2020/06/05-2020/06/12
不安に駆られて何かの努力をした人達は、暗黙に報酬を求めている
祈る
文章がうますぎるところで、好き嫌いが出るかもしれない
弱者のサバイバルって、教訓を得放題だから、読んで面白くないってことはありえなかった (せめて日本教について『語り』たいと思ってしまうわけで)
会話のつまみとして、パリパリサクサクと消費してしまうような話題として、相手の興味に供するものとしてなら、別に日本の歴史について語りたいとは思わないな、と思ってしまうな。
「親切にする」ってことでもいいかもしれない。昔のご近所が醤油の貸し借りをしたように
今、生活に占める、情報やデジタルの比率が上がっているんだから、そこでの「親切」もありえるはずなのだ。
オンラインでも、人間関係は親密圏であることが1番重要な人もいるかもしれないけど、
オンラインにリアルを持ち込まなくてもいいし、
親密だけが仲良しのムーブでもない。
山上 批判もありますけど、批判が出ていいんです。その批判も、世に出ないことにはわからないことなんですから。草木原さんはじめ、世に出なかったものをつくることの辛さも知っていますから、世に出るということがまずうれしいし、そしてそれがお客さんに届くということがうれしいので、「あー良かった」ってこの時点で思っちゃうんです。 山上
ただ、課題も残っていて、
服をただ売って収入を得るというだけでは、飽きちゃう人もいるだろうと。 岩田
繰り返して遊んでいただくためには、
別のおもしろさが必要になるんですね。
山上
田島
実際に洋服屋さんとかで働いていて、
お客さんからお礼を言われるとうれしいと思ったんですね。
たとえば「先週買った服でデートに行ったら、
彼氏にほめられたの。ありがとう」とか。
男性にとっての『ガールズモード』の楽しみってどんなところにあるんでしょうか?
山上
わたしなりの楽しみかたを言いますと、自分はゲームの中でお店にやって来るお客さんはRPGやシミュレーションゲームの“敵”だと思っているんです。 岩田
お客さんが“敵”ですか? (笑)
いろんなことを考えて、最後の最後で「撃てーーー!」という感じでドンと出すと。
岩田
“売って”るんじゃなくて、“撃って”るんですね(笑)。
一同
(笑)
山上
そこでお客さんが「買うわ」って言ってくれたら、(ガッツポーズをしながら)「よしっ! 倒したー!」みたいに・・・。
岩田
倒すんですか? お客さんを?
山上
するとお金がチーンと入ってスコアゲット!・・・みたいな感じで遊んでいます。 ⇒この感覚は分かる。題材があり、判定式があるのなら、クリアやハイスコアの方法を考えたくなる。ゲーミフィケーション。 たとえば、ある男性スタッフは、「いかに効率よく儲けるか?」ということを話していたりするんですよ。「いかにお客さんから1回のコーディネーションで お金をもぎ取るか」みたいな(笑)。 山上
それはそうですよ。だって、「予算は3万円」と言われたら、なんとか2万9000円くらいにまとめて「なるべく高く売ろう」って考えちゃうんです。
シリーズをあの速度で出しながら品質を維持するということは、当然、大きなチャレンジなんですよね。シリーズを出しながら、ほかの作品も展開しているわけですから。
日野
そうですね。僕の目標としては第一にゲーム業界を盛り上げたいなと思っていて、毎年新しいゲームのフランチャイズをつくることが目的なんです。だから『レイトン教授』をつくった次の年に『イナズマイレブン』、そのあとは『二ノ国』や『ダンボール戦機』をつくって・・・。そうやってどんどん新しいものを生み出さないと、本当にゲームの世界がダメになると思っているので。だから、命題として新しいものはつくりつつ、会社として安定しないといけないのでシリーズ作品もつくる、と。 具体性を欠く批判は誹謗中傷に近づきやすい。「君、昨日掃除しないで帰ったでしょう。役目を果たしてください」は批判です。これが「君はよく掃除をサボるね」となるとやや具体性を欠く。「君はサボり魔だね」まで行くとけんかになる。抽象的は中傷的、と言おうか。批判には具体性が必要です。 また、その春樹さんもエッセイや連作短編のようなものを書くときは、あらかじめ書くことをストックしてから臨むと書かれていました。やはり、連載という外部的な要請に応えるためには「出せるものが溜まるまで待つ」というスタイルではやっていけないわけです。 外山滋比古が管理している情報は、一度使用されたら役割を終えるたぐいの情報なのです。つまり、それは「ネタ帳」なのです。 ⇒確かに、減っていく要素がないのだとしたら、ノートの管理は永遠に減らず、時とともに増え続けることになる。
