『パタン・セオリー』訳者あとがき(懸田)
あとがき(懸田)
私は、1999年にソフトウェア開発者として本書にも紹介されている「デザインパターン」に出会い、そこからアレグザンダーの『パタン・ランゲージ』に触れました。その後オブジェクト指向開発、アジャイルソフトウェア開発、ウィキ(Wiki)システムの利用を通じてパタン・セオリーの真髄に触れていきました。2007年よりパーマカルチャーを知り、2009年から共訳者である中埜博さんにパタン・セオリーを学びはじめ、2011年にパーマカルチャーデザインコースを修了し、パタン・セオリーとパーマカルチャーの両者を結びつけようともしてきました。このあたりの経緯は原著者ライトナー氏とほとんど同じであり運命を感じます。 本書は、クリストファー・アレグザンダーのもっとも有名な『パタン・ランゲージ』だけでなく、彼の後期の主要作品である『The Nature of Order』(NOO)シリーズの内容を含めて、パタン・セオリーを紹介しています。本文中に何度も記載されていますが、国内においてはNOOシリーズは1巻のみが翻訳されており、アレグザンダーの後期主要作品であるNOOシリーズの中でも、重要な生命構造を生み出すプロセスを解説する2巻『Process of Creating Life』が未翻訳です。 本プロジェクトは、日本で遅れているアレグザンダーの著作の翻訳を一歩先に進めるプロジェクトとしての意義があります。本書が多くの人の手元に届くことができ、アレグザンダーの未翻訳の著作への興味が高まれば、出版社から未翻訳書を出版、あるいは本書と同じように、未翻訳書のクラウドファンディングによる翻訳プロジェクトとして立ち上げることができます。そういう意味で、本書の翻訳プロジェクトは始まりに過ぎません。是非、本書を気に入った方は、Amazonのレビューを書いていただいたり、他の方に紹介していただいたり、フィードバックフォームに感想などをいただくと今後に繋がりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 さて、ここから、本書で扱う独特な重要なキーワードについて、私なりの解釈を書いてみたいと思います。
本書で取り上げる、「生命(いのち)を生み出すプロセス」の問題はとても重要です。このプロセスは、一見、フィードバックループにもとづく進化的適応のプロセスと勘違いされてしまいがちです。しかし、アレグザンダーははっきりと「進化的適応型には賛成ではあるが、そこが中心的ポイントではなく、本質は、構造を前進させ、生成プロセスの成功に主に責任を負う構造保存変容にある」と述べています(NOO vol.2 p198)。このプロセスは、「構造保存変容」、「展開(Unfolding)」、「センタリング」、「全体性の拡張」など様々な呼び方がありますが、すべては同じことを指しています。そこには、様々な言葉を駆使してアレグザンダーが伝えようとする本質があります。本書を通じて、アレグザンダーが探求してきた「生命を生み出すプロセス」「秩序の本質」にを興味を持って、探求・実践する人が増えることを願っています。 また、本書で何度も登場する「全体性」というキーワードは特に重要です。本書の「全体性」は「システムは各部分の単なる総和ではなくそれ以上のものである」「分けられない全体」という意味で使われています。全体は常により大きな全体の部分であり、その入れ子状態はどこまでも続きます。究極は「宇宙はすべて1つ」であるということです。一方、新しい組織のあり方として注目が高い『ティール組織』においても「全体性(ホールネス)」という言葉が何度も登場してきます。ティール組織の文脈では、人間と自然を分離せず1つとして捉えること、個人の心・身体・魂を分離するのでなく統合された状態として捉えること、プライベートの自分・職場の自分を分けて考えるのでなく「ありのままの自分」として扱うこと、女性らしさと男性らしさのどちらかではなく両方使うこと、など「分離された断片ではなく全体として扱う」という意味で使われています。 この両者の「全体性」は共に理解されなければなりません。パタン・セオリーの言う「全体性」のようにすべてが分けられない全体であるならば、ティール組織の言う「全体性」を伴わない断片化された個人では、その「全体性」を感じ取ることが難しいからです。 そういう意味で「感情を使う」という点は、パタン・セオリーの非常に重要な側面です。「自分の感じたものを物差しとして使う」という発想は、客観的データ、エビデンスといった科学的方法論で重視されているものと対極に位置するように思えます。しかしアレグザンダーは、主観は「客観的である」と言い切ります。人の「感じる」ものには個を超えた共通性があり、人にはそれを感じる能力があるというのです。しかし普段の私たちは、その能力を十分に使っておらず、開花させていません。それをトレーニングによって開いていくのがアレグザンダーの能力の開発のポイントです。パタン・セオリーは、私たちに「感じる能力」をいかに解放し、発達させ、使っていくかを求めています。このことは、本来的に私たち人間が持ってる機能を取り戻そうとする試みともいえるでしょう。ひとりひとりが自分の感情に向き合って、喜びだけでなく、恐れや不安などの不快感情も感じる必要があります。快も不快も感じていることをなかったことにせず、ただ感じて味わうことが必要なのです。
パタン・セオリー独特の「構造保存変容」、「全体性」といったキーワードをよりわかりやすくシンプルな言葉で言い換えるなら、私は「敬意」または「愛」が適切だと思います。ここ文脈の「愛」とは「恋愛」の意味ではなく「無条件の受容」という意味の「愛」です。
