2021/04/01-2021/04/10
#採掘場
絡みついてくるものを、前に置き直す
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東京の過去の天気
https://weather.goo.ne.jp/past/662/
https://courrier.jp/news/archives/228309/?utm_source=article_link&utm_medium=longread-lower-button&utm_campaign=articleid_228293
シニシズム(冷笑主義)とロマン主義は通常、正反対と見なされている。そのため「ロマン主義的シニシズム」という表現は奇妙に思えるかもしれない。ロマン主義者は美と感傷、崇高さの追求に没頭するのに対し、シニカルな人間はすべてのもの、すべての人が利己心に突き動かされているに過ぎないと軽蔑する。そして議論に矛盾があれば大いに馬鹿にし、偽善だと笑うのだ。
北田の逆説的な洞察によれば、ネット右翼は絆を結ぶために、掲示板やブログへの投稿に皮肉とシニシズムを使った。例えば元ネット右翼参加者は、寂しさと仕事の失敗に耐えるためにサイトを使ったと告白している。親身になってくれる繋がりは彼らにとって、目的達成のための手段ではなく、目的そのものだったのだ。
笑いからくる強いワクワク感は、ネットコミュニティを繋ぐ接着剤だった。
ここで矛盾は増大する。北田の主張によれば、シニカルなロマン主義者たちの大手メディアに対する敵意は実のところ、メディアに対する過度で熱烈な愛の裏返しだという。
アメリカのオルタナ右翼と同じく、日本のシニカルなロマン主義者たちは取りつかれたように大手メディアの報道を熟読し、自分たちのシニカルで陰謀論的主張を強化するのに使える矛盾や偽善を探す。メディアのリベラリズムは目も当てられないと言いながら、彼らはそのコンテンツへの依存をどうしてもやめられないのだ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78045?page=6
また、そもそも日本は同調圧力や同質性が高いということもあり、対立が存在していてもそれが表面化することが少ない。それは、マイノリティが声をあげることが難しく、社会正義を求める運動が盛り上がらずに不正義が放置される、という欠点にもつながっていることには留意するべきだ。
https://note.com/nametank/n/nd72ddb9b9f26
「萌え型」と「排出型」と呼んでいるのですが、まず「排出型」は漫画家自身の心になにかどうしようもない渇望があって、その苦しみから救われたい思いで漫画を描くタイプ。
「萌え型」はキャラクターや生じた状況に対して「萌える…」「尊い…」「グッとくる…」とこんなのあったら最高だな、という気持ちで描いていきます。「排出型」が自分を見つめているのに対し「萌え型」は他者を見つめる視点です。
またこれは漫画家本人の中に問題があることもあって、楽しく「萌え型」で描こうとしているのに、自分の心の中の問題が強すぎて、漫画を描いているとそれがむくむくと現れていき、最終的にとても「排出型」作品になってしまう、ということもよくあります。
ライトな雰囲気にしたいのに魅力的なライトさが描けない、ということであればこれは学んでしまえば解決できる問題ですね。漫画は同じできごとや状況でも「リアクション」「感情表現」でライトにもシリアスにもできます。
ライトな作品の中にあるシリアスシーンって、ギャップを利用できるので強く心を掴まれるんですよね。そうやってシリアスもうまく忍ばせていくことで、シリアスも描けるんだという認知をしてもらい、少しずつ求められるものも変えていけたらいいですね。
土井 例えば、目玉焼き一つ焼いたとしても、昨日の目玉焼きと今日の目玉焼きは違うわけです。料理は自然を扱うものですから、絶対に同じにはならない。「昨日のほうがよかった」と、ごくわずかな違いが自分にはわかるんです。誰も気づかないし、気にも止めないけれど明らかに違う。それって音楽の世界にもありませんか?
岡村 あります。昨日と今日はまったく一緒にはならないです。
土井 でしょう。なのにそれを、お客さんに出す、尊敬するような人に出すというのは、自分が丸裸でその人の前に出るような気持ちになるわけ。
家庭料理はそれぞれのやり方でいい。公共性という正義に潰されてもダメなんです。
しかも一汁一菜は、「誰かに一緒にやろうね」なんて言わなくても、「あ、それはいいな」と思えばいつでもやればいいこと。