2020/05/30-2020/05/31
自分を賢くしてくれそうなツイートを目に入れよう。
自分の読書傾向が分かってくるにつれ、「あ、この本は、このままなら僕は、一生『いつか読む』ことにならないな」ということに気付くようになって、そうすると 漫画で読破やまんが学術文庫を前向きに選べるようになる。 読まないよりはストーリーだけでも読んだ方がいいし、完全に読まなくても文化の系譜は知ることができる。
もちろん、老年期になったら逆に「大著をじっくり読む」ことにチャレンジするようになるかもしれないけど、それは分からないし、自分のインプットのハブにひげ根を絡めるためには、いま知識があるに越したことはない。
「幸福も自由も、頭蓋骨の内側にしかない」ってのは、どれくらいの人にとって自明なのだろうか。
⇒「インドア」な人の中にも、「タンジブル」「操作」「表現」「コントロール感」とか、体の外へ向けての生の実感を求める人は相当にいる。
⇒脳に点滴とインターネットケーブルを挿して生きていたい、とか
⇒幽霊になって、宇宙が終わるまで、人々の作り出すものを、ひたすら、ずっと、見ていたい
ということを、何回くらい人生の中で思ったことがあるだろうか。
そういえば、
はそこまで好きな作品にならなかった。5話くらいみたところまでだけでだけど。
それは、あれが、「あの社会における、『社会の暗部モノ』」として作られている感じがするから。
社会の暗部モノとか裏社会モノって、あんまり好きにならないのですよ。
だから、まったく同じ設定の世界線を、そうだな、『AIの遺電子』くらいのトーンで(それは「…くらいの社会的立場の人達を題材に」ということだ)作ってくれたら、かなり雰囲気は違うのだろう。 「○○係数」みたいなものを、つねに政府にモニタリングされている、という設定そのものは、たぶんそこまで嫌いじゃない。
ドイツとかスウェーデンとか、欧州の中でも割と憧れのある国も、このコロナ禍の中では名を落としてるな。
「とりあえずやってごらん」でやってほしい。
それで『あっ、ここがつながるんだ』となってほしい
『そうしたらどうなるの?』と先までを聞きたがるのではなく。
それならやります。
少数意見としての野次、発言を封じるための野次
ブライアン・R・リトル
誠実性
協調性
情緒安定性
開放性
外向性
報酬と罰
セルフモニタリングスコア
自己解決型と他者依存型
「コントロールの感覚を持つことは、ある程度、幻想に基づいている」
クリエイティブな人の周りを固める優秀なスタッフのストレスは高い
ある意味学校は、「一人で大人しく勉強を進めることができない人たち」をメインとして含む多数派の人のために再構築したほうが、「零れ落ちる人」が受けるダメージが少なくなるかもね。
古い時代では多数派強者だった人が、次の変革で少数弱者になってしまうとき、彼らの恐れをどう取り除きつつ、しかもケアを打ち切るか。
総理辞職しろ、というのは微妙なラインだ。
具体的行動であり、未来について語っている。
ただ、未来にどういう利益が出るアクションなのかが分からないから、「とても建設的である」とまでは言えない気がするけど……、はたして?
由らしむべし
ワイドショーの科学的知識を教えてくれない度合
エンターテイメント成分(不純物)9割の情報番組なのか
政治権力と、宗教などの精神性と、マスコミの宣伝が一つになってはいけない、というのが戦後のテーゼだったけど
フリオ
ユートリム
ハコビズ
リビガク
「言い訳」ってなんでこんなに、言葉がはかどるんだろう。
「紙の出版社の担当さんは、どれだけのキャリアの書き手さんから『先生』と持ち上げてくれるのか問題」
【昭和のテレビ】放送事故テロップ 昭和31年
“しばらくお待ちください”テロップは、放送設備の故障等が発生した際に割り込み放送されるもの。初期のテレビ放送ではドラマも生放送、問題が発生すると突如「終」フリップを映して終了を宣言、次の番組時間までこの種のテロップを映し続けた。@retoro_mode
⇒もう、テレビはこれくらい低品質・低価格な番組を作るメディアかつブランドに戻っていった方がいいのでは。
面白い提案は、SFのSをScienceとSpeculativeだけでなく、Socialも加えてみてはどうか、という点だ。 人の集団が社会を形成し、社会は技術を育みそれを伝承する(あるいは抹消する)。むろん、技術は人を助ける、あるいは導く役割を持つ。
著者が指摘するように、この三つは絡まり合っている。だからこそ、SF作品がこのどれか、つまり技術・思弁・社会にまなざしを向けるとき、必然的に他の要素も巻き込まれることになる。
それは悲劇だろうか。いや、人生なのだろう。
⇒それは愚劣さなのだろうか。いや、それが人間なのだろう。少し厳しく言ったとしても、せいぜい“業”でしかない。
だから今日も僕はそれなりに重くなったカバンを背負う。
⇒真ん中の歩き方2!
たとえのうまい人は、頭の中に抽象的な関係の構図と、それに紐付く実際例がノード的に保存されていて、ある事象を目にしたときに、その事象が空白のノードに吸い込まれるかのようにハマり、「それってこういうことですよね」に至るのではないか。だから、たとえはあんまり考えないのではないか。 ゴーストが囁くから、でしょうか。
実体(インスタンス)Aの祖先(抽象クラス)に自然と目がいき、ワイヤーフレームがイメージされ、これに別の肉付けが加えられて実体Bが生成されます。これがAをBに喩えた状態。
草薙素子が義体を換えても草薙素子と分かるのは、ゴーストが同一だからですね。
……
言いたいことを言えてるかよくわからん。このテーマは自分にとってかなり大事なので、何度も書いて上手になりたいと思います。