「構造保存変容」は、今の構造を受容したうえで、変わっていくことであり、今の存在を否定したり不快な部分を切り捨てて、全く別の存在へと変わることではありません。常に「以前の構造を含みつつ、その構造を超えていく」のです。そのためには「存在そのものへの敬意・愛」が不可欠です。人間でいうと「自己愛」を持ち「あるがままの私」を受容することです。常に「イマココ」から初めて先に向かおうとすることです。「全体性」は、常にすべての存在との繋がりを大事にしながらも、不調和な部分をよりよく変えていくことで、全体としてより生命の度合いを高め、常に調和をとり続けることにより生まれてくる質です。このことは、今あるすべての存在を否定せずに、その全体が壊れないように大切に扱い、その上でより全体の生命を高める方向へと変わり続けることです。このことも「今あるすべての存在への敬意・愛」が不可欠です。 本書で述べられているように、今の合理的・因果的・機械論的世界観だけでは、全体は詳細へ分解されるばかりで「分けられない全体」として見られることはありません。物事は「価値があるか・ないか」「快か、不快か」というナイフでバラバラに断片化され、「価値がない」「不快を与えるもの」は存在してはならないと排除されます。常に「コスパ・タイパ」に駆動され続けます。自然界も人間界もすべからく同じ「価値基準」のナイフで切り刻まれます。その究極は、自分自身を「価値がない」「不快な存在」と見切り、切り捨て、分離していきます。その世界観の枠組みの中では「生命への慈しみ」や「存在そのものへの愛」は望むべくもないのです。
このような話になると、「従来のやり方はダメで、新しいやり方がいい」という発想になりがちです。しかし、そこも「構造保存変容」が重要です。「今を受容したうえで、どう変わりたいか、どこを強めたらいいのか」という「センター」を見出し変容していく必要があります。ここを二元論で「これまではダメ、新しいのが良い」と分離してしまっては、二元論の枠組みから決して逃れることはできません。私たちにできることは、「自分は今、どんな立ち位置から世界を見ているのか?」に気づいて、「自分の生命(いのち)はどうしたいか?」という意識に基づいて行動を起こす、というそれだけです。今の自分が世界を見ているレンズが「因果的・機械論的」なのか「全体論・生命論的」なのか、今のあなたが「恐れや不安」に駆り立てられているのか「喜びや愛」を感じているのか、まずはそこを自覚するところがスタートラインとなるでしょう。ひとりひとりの生命を活かして強めることは、全体の生命を活かして強めることに繋がります。私たちは、そうやって、一歩一歩全体論・生命論的な世界観に目覚めていく、展開(Unfolding)プロセスの真っ只中なのだ、そのように思えてなりません。
アレグザンダーの実現したかった世界は、人、生物、人工物、そして地球全体が、美しく生命の輝きに溢れる世界でした。彼はその探求に人生を捧げ、2022年に光の世界に戻りました。後を継ぐ私たちが、少しでも世界や自分自身が「いのちの輝き」を放ち、次の世代に繋いでいくことをしなければなりません。本書が、その一歩に少しでも貢献できれば、これほど嬉しいことはありません。
翻訳についての一切の責任は訳者の2人にあります。本書はKindle Direct Publishing(KDP)プラットフォームを通じて出版しますので、皆さんからのフィードバックを受けて、一般の出版社経由ではできない頻繁な更新も可能です。ぜひとも気になる点がありましたら、ご指摘いただければと思います。
最後に、本書は多くの人々の支えによって実現されました。翻訳エージェント経由でなく直接翻訳権交渉という一風変わった形にもかかわらず、日本における出版を快諾してくれた原著者のライトナーさん、彼の本書に込めた想い、できるだけ読者が手に取りやすく広く読まれてほしいという願いを聞き、訳者チームは感動しました。私家版翻訳プロジェクトに尽力してくれた蜂須賀さん、共に翻訳出版プロジェクトを立ち上げた師匠でもあり共訳者でもある中埜さん、プロジェクトのプロデューサーとして八面六臂の活躍をしてくれた高柳さん、3人の先行する活動があったことで本格的な翻訳プロジェクトに飛び込むことができました。クラウドファンディングから一緒に行動してくれた川西さん、倉林さん、笹さん、花井さん、AsianPLoPで出会った皆さんの力がなければ、クラウドファンディングの目標達成も、翻訳レビューの荒波を越えることもできませんでした。短期間にも関わらず多くの的確なレビューをご提供いただいた浅野さん、羽生田さん、川西さん、笹さん、花井さん、皆さんの命を削るようなレビューがなければ、本書の質は今より格段に低いままだったでしょう。編集作業を「権利を購入して」行なってくれた野口さん、プロ編集者の知見を惜しみなく与えてくれたおかげで、数年前から2人で話していた「セルフ翻訳出版」が実現できました。そして人生初のクラウドファンディングを通じて本書を応援・ご支援いただいた多くの方々、皆さんの支援・応援があったからこそ本書は現実化することができました。そして最後に、書籍に関わると途端に生活が乱れる私を、温かく見守り応援してくれた、妻の恵子、息子の覚志、大輝、東京で1人暮らしている娘の春佳には、どんなに上手くいかないことがあっても、家族の笑顔をみることで力をもらいました。その他応援してくれたすべての人に感謝を込めて。 2024年8月5日、夏を感じすぎて熱中症気味になった愛媛県松山市自宅にて