだった。
ところが、現代のギャンブルではそういう熱狂的なものは既に時代遅れなモノだそうだ。
淡々と目の前のマシンに没頭し、ひたすら回転を続けるリールが生み出すなめらかな無感覚状態に没頭し、ただひたすらクールに”ゾーン”に入り続けるもの。これが現代カジノのメインストリームだというのである。
それがある種の人達にはお金以上に求められているのである。
「マシンを一度まわせば…没頭して、トランス状態が永続する」
「すると主観が停止して感情が落ち着く。それはまるで…世界が溶けて消えていくような感覚」
「この感覚に入り込める。それだけで十分報われるんだ」
人生がうまくいっていた頃は、ボウリングや友人といった”社会的によいとされる対象”を通じて何かに夢中になり、嫌な現実から目を一時的に離すことができた。
それが大人になって、そういう”社会的によいとされる対象”が手の中から離れた人に残った気晴らしの対象は、お金を入れれば絶対に動くスロットマシンしかなかったのである。ギャンブルが生み出す”ゾーン”は弱い人の為の心の鎮痛薬だったのだ。
彼はスロットマシンについてこう語る。
「 いわば俺にとってマシンは恋人であり、友人であり、デートの相手ともいえる」
「だけど本当はそんなもんじゃない。 掃除機だよ。俺から人生を吸い込む、 人生から俺を吸い込むものなんだ」
何かに夢中になれるというのは大変に尊い事だ。
自分自身も、趣味や仕事といったものに時を忘れて没頭していると
「やっぱし世の中お金じゃないよなぁ」
なんて事を考えてしまうのだけど、改めて考えてみるとポリコレ作法に則って誰からも後ろ指をさされずに”ゾーン” に入り込めるのは特殊な特権階級に位置する人だけだろう。
⇒知的生産を「楽しいからやる」というのは、つまりそういうお金のかからない趣味、というところになるだろうか。
⇒ただ、本当に残念だけど、「誰でもできるようになります」とは、言えないんだよなあ。
現代人の進退をあやうくする「飲む打つ買う」
飲む:ネット
打つ:FX
買う:自分
と言っているけど、もうちょっと広げて
SNS(ここでは言えない面を出せる人間関係)
ゲーム、儲かりそうにも感じる勝負事
夢、自分探しなどの物語
とさらに換骨奪胎できる。
反政府運動は勝負事で、陰謀論は物語消費だろうか。そこで変なネットワークに満たされてしまったら、一つ目も満たしてしまう。