2020/02/01-2020/02/08
#採掘場
個人はセンサーでいいが、判断は専門家にしたがう
なんでも感情反応でやり返さないし、すべてをポジショントークしたりはしない。
感性では意識しているが、自己認識や社会的にはノーカンという微妙なポジションに入れるための、領域侵犯
ラブコメのご都合主義的展開
伏線発表は緊迫した雰囲気とともに
ローマの休日は嫌いなのに、からくりサーカスの10巻は許せる
若い頃は、楽しくない現世でいかに生き抜くかだった。
今は、いかに感情を取り戻すかだ。
苦しむ人を見て、その人にはその人の全体の役割があるのだなと
私は女にはなれませんが
情報探索欲としてのゴシップ言及行動
処罰欲ってことだけではなく
異性への偏見もランダム強化される
ありがたがられたいし、推挙されたい
→前プレゼント
乞われて何かをしたい
社長
『フーコー入門』(ちくま新書)の読書メモ
大きな物に生かしてもらいつつ、いかにその中で個として充足して生きていくか。かつ、大きな物を改善変容させたり、制御可能におさめていくのか。
で、私がそんなことを考えるのは、まさに、一度滅びた大きな枠組みが、今また、違った形で、復活しようとしているのを(ひしひしと)感じているからなのかもしれないな。
人間が社会の中でしか生きられないから、完全な開放や完全な自我の発露なんてあるわけないじゃん、とナチュラルに最初から感じられるのも、今の時代だからなのかもしれない。
情報量の増加が加速していく世界線
ジェネラリストの不可能性 →
スペシャリストのアップデートの必要性
考える力とは
・未来を幸せに生きる
・平等な思考
・競争に勝つ
フーコーが、カントやデカルトを批判的に検証しながら
私は哲学がそんなに好きではないんですよ。それは、「実生活の役に立たない、抽象的な議論」だからではなくて。それもあるけど15%くらいで。
そうではなくて当たり前に見えてしまうから。
例えば、化学の定比例の法則って、今の視点で見ると、「何を当たり前のことを」って思うわけです。
もちろん、エントロピー、質量保存、光速度不変
楽して→儲かる
まあ、これはないとして、どっちかだけならどっちがほしいか。
自分個人の脳は、「楽する」。
子供を育てることを考えたときに、「もっとお金ほしい」になる。
てわけで、1人の個人の脳内でも対立が起きる。
普通なんて自分にはやれないし、
普通でいても幸せになれないし、
と思っていたけど、
ちゃんとやれたし、
普通でも幸せになれたぞ。
普通では幸せになれないし、普通なんて自分にはやれないし、と思っていたけど、普通をやれたし、普通でも幸せになれたぞ。
腕時計をしてるころ、腕を見たら「ここが建物の何階か」が表示されてほしかった。
情報デバイスの依存性
政令で指定すれば、法律の基づいて、検査を勧告できる。第2類であっても。
しかし、「保菌の可能性」だけで隔離を強制はできないし
隔離を強制できるのは第1類の怖れのあるときだけ、ということかな。
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クラスターがあったら、そこの全員はフォローしない
やっぱりツイッターが
説明のし過ぎとと刺さり具合のギリギリの線
書きやすい。書き直せないし短いから
本を段落ごとにつぶやいてくれるアカウントがあったら
(実行可能なサイズに分解する)
影響を与えたくないアカウントもある
たまにrtで流れてきたら、それをきっかけとして見に行って、遡ってファボしたりとか
流速にポイントを置いて管理する
読書メモはマージしない
見立てのエンジンが常に働く
ダジャレになればさらによし(忘れないから)
BGMにできるかどうかは、レイヤーの違いがある
映画はながらで見られる
evernoteのストックが負の遺産になっている
本当に生きていてほしいのは数割だとしても
netflixは一通り見てしまって離れている
なんの制約もなければ映画の監督ををやりたい
「自分ならこうするのに」
この↑、映画で「自分ならこうするのに」という発想の働きは、誰かに命令されてそうしているわけではないので
自分では気づけない、何に関心を持っているのかすら
その熱量を感じたい
映画を見るときは前情報を入れたくない。(でも、作品を知るときは他の人の言及なわけだから、)読んでいてピンと来て見たくなったら、その情報ソースのページは一回閉じる。
ネタだったものリスト
ネタリストだったもの
https://kensuu.com/n/ne7811c9b5bdb
