2020/08/20-2020/08/22
大家の義太夫(おおやのぎだゆう/素人の義太夫とも)
傷つかない今、何者でもない今
気分を破壊して怖くないと思い込む。
フローのトートロジー的破壊。
2020/08/15 · 女性は「結局は旅行者の自己責任これではまじめな人ほど損をする」と話した。(朝日新聞)
ネットでは威勢のいい発信をしているのに、リアルでは物腰がやわらかくおとなしい人、といったギャップがあるのは自分を偽っているわけで、とくにビジネスでつながろうとする場合には少しもいいことはないから
位置: 757
リアルの世界には、おしゃべり好きな人とそうでない人がいると思います。SNSの世界にも向き不向きがあり、おしゃべりをしたい人もいれば、聞き役に徹して時折あいづちを打つ程度で満足する人もい
位置: 807
日本は国土が狭く、多くの場合言語も通じやすいので、リアルのコミュニケーションがとりやすい国です。そのため、ネットやSNSというのは、どうしても一部の人のための「特殊な」ツールとして扱われてきまし
位置: 1,785
これまで、日本社会や日本企業においては、ネットやSNSに詳しい人というのは、「特殊な」人として、ある種の偏見をもたれていじられたり、浮いた存在になりがちだったように思い
位置: 1,790
⇒私はネットでも結局消極的だったし、職場や業界や地域社会の人間関係を深化させたくもないし、拡張させたくもないし、今の仕事をこれ以上一所懸命やりたくもない。つか、家族メンバーにすら、これ以上の認知リソースを搾り取られたくないところがあるので、ネットは逃避のための別世界であってくれて別にいいなあ。
いや、お金はほしいよ。欲しくないわけじゃないんだよ。でも、束縛と責任はいらないんだ。あと、リスクもこれ以上は取りたくないんだ、ハラハラして疲れるから。
束縛と責任と、リスクと、あとケアなんかを負担せずに、お金だけ他の人から分けてもらって、細々と生きてたいんだよ。
あと、家族にはお金を結構注いでいたい。
だからもう、本当に鉄板的な生き方しかできないんだよな、リアル世界だと。
そしてその結果、より楽しくなくなる。
そういえば、ネット人格とリアル人格の一致度を5レベルくらいで分類するとおもしろいかも。一つの極が完全一致、もう一つの極が、ネットでは炎上を煽っててリアルでは真面目で堅実で地味な人。
真ん中のレベルに振り幅があって、「レベル3タイプA」と「レベル3タイプB」とかなるかもしれんが。
インターネットが受け皿であったからだ。何の受け皿かと言えば、社会不適合者の受け皿である。
社会には文化が枠組みとして存在し、日本のそれはムラ社会的であった。その均一性になじめない人間は居場所がなかった。そうした人たちに、インターネットは居場所を与えてくれた。もっと言えば、自らでその居場所を作る自由を与えてくれた。
なんかうまい言葉はないのかな。
そうなのだ。個人で管理されるサイトは、その個人が何かしらの事情を抱えたり、もっと単純にこの世界から去ってしまったらいずれ消えていく。
おそらくは何かしらのアソシエーションがあり、そこで知の委譲が行われることが望ましいのだろう。そして、そのアソシエーションは、固定化して巨大化することを避けるために、常にブリンクしている必要がある。つながっては途切れ、また別の場所とつながる。そういう明滅を繰り返しながら、形を変えていく「つながり」がこれからは必要なのかもしれない。
⇒「つなげる」「引き継ぐ」操作が異様に簡単じゃないと、すぐめんどくさくなりそう。
まずお伝えしておくと、夫は松潤に似ていない。
人類を嵐の5人のタイプに分けたら松潤カテゴリーに入るというだけだ。
かっこいい髪型になってウキウキで帰ってくると思いきや、美容室の大きな鏡でみた自分が明らかに変わっていてショックを受けたというのだ。
何より驚いた一言が
「おれ、全然松潤じゃない…」
そりゃ、
そうだ。
ここでしょぼくれては困るので
「少し痩せたら松潤になれるって保証あるの良くない!?一緒に頑張ろうよ!」
・たまに読むと、こんな匿名はてなもおもしろいものだな。あと2つほど読んだ。
⇒ちょっと興味深い2軸
「熱血⇔理論」はまあ分かりやすいとして、
「青春/ラブコメ⇔特異/ギャグ」ってなんなんだ
それでいて、意外とおさまりがいい
これはあれか。「リアル⇔スーパー」の変法か。
スーパーにしないで娯楽性を維持しようと思うと、“青春”にならざるを得ない、って示唆的だな。
で、軸が分離し切れないで「熱血×スーパー」と「理論×リアル」でだけ充実して、残りの2領域が空集合になるかというと、むしろ逆なところが興味深い。
「成人における友情の意義」とか「人間の生にとっての恋愛とは」みたいなテーマだとしても、本を抜きにしてずばりそんな話題に至るのは難しいだろう。
⇒昨日見たテレビの話とか、共同体の噂話とか、政治家の話とか、「そんなことしか話すことないのかよ!」と思うような人たちが嫌いだったけど、自分も似たようなものかもしれないな。
窮屈な価値観です。で、そうやって苦しくなるから、解決を求めてまたノウハウ書を漁る。そうして、悪循環が強まっていく。そんなことが起きるのかもしれません。