その上、ツイートしてから1日以上経っても、通知欄を見るたびに、過去の自分にぐいっと引き戻される気持ちがしてくるのです。これはなかなか堪えます。
どう答えたらよいのだろうかと戸惑った。戸惑った一番の理由は、私が、その問いの解答を知らないからだ。だから、私は、「知らない」と答えるべきかと思った。それも誠実ではあるだろう。ただ、昭和という時代に生きた私は、知っているとは言えないが、思い当たることはいろいろある。それを語るべきだろうかと、戸惑いが広がった。 こう答えたと思う。「本当の理由はわからない。ただ、私が思う理由を話していいかな」
Wikipediaがそのことを書かないのは、典拠がないからだ。むしろ、私が書いているこれは、お前さんの思惑にすぎない、といえば、そうだ。ああ、歴史というのは、こういうものなんだろうなと思う。同時代の私は、なぜ、『少女コマンドーIZUMI』なんていうドラマが生まれ、そして、奇妙な事件と意味づけられたある歴史の感覚を持っている。それは明瞭な感覚だが、史料的に裏付けられはしない。
⇒歴史学者とか科学者とか、「分かっていないことは語らない」んだけど、それだと畑を超えた場所に住んでいる人は全く読み取ることができず、トンデモに絡めとられるリスクが上がってしまう。
我々はシェイクスピアを、シェイクスピアが書いたようには読みません。したがって我々のシェイクスピアは、書かれた当時に読まれたシェイクスピアよりずっと豊かなんです。
⇒そこまで、言い切れるのか。
もちろん、そこに前向きにならないと、読書なんてできないけど。
情報の組織化に必要なのはたった5つで、それは「場所」(Location)、「アルファベット」(Alphabet)、「時間」(Time)、「分野」(Category)、「階層」(Hierarchy)だというのだ。略してLATCH(ラチ)という。 ⇒アウトライナーを彷彿とするな。前3つが並び順を、あと2つが分岐鎖に相当? 何かを習慣化(ルーチン化)していくと、当人たちの認識力が極端に落ちていくということ
⇒そりゃあ、そのためにこそ(ある意味では)ルーチン化するんだから……
インストラクションは理解を交換するためにあるという、このことだ。
インストラクションの基本は次の5つ(5つだけ)で構成される。送り手(givers)、受け手(takers)、コンテンツ(content)、チャンネル(channel)、コンテクスト(context)だ。 まず、送り手と受け手は一人の人間のなかでは潜在的同時に成立している。だから、インストラクションがうまくなるには、自分のなかの送り手と受け手が重層的になる必要がある。
コンテンツは情報内容ということではない。情報のシンタックスから内容のセマンティクスを取り出して次のトポスのところへ、そのセマンティクスを巧みに移転することなのである。シャッフルし、編集し、リデザインすることなのだ。コンテンツを動かそうとしたときの、その動きを方を含めたものがコンテンツなのだ。じっとしているコンテンツはコンテンツではないのだ。
⇒もう、なにを言っているのか受け手の方がオーバーフローするでございます。
⇒情報の構造から内容の意味を取り出して次の表現へ(≒解釈?)
編集工学の言葉でいえば、「乗り物と着物と持ち物を一緒に見る」ということになる。さらにいえば「ツールとロールとルール」を一緒にインストラクションできるようにするということになっていく。 ⇒テレビゲームのことっすか?