⇒これ、知識レベルが低いとお金の使いどころがないということでもあり、「家庭教師」を雇えるほどに突き抜けた金持ちでないのなら、逆に世界を公平にする神の手なのかも。
https://togetter.com/li/1461803
https://twitter.com/sateco/status/1222299574611496961
これや、
https://twitter.com/triarbor/status/1223775688987049984?s=21
https://twitter.com/suminotiger/status/1223450930730790913?s=21
⇒ここまで「読む」能力にばらつきがあると、それを前提として人類が成り立つのは不可能だよな。
http://wholecake.net/nakigoe/
子どもに泣かれてるときの私の心の中に浮かんでることって。
「なんでちゃんとやってくれないの!?お母さんなのに」
「どうして泣かせるの!?泣き止ませてあげるのはお母さんの役割でしょ!」
「なんでこんな辛い思いさせるの!?」
みたいなものだった。
なんというか勝手に子どもの声を翻訳してた。それも自分を責める方向に。
自分の中に
「子どもにはいつも楽しい気持ちでいてほしい」
「辛い思いをしてほしくない」というのがあり、
子どもが泣いているとそれが達成できていない責任を感じて、子どもに責められているような妄想を作り上げていた。
この妄想に問題があるな、と。
子どもの気持ちは親にはわからない
この妄想に気づいた時、最初に浮かんだ疑問。
「私はなんで、自分の子供のことをそんなに性格悪いと思ってるんだろう」ってこと。
なんで子供が不快に陥ったら、真先に私を責めると思い込んでるんだろう?
https://togetter.com/li/917868
https://twitter.com/MAMAAAAU/status/680761748744323073
https://twitter.com/MAMAAAAU/status/680763242071736320
https://twitter.com/S_Mizuki/status/681026044946550786
https://twitter.com/MAMAAAAU/status/681031247007621120
https://twitter.com/juns76/status/681004660023537664
https://twitter.com/Nanhaizu/status/681005561769398272
https://twitter.com/Tetsunori87/status/681015866041839616
https://twitter.com/synfunk/status/681016101455675392
https://twitter.com/MAMAAAAU/status/681024619915034624
https://twitter.com/kazzna/status/681023787110760450
https://twitter.com/izumillion/status/681082226314878978
https://twitter.com/Linerfil/status/681078852198662144
https://twitter.com/o_thiassos/status/681094272687288320
⇒「予選」に強い作戦と「決勝」に強い作戦はしばしば逆行する
⇒「おもしろそう」と思って映画館に来て、「ポスターが下品だったから見るのを取りやめる」行動が実際にはほとんどないから、センスを良くする動機付けがない、という指摘もおもしろい。
⇒思ったのは、視覚やセンスだけの話じゃなくて、駅や車内でのアナウンスに通じるものとして考えられないか? よく言えばおもてなし、悪くいうとおせっかいまたはお客様は神様ですの誤用
⇒日本人のセンスが悪いのも事実なのかもしれないし、市場が小さくて、でも日本人が空気に流されるから、その「空気に流される人」を当て込んでヒットさせたい、というニーズがあるのかもしれないし、バカに売り付けられるように分かりやすくする、なのかもしれないけど、そっちの話はまた別でいい。
http://wholecake.net/くだらない私こそ素晴らしい/
つまんねー人生をつまんねーなりに
このつまんねー女が私なんだとしたら、まあつまんねーなりに、かわいく化粧して着飾らせてやろうとか思う。ま、素材が素材だから大して可愛くならないけど、しないよりは随分いいと思える。
