20181212
焦りは自己評価を下げる
いくつかの特性により、ブログは個人のプラットフォームになった
ツイッターの、発言はじぶんのもの、と、フォローリムーブが自由であるべきシステム
「他人がのぞき見ることができるけど、本人にとってはただのメモ」ということが一応できる、ということが、敷居の低さにつながっているとは思いますね。
「炎上して気分を害した人がいたとしても、『そんなもんわざわざ見ようとする方が悪い』という言い訳が形式上ありえる」という。
実際には、インターネットに公開するというのは、そうではないんでしょうけども。 2018/12/12 8:16
2018/12/12 8:08
2018/12/12 7:48
2018/12/12 7:02
ツイッターは、疲れているときでもできるので、言いたいことの内圧が高まって「ウキーッ!」ってなったときにはどうしても増えるんですけど、そこで名言(自分にとっての自分の)ができてしまうと、再利用性、再閲覧性が低くて、あとで困るみたいなことはあります。 ひばちさんとかf太さんとか、「ブログにまとめてくれよ〜!」みたいな。
2018/12/12 6:18
「彼の人生は『革新』の二文字によって彩られていた」
みたいな感じで、自分の興味関心って、根をさかのぼると少数のキーワードに収束していくと思うんですよね。
そうは言っても、伝説上の人間ではないので、大きなところだけでも4・5個の、細かいものまで含めると2・30個はあるんじゃないかと思いますけど(笑)
そういう根源にさかのぼると、自分の中の色々なことのつながりが説明できちゃうはずで、それに昔からかなりの撞着があったと思います。
そういう「つながり」_リンク_を掘り起こすことそのものの火花的快感が、更新欲求になっている気がします。今はね。
2018/12/12 6:15
▶︎で、そういうチャンネルに私が何を預けているかと言えば……
そういうことで言えば、追加されていってほしいシステムはやっぱりあって……
2018/12/11 18:01
ツイートボタン
あと、逆ピン(笑)
SNS的な『チャンネルのフォロー』や、以前倉下さんが言っていた、『プロジェクト横断ハッシュタグ』みたいなのも期待しますしね。
まあだからたぶん、「10年後の知的生活の設計の蓄積」は、こっちにたまっているでしょう。
それと同時に、ネタの選び方や、文字の書き方の関連で言えば、ある種の「コミュニティー」感を信じられるから、というところもあります。
それは、「見栄えにこだわれない」「書きかけも全部見えてしまう」といったことがシステムに内在しているせいで、“それを飲み込みで使ってる人だけが見ているだろう” という、SNSじゃないんだけど新興SNSみたいなクローズレンジ感があります。
そしてその中で、(SEOも強くなく、RSSも不完全な状況で)私のところを見にきてくれるというのは、そんな私の頭の中全部を読もうとしてくれてるんだろうな、という信頼感とか。
2018/12/11 17:49
2018/12/11 @いっき
倉下さん
ありがとうございます。
どんなメディア……、むずかしいですよね、scrapbox(笑)。
とりあえず、私の自我の中で、もっとも統合的な自分にとっては、ほぼ完全に「第1ブログ」になってますね。
wordpressを管理したり、そこに投稿したりというのはやっぱり作業負荷として重いし、イキブロというブログも、ライフハックなどの “ブログメディア” というものが1番輝いていた姿に憧れて始めたメディアですから、どうしても疲れるんですよね。
で、mediumとかpostach.ioとか、ちょっと手を出しはしましたけど、それらも思ったよりも発行と編集が軽量ではなかった、という手触りです。
そこら辺が、やっぱりよくできていて(……、とはいえ、数字付きリストやブロッククオート、文字を小さくするタグ、あたりは本音では公式に取り込まれていってほしいですが)機能がしぼられていて使いやすいという印象です。
2018/12/11 17:13