吉岡洋『AIを美学する なぜ人工知能は「不気味」なのか』
吉岡洋
太宰治『人間失格』からの引用
陸橋や地下道は有用性ではなく楽しませるためのサーヴィスだと思っていた
人は必要性や有用性だけで新しいものを作る訳ではない
面白いから作る
AIとは何かという問題とAIは私たちにとってどんな意味を持つのかという問題
はっきり異なった問題
知能とは何か
人工とは何か
カントの技術論
文明や人工物自体もカント的な意味ではすべて自然の支配下にある
機械が人間の領域に迫ってくるという図式そのものが根本的に間違っている
機械は人間になりたがり、人間は機械になりたがる
死ぬことは「能力」なのだろうか?
人工知能と人間との関係を考える場合、暗黙のうちに「死とは何か」という問題を考えている
人間とはいかなる存在なのかという実存的な問題の原点
ポストヒューマン的な新たな段階を志向しているようにみえながら、実は不死を願うきわめて古い願望
あまりに人間的な願望を反復しているだけかもしれない
AIは私たちを騙そうとはしていない
AIを使って騙そうとしているのは人間
「騙す」という極めて人間的なテーマ
機械と「騙す」こと
機械と芸術との関係を考えるカギ
「人を騙してはいけない」と道徳を教えるが、逆に考えれば面白く誘惑的な行為
芸術は騙すことを隠さない
騙すことで別な目的の利益を得ない
騙すこと自体が目的
カント
ナイチンゲールの啼き声に聴き惚れていたが、少年による啼き真似だと分かると興味を失った
自然の啼き声と聴きちがえるほどの技量を称賛するならば、作為の中に自然を見るような認識のモード転換が起こる
人工知能が芸術を生み出せるとしたらそれ
芸術に似たものでなく、認識のモード転換を起こすもの
賢いハンス
計算する馬
前脚の蹄で板をタップする回数で答える
自然数の加減乗除も分数の計算もできた
周囲に人間がいない状況では答えられなかった
人間の表情や身振りに反応して答えを出していた
課題が出された雰囲気を察知し、見ている人の「そこだ!」という信号を知覚
計算をしていたのは人間
問題解決のプロセスは人間と違うが、正解できていたことは事実
テクノロジーの哲学は必要か?
とりあえず答えるのは簡単
問う自由がある
テクノロジーに疑問を持たないのは自分たちの思考がテクノロジー化されてきたから
社会全体が何らかの目標を達成するための有効な手段の探求、つまりテクノロジー的な合理性を基軸として動くようになった
それに伴って知識も思考もテクノロジーの論理に適合するように組織されてきた
西洋で約2世紀、日本で150年くらいで人類の歴史からすると短い
文明は進歩するという考え方自体が比較的新しく作られたもの
過去が現代に到達するまでの未発達な前段階であるかのような見方
テクノロジー的な思考は基本的に文明は進歩するという枠組みでものを考えるが、哲学はかならずしもそうではない
そもそも進歩などしていないかもしれないという可能性も視野に入れられる
ドレイファスによる批判
テクノロジーは進歩したが、それに関する哲学的問題は解決したのではなく、単に忘れ去られただけ
機械と人間の差異を特定の課題ができる/できないという能力の軸で考えること自体が不毛ではないか
惑星は太陽の周りを回っているとき、微分方程式を解きながら回っているのではない
人間は文法規則に従って話しているのではない
規則は理解の役には立つが、それに従って世界が動いていると思うのは錯覚
自然言語を特定の規則の集合として実現する初期の人工知能の企ては、出発点において失敗している
ただこの失敗が何を意味するのかは考える必要がある
AIは鏡
人間の欲望を何倍にも拡大
自分でも知らなかった私たち自身の姿を映し出す
#2025 #読んだ本