2020/07/26-2020/07/31
もうコロナはいいかな。
賢い人・偉い人に任せるから、上手いことやっておいてくれい。
情報を集めたり、自分の意見を持ったりはもういいかな。
どういう方針であれ、みんなが「これでいく」って決めた方針なら逆らわないし、どんな結果であれ受け入れるから。あとよろしく〜。
カラオケたる愚痴
共感を求めているのですらない。
満足していてほしい
性らしさが刷り込まれてくる
生まれつきの性差
保育園で友達から教わってきてしまうもの
社会からの要請
135レベル
あらかじめ資産が、そういう風に世界の方から与えられていると、その価値はバカバカしいけど、疑うべきだけど、捨てる意味もない。
泣いてくれるかな
入院したら、死んだら
夫が手のかかる長男化
集団の中で客観的でいたいし、理性的でいたいし、それが得意だし、向いている。
けど、親が2人しかいないときに、1人が「一歩引いた態度」でいることの贅沢ったらない。
脳が演繹している
ボーナス
人柱
誰か死ぬまで止まれないのか
この死を無駄にするな
でも
これで悲しまなかったら人間として終わってる
スポーツジム」とツイートに追記
お金やモノと引き換えに失っているものについて、たくさんの論説が記された。上掲の『豊かさとは何か』も、そんな本のひとつだ。
学生時代の私はこうした本を何冊か読み、「お金を稼ぐだけではどうやら幸せになれないらしい」ことをまず知識として知った。
この知識が実感へと変わっていったのは、学生時代が終わり、仕事やオフ会でいろいろな人に出会うようになり、無数の幸福と不幸を垣間見るようになった二十代なかば以降のことだった。
『豊かさとは何か』に登場する不幸や喪失は、なるほど実在していた。
だから、手近にあるマンガを読んでいるのと、少なくと同じくらい熱中できるようでなければ、こんなブログ記事などはそれこそ書かないようにしています。幸いにも今のところ、どんな仕事をしていても、マンガを読むよりは面白いのです。
⇒疲れている時は、より簡単でより刺激的な漫画を読みたくなる
⇒そういうときは、その行動の絶対度が高い
御自身の「記憶」は「記憶(または記録)にすぎない」のだから、そこに「評価基軸」を「設定」する必要性はなく、したがって「激しい上下動」などというものは実在はしていないのであり、「残念」なこともなにもないとご理解いただければ幸いです。
A
だけでは、何もわかりませんが、
A い α 235
と集まれば、いかにもとりとめないことがわかります。でもって、それと同時に、「A」と「α」の類似性、つまり方向性も見えてきます。
とりとめない日常の中で、意識的・無意識的に「とりまとまってしまう」もの。発生するパターン。そういったものも見つけ出せるのです。
⇒構造化されているものは読みやすいけど、構造化されていない安心感というものもあるし(ツイッターのタイムラインなど)、構造に気付いたり見付けたりする喜びもある。