システムに「見方」と「見方の移動」を入れておくということ
以上の5構成要素のいずれにも、必ずつきまとっている属性がある。使命(mission)・最終目的(destination)・手順(procedure)・時間(time)・予測(anticipation)・失敗(failure)だ。これらがともなっていることを付け加えておきたい。失敗というのは、どんなことにも失敗があるというのではなく、あらかじめインストラクションには失敗したときのことを入れておくべきだという意味である。
仕事の指示に関する情報や知識には、たいてい2種類のものがまじっている。ひとつは「段階的構成要素の情報」で、もうひとつは「広がりを束ねる情報」である。これを、インストラクションの発信のときや受容のときに取り違えないようにする。 けれども、これらはたいていはネステッド(入れ子)になっている。そこで、ハイヤーインストラクションではこれを分離して、区分けできるようにする。
異なるレイヤーに乗っている情報や知識と、フローをもって節目を次々に進んでいく情報や知識とを、分別するように自分を仕向けるわけだ。
ただし、ここで注意がいる。インストラクションには当人の喋り方や書き方が密接に反映しているから、その当人がフロー型の喋り方をしているクセの持ち主である場合は、ほとんどレイヤーの区別が相手に伝わらなくなっている。またその逆に、マッピングはうまいのに、仕事の流れや手順が相手にほとんど伝わっていないということもある。これらはどちらも、レイヤーとフローを分別できていないからなのだ。 火元 ストラクションというのは、「インストラクション」(教示)と「コンストラクション」(構築)の両方の意味をこめたもので、ジュリアン・ジェインズという比較心理学者がつくった言葉でね、人間の連想的思考は意識とは関係なくとも、ストラクションでもけっこう進むというんだね。つまり、自分にストラクションを仕掛けさえすれば、こういう連想はうまくいく。 上の図形列の右端に与えられる図形は何か?
答えは三角形だと自動的に見てとれる。
これがストラクションという作用だ。
人間が差別するのは、多くの場合は“何々さん”という具体的な名前ではなく、カテゴリー名です。例えば“コロナ感染者”というカテゴリーとか、“障害者”というカテゴリーとか
『本人の自己責任でその属性になったんでしょ』と、間違って信じられている属性。本人ではどうしようもない様々な偶然性や社会のプレッシャーによってその属性に押し込められているにもかかわらず、あたかも本人の選択でその属性に陥ったと過度に間違って信じられている属性
「体が平均的な人と違うから障害者ではなく、その時々の社会環境に体が合っていない人々のことを障害者と定義します。体が変化しなくても社会が変化すれば、
“障害の社会モデル”というのですが、これほどまでに急激に社会が変化すると、大なり小なり全員が障害者になったと言えます。みんな不便を感じているはずです。社会環境が自分のニーズを十分に満たしてくれない状況あるという意味で、社会モデルの観点からすると、総障害者化が起きたのです」 「ねぇ、ごはんどうする?」
って私が聞く時は、
作りたくない、疲れてる、助けを求めている時。
未だに旦那はわからない。
「なんでもいいよ。楽なので」
じゃなくて、
正解は、「いらないよ」または
「どっか食べいこっか」または「何か買ってこよっか」です。
言うといいことないから言わないんです。
ですよね!
本当にだめな時ははっきり言っています。
ただ、できれば、、、っていう時にこう言ってしまいます。
義父母がいる手前、わたしから作りたくないってなかなか言える環境ではないので、できれば旦那や他の人から提案してほしいっていう、些細な希望です💦
わかります!
同居していて、人数多いのだから、簡単なものはないんです!
核家族なら簡単に麺類!とか言えるけど、麺類さえも腱鞘炎だし、
簡単に刺身でも!ってなってもかなり量必要だし。
作る=大変なんです。
買うにもなんにしても。
ほんとですよね。
旦那と子供だけなら、納豆ごはんとかで大丈夫だけど、
他人が多いと、色々気を遣い大変ですよね。
確かに。難しいですよね。
難しいのが女性なのかな。
ただ、言い方とか、最近頑張ってて疲れてるなっていうので、わかるはずです。というか、同居してるのだからもう少し気付いてほしいなと。
こっちからごはん無理!というのと、提案してくれるのとでは全然違うんです。
はじめまして。男性の脳みそは、言葉の額面通りにしか理解する事が出来ないらしいです。そんたくなんて期待していたらムリです。合言葉として、私が(奥さま)がこう言ったらなるべくなら外食したい気分だと言うことを二人きりの時に伝えておいた方が、お互いに楽ですよね(^ ^)