2020/08/12-2020/08/19
たまたまリアル書店に行くタイミングがあって、新書(判型としての“新書”)の棚の前で、何冊か漁ってみていた。
新刊の棚や各種ジャンルの棚に比べると、漁っていて目に楽しい。断片感(雑多感)がありつつ、でも過剰に売れ筋・消費的でもない。 えー、何これ、めっちゃ楽しい。とりあえず、「情報収集」とか「共同体」とかに興味があったら、頭が整理される以上の効果はあると思う。 基本的に、社会の福祉は、既存の体制を円滑にまわすことで生み出されるので、弱者保護、社会の安定、公共の福祉を口実に取れば、あらゆる旧態の社会構造や既得権益を擁護できる。
あるいは、自由や公平を旨に社会を変革すれば、弱いものは必ず死ぬ。
「貴様はいい。そうしてわめいていれば気分も晴れるんだからな!」
「シャアを超えられるやつだと思ってた。残念だよ」
思考が恐怖を作ってるのは事実だが、思考することが怖いわけでも思念が怖いわけでもない。
ならば、怖くないと言えば、怖くない。
ダメな人の行動を変えるには法規制(行政)しかない
これをなんとかする。
何かをしようとするとき、それに先立って作業イメージを持とうとする。そのとき、具体的で実際的なイメージが浮かぶほど慣れたことならいいけど、そうではないとき、感情の中枢が代わりにそれをしようとする。それがまずい。
顔は外界と相応している。
思考もそれと似ていて、外界の影響を受ける。
でも、自我と同じで、内側の態度の影響がまったくないわけでもない。
えっと、まずですね。女性には基本的に女性というだけで、男性に対する性的なアピール力があります。
これは本人に自覚があろうとなかろうと、自動的に発生するものです。
女性が「女を武器にしている」つもりはなくても、男性にとって女性は女性ですから。
正直なところ、検索結果がノイズまみれになっていること自体は、それほど悲観していない。それは便利・不便の尺度であり、ユーザー側が工夫すれば解決できることは多い。 しかし、
現在のインターネットの面白みのなさは、極限に迫りつつある。ブログ周りはなおさらだ。
「こういう機能が欲しい」という要望に対して、「この機能の方が良くないですか?」と切り返せる(つまり、自分で考えてタスクを設定できる)力が必要である
その結果として、(自分にとって)使いやすい道具が生まれるが、それ以上にある種の表現が(そして創造)がそこにはある。その現象が持つ意味はひどく重い。なぜなら、私たちは創造を通して、この世界と関わるからだ。