全体性
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structure-enhancing actions の訳語がわからん kdmsnr.icon
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美術の文脈における全体性とはこんなニュアンスらしいtkskkd.icon
芸術作品の構造が、部分の集積によって全体を形成しながら、複数の部分の単なる集合に留まらず、各部分が全体との関係を強固に有した統一体の状態であること。
入れ子状の「全体」(whole) の体系として空間を表わすという考えは,多くの人によって考案されてきた。この中で最も顕著なのはホワイトヘッドであろう,ホワイトヘッドは有機体と呼ばれるまとまりのある実在 (entity) の体系を提案した。このホワイトヘッドの「有機体」は,私がここで「全体」や「センター」として描写しているものと同じ実在であると考えている。
「全体性があるものはいきいきとしている」はわかるが「いきいきとするには全体性が必要である」は要出典なのでは?kdmsnr.icon
言い換えれば、別に全体性がなくてもいきいきとすることは可能なのでは?
こんまり先生はそれを「ときめき」と呼んだ……。ときめきとは非常に個人的なものなので(つまり〈かかわり〉が希薄ということなので)、たとえば配偶者が「それ捨てなよ」とか言うのは絶対にダメってのを何度も指摘してる。 Tyding Up with Marie Kondo をnetflixで観た程度の感想ではあるのですが、非常に個人的よりはもうちょっと広そうな印象をうけました…手段だけど…住まいと個人とのかかわりの全体性なのかなあ。欠けるところが無い感じを受けた…。スケールの問題なのかなあ。感想だけど… kakutani.icon
ときめきはモノと人との関係性に生まれる質で、思考や論理でなく感情をモノサシにする点がミラーテストに似てるなーと感じてました。(昔コンマリ本を奥さんに紹介してもらってすぐ洋服捨てたなー)tkskkd.icon 人とモノとの一体感、それはある種の全体性なのかも。 でもそういう意味でいうとパタゴニアの「Worn Wear」の方が人とモノとの一体感があり全体性を感じる。テープで補修してでも使いたいと思うこころ。僕もズタボロになっても補修してもらって使い続けてる服ある。https://wornwear.patagonia.jp/ tkskkd.icon 主体の手が加わるってのは、いち段階先になってますねkdmsnr.icon
クリストファー・アレグザンダーも中埜博さんも武田さん(下記)も、家を作る前に目を閉じて理想を描く、というプロセスを推奨してるけれど、家族の家だと理想のコンフリクトが容易に起きてしまう。「子供の頃を思い出せ」のように非常に私的な感情をベースにしてるからこうなる。「時を超えたら普遍性が出てくる」という論理も成り立つけれど、トレンドを追いかけたいのも人間の本質だと思うなあ。ときめきの合意のプロセスが必要。アコモデーションだっけ? kdmsnr.icon 武田実代子氏のメルマガ