ウェブで既知なことを避ける愚か者
ウェブを使って知らないことを引き寄せたり接したりするための敷居はどんどん下がってきている。が、すでに知っていることと接触する機会も同時にものすごく増えてきた。
後者が無駄だとかストレスに感じるとかって言う人は、自分が本当に何について知ってて、何について知らないのか、とか理解してるとか本気で思ってるのかな。
そういうこと言う人は「なんだ、また夏が来たのか」とか「なんだまた正月か」とか平気で言うのかな。実は、来る季節、来る季節が実は全く違うものを見せてくれるって言うのにねえ。もったいない。
それからそれから、今のオレと明日のオレとあさってのオレは全然違うオレだって知ってた?
だから今日、言ってることの舌の根も乾かぬ間に、明日、全然違うこと言ってても許して :-p
ウェブを使って知らないことを引き寄せたり接したりするための敷居はどんどん下がってきている。が、すでに知っていることと接触する機会も同時にものすごく増えてきた。
後者の無駄やストレスを軽減する方法ってあまり真剣に取り組まれていないのかも。
ウェブの側(何処)が、ぼくがすでに何を知っているのかを覚えていてくれればいいのか。「既知・既読管理セントラル」みたいな。でもアホな仕組みだと怖いよなぁ。
2009年、世界は既知な情報に再び出会うことに辟易していた
2020年、世界は情報のなにに対して辟易としているのか?
情報の量に対して?
情報の質に対して?
情報を解釈することに対して?
それとも、その情報をもたらす他者に対して?