昼夜逆転になりますよね。やっぱりひきこもってる時って、活気がきついんですよ。活気がしんどいというか、普通に部屋の中に閉じこもっていても、やっぱり窓の外からなんとなく、キーンコーンカーンコーンとか、学校のチャイムの音聞こえてきたりとか、登下校の時間とか、家の前を通ってる小学生や中学生のキャッキャいうザワザワいう感じとかが窓の隙間からちょっと漏れ聞こえてきて、
行動的なとこだけ言うたら部屋から出ないとかそういうことなんでしょうけど、結局、なんか僕の中ではひきこもってるっていうのは、世の中に参加してないというか、関係ない人になるっていうのがひきこもった状態かなとは思いますね。だからよく、歯車になりたくないとかね、親の敷いたレールの上をなんていう話がありますけども、もう、ものすごいやっぱ歯車になりたかったですよね、そん時ね。
なんかもう全然、自分だけ純正の部品じゃないというか、世間とか世の中とか社会とかとは、もう関係ない人になったなっていう思いがすごく強かったですね。
ジョギングとかバイトもそうやし、たまにちょっと外出るっていうのも、ほんとに息止めて外出てるみたいな、要するに毒ガスが充満してるところに息止めて、お札かなんかとってきて帰ってくるみたいな感覚でやってるから、もちろん全然社会に参加してるような感覚は全くないですし、やっぱり、しんどいですよ。
同年代の人の成人式のニュースやったから、それまではなんか、いやいや、言うても取り返せますよと、勉強一つとっても、ちょっと勉強したら、俺やったらもう全然追いつけますっていう気持ちがあったんですけど、
別にひきこもってることって、生き方としてたぶん僕は下手やと思うし、間違ってるかもしれんけど、別に善悪で言うたら別に悪ではないわけですよ。
「まあまあ、でもそのひきこもってた6年間があったから、今の山田さんがあるんですもんね」みたいな、ものすごい手柄顔で聞いてきはる人が、それはもちろんいいんですけど、全然。あるんですけど、ほんとに自分だけ、僕個人にかぎって言えば、ほんとにあの6年間ひきこもってた時期というのは、僕はほんとに無、完全に無であったと思ってるんです。やっぱり、その期間中、友達と遊んだり勉強したり、花火したりバーベキューしたりのほうが、人生としてそれはまあ充実してるのは間違いないんで。
おっしゃる人、おっしゃりたい人というのがいるんですよ。
そういうところに、なんかしんどいなって思う。むだはむだでいいじゃないのっていう、そんなに自分の人生が隅々まで何かしらの栄養がないとあかんのかっていう。
なんかこの言葉とかこの考え方を言ったから、その人がハッと気づいて、次の日からカーテンをシャッと開けて、洗いざらしのシャツ来て外飛び出して行きました、みたいな言葉はないと思うんです(笑)。それはありゃいいんですけど、あればあるに越したことはないんですけど、当時の自分の考え方とか心境を思い出してると、大概何言われても、ひきこもってると受け付けないっていう場合が多いと思うんですよ。
これはもう無理なんや、できへんのやっていう、諦めて、この可能性を消してあげることによって、むしろできることが見つかるかもしんないですし。
⇒このへんの、「歯車になりたい」「可能性を消して」って、青春の感覚だよねえ。痛み。
歯車になる、というイメージを考えるときの、「社会からの要請と、自分の欲求の、相互作用や落としどころ」みたいなイメージはこころに止めておきたい。
「女であることで社会から要請されるイメージ」とか。
いや、わかんないすよ。学者先生じゃないですから(笑)。まあでも何ですかね、僕の経験だけで言わしてもらうと、さっきの自分を諦めてあげることってすごく大事やなって。なんか、どうしても今って、是が非でも人生とか生き様とかに意味がないと、意味がないというか、キラキラしとかないと、生きてる価値がないみたいな、
1億総活躍してたら、相対的にだれも活躍してないです、これは。結局、活躍って何やねんってなったら、だれかが活躍してないってことなんですよ。相対的なもんですから、やっぱり。て、考えると、現実はそうなんだから、あまりにもそのみんなのなんか生きるハードルみたいなんが、けっこう徐々に上がりすぎてて、もはやくぐるしかないような状態になってるんじゃないかなって、そういうことももしかしたら、ひきこもりの人が増えてる原因なのかなとか思ったりもしますけどね。
⇒「あまりにもその」「みたいなんが」「結構徐々に」「すぎてて、もはや」「なってるんじゃないかなって」「そういうことももしかしたら」「原因なのかなとか」「思ったりもしますけどね」
⇒文字にするときなら、もうちょっと整理してもいい気もするけど
ただ、これだけ“見どころ”“名ゼリフ”の箇所ばかりを抽出したような記事になってるってことは、編集が無能とか無作為ということは考えられない。
⇒たぶん、全体の流れの中で必要な“生身感”を感じさせるのに必要な口語成分と、
⇒それに乗っけて、ここら辺が1番核心というか不穏な箇所だから、それを語る上での作法というか言いよどみみたいなのは、「これ以上は消すべきではない」という判断があったのかもしれない。
なかなか魔法の言葉はないんですよね。だから「わかるよ」っていうことしかないです、僕は。いや、その全員、全員の気持ちはわからないですけど、僕に似たようなケースのひきこもりの人であれば、「いやいや、気持ちわかるよ」っていうことは言ってあげたいですけど。こうしたらその状況から抜け出せるぜっていうのは、それは僕は持ってないですね、それは。「わかる、わかる」ということだけですね。