このボロい家が私の家なんだから、まあボロいなりに大事に綺麗に掃除して、アロマでも炊いて花でも飾ろうと思う。するとまあ、ちょっとばかし快適になる。やらないよりよっぽどよくて、けっこういい家かもと思える。水回りとか見るとやっぱぼろいなと思わされるけど、実際ボロいんだからしゃーない。
絵も文章もうまくないけど、こうやって描いたり書いたりしてる間が楽しい。
私の絵や文章を見て不快になる人もいる、そりゃそうだと思う。
私には欠点がたくさんあるもの。私なんてヘボでしょーもないから、嫌われることもあって普通だ。
なのにそんな私の絵や文章を好きだと言ってくれる人がいる。
まったく、天からの贈り物だとしか思えない。
https://twitter.com/rashita2/status/1224873284593807360
https://twitter.com/rashita2/status/1224872674570035200
儀礼は、繰り返されるものだからこそ(=固定)儀礼としての地位を獲得する。言い換えれば、儀礼として認識される。「変更可能な儀礼」は、論理的には簡単でも、認知的にはラディカルな変化を迫るのではないか。
https://webdesk.jsa.or.jp/common/W10K0620?id=340#
⇒全体で生み出す起承転結に意味がある、読後感に意味がある、ってわけでもないのに、全文それぞれの場所がおもしろい
その都度のニーズによってインフォーマル(非定型的)に対応することこそが重要だと思っているから、「標準化」とか「規格」といった観念に対して懐疑的なことを書いてもいいかと尋ねた。
個々のメンバーから自律性とプライドが奪われ、個人が交換可能なコマと化していくからだ。
自己効力感
大規模組織の形骸化したPDCAにはうんざりなのだが、個人的にはPDCA的な発想はある意味当然のこととして実践しているわけである。
ビギナーはしばしば、どこかで見聞きした実績のあるらしいメソッドに飛びつき、その通りにやろうとするものだ。最初は「その通りにやること自体の楽しさ」でテンションが上がるのだが、逸脱的な事態がすぐに発生して、やり方を維持することがかえって不効率になる。
ホーソン実験?
何においても、人は同じやり方を続けることで安心する。それは儀礼である。儀礼的なものなしでは、おそらく人は生きられない。けれどもある段階で、儀礼をなくすのではないにしても、儀礼は変更可能だと気づくべきなのだ。
⇒「呪い」なんかにも近しい考え方。
大規模組織ではどうしても統一的なフォーマットが必要になり、必然、それは形骸化する。計画書を書け、報告書を書け、というだけの話になる。そして「それっぽく」書けばいいというだけの「ごっこ」になる。まさに儀礼である。
茶番
少人数のチームなら、普段のちょっとした会話でそれぞれの状況把握を共有することができる。僕も同僚とおしゃべりをするときにこそ、上から振り返りを求められるときなどよりずっと実質的で濃い思考をしている。
とはいえ、組織全体が意思統一されることなどなく、各所に異なる思惑があり、それに応じて各所が「秘密」を持っているのが現実である。大きくトップ/ボトムに分けても、トップ側の利益とボトム側の利益はしばしば対立し、それぞれに秘密があるから、組織全体で共有可能な書類は、双方の秘密をごまかすための「取り澄ました文体」になる。いわゆる官僚的な文体は、複数の秘密の間に成立する緩衝地帯である。
内部に複数の対立を孕む組織を、全体として意思統一して管理できている「かのような」幻想を維持することである。
まったく無計画な人間などいないのであり、一見ちゃらんぽらんに生きているような人間であれ、その人生には潜在的なPDCAサイクルがある。
上からフォーマットを押しつける前に、「見えないPDCA」を掘り起こす必要があり、
だから「PDCAのダイバーシティ」も重要なのだ。多様で可塑的なPDCAをボトムアップで……と考えると、アナーキーとも言える組織の可能性が浮かび上がってくる。
ダイバーシティ、多様性
それは少人数ならば可能なのだが、繰り返しになるが規模が大きくなると難しい——そしてさらには、社会、国家、世界という規模にまで広げて考えてみたらどうだろうか。
⇒うん、無理だよ。それは無理です。
私は、バックグラウンドが違えば人間は理解し合えない、という立場を取ります。
だから、フォーマットだったりコンテナの統一が必要になる。そこは。
残念なことだけど。
という風に思う。