2021/09/05-2021/09/10
一回書き出して、間を置く。脅威が発生した場合、「本当はやりたくない」という身体反応が同時に発生している。それが鎮まるまで待つ方がやりやすいことがある。
集中したいときは集中しているときのことを思い浮かべる(筋トレの一レップでもいいし、ゲームでスナイパーするときでもいい)
やる気が欲しい時は、何かにイキっているときを思い浮かべる。「この肉をこれから食うぞっ」ってときのイメージでいい。
マイナスブリダンノロバ
簡単にイメージできそうでいて、考えようとすると、うまくイメージできません。
正解の時間の使い方と比較して遅い、という観点で奮起させる
「しゃっくりは息を止めればおさまる。15秒以上止められないのは甘え」
彼女も本を読む人なので。ぼくよりもはるかに優秀な読書家なんです。だって『独学大全』を80分で読むんですよ。
――えっ。
ぼくは本当に読むのが遅いんですけど、彼女は速いんです。だから、『独学大全』の読書法の部分をみて、「色々と工夫しているけど普通に読めばいいじゃん……」とちょっとかわいそうな目で見てるんじゃないかな(笑)。
⇒えっ
もうひとつ、トンデモは素朴に面白くないんです。分かりやすすぎるというか、マンネリというか、人間がハマりやすいパターン、例えば認知バイアスのようなものに、わかりやすくハマっている。
「○○が悪い」「○○の陰謀」みたいな素朴な嘘を信じるよりも、一筋縄でいかないことをやったほうが複雑で面白いと思いますよ。
もちろん歴史家だって個人としてはそうしたバイアスの影響を免れない。でもだからこそ、歴史学には、そうしたものに陥らないための方法論の、そして論争の積み重ねがあります。
過去を振り返ると歴史学者が、すごく単純な主張をしたり、ひどいことを言っていた例はたくさんありますが、歴史学の中でもやがて批判が生まれて、主張のまずい部分が吟味されていく。そうして知識を改訂し続けて、それなりの蓄積はしてきたという信用があります。これは個々の学者を信じるというよりも、人類が改善を重ねてきた知的営為をリスペクトするということなんじゃないかと思います。
きっと、仲間がいないのがぼくの大前提なんです。今週は先週と全然違うことに夢中になっていたりするので。地方だから同好の人が見つからないのではなく、きっと都市にいても見つからないんですよ。
師匠を持つことも弟子を持つこともできないだろうと。アカデミシャンとしては死刑宣告ですよね。実際、その通りになってしまった。でも幸いにして、読者はいてくれる。最初はネットを通じて、遠くにいる人たちに、自分の書いたものを読んでもらえるようになった。
私も「買って後悔したことはない」と認識している作家や物書きがいて、そういう存在がいること自体が、人生の楽しさを増やしているようなところがあります。村上春樹のいう「小確幸」ですね。
自分もそういう楽しさを増やすことに貢献できているとしたら、そんなに嬉しいことはありません。今後も頑張っていこう、という気持ちになります。
⇒「褒めてもらえたから嬉しい」という安直な形ではないということなのかな。
・ただし、「文章を読めないアホ」というフレーズを使ってしまうことそのものが、お前が「非識字」者に対する差別感情を無意識的に持っていることにほかならず、ロジックがどうあれ、そういう表現そのものに対して批判するのである、という立場があることも知っている。そしてそういう表現をあらためることが「差別」をなくすのだから、そういう表現を使うのは今後控えてほしい、という主張があることも知っている。
・しかし、私はそういう主張に対しては批判的な立場をとっている。レトリックは自由であるべきだと思う。そして、議論はロジックによってなされるべきだ。レトリックに対する批判とロジックに対する批判を混ぜるべきではない。
私は不安なとき、自分と同じように悩んでいる人のボヤキを目にすると、どこかホッとするんです。
不安を解消するための的確なアドバイスなんかよりもずっとありがたい。
妊活の決心に至るまでにも、たくさんの「悩める妊婦の想い」を読みました。
だからこそ「みんなもがんばっているから、がんばろう」と自分を説得できた気がします。