2025-07-25
08:30ごろ起きた、眠すぎて帰宅後2h昼寝
https://www.youtube.com/watch?v=_82ploJ96RI
字が綺麗すぎる!
疲れているので潔くAnkiだけ消化して寝よう
最近はcosenseに説明を書く時間がもったいないという発想で、調べたことを書き写すということをあまりしなくなっていた
ノートまとめアンチ的な考え方からすれば正しいと思うが、これを避けると自分の言葉で説明(パラフレーズ)の経験が減ってしまう。
ノートまとめアンチ的な考え方 = 「高品質な既成の教材があるのに、同じ内容を自分でまとめなおすのは劣化コピーでしかない。時間の無駄」
一理ある
結果的に、他人の思考を自分の思考の体系に有機的に組み込む体験が減る
これはつまらないし、失うものもあるだろう
例えば英単語を覚えるとする、対訳をすべてcosenseに書くという作業をするだろうか?
勉強法としてはありだと思う
私はやらない
wikipediaの内容をわざわざパラフレーズしてcosenseに書く意味はあるだろうか?
意味はあるが、時間との兼ね合いとしか言いようがない
なぜ興味を持ったか等の経緯、疑問点等をメモるとか
調べたことをきちんと嚙み砕いて言い換える経験を積むのは、自分の意見がない対策になる予感がする まあ、論理的な文章を書こうとするとこれをやらざるを得ないので、文章を書けば思考の強度が強まるという当たり前の話ではある
知らないことが多すぎるけど、アホが露呈しないように取り繕うか無言を貫いたとしてもアホは治らないので、とりま恐れずに
というか、最初から賢いです風の人が多すぎるように見えるのは、多くの人は自分ができないことについて喋らないからだと思う
自信がないことを言うときに、いちいち かもしれない と言っていたら語尾がかもしれないになってしまうのだが
不要では?
自信はないけど言い切ってますという合意の下で発言したい
あるいはめちゃくちゃ自信満々になるか。それは無理だ
古典は新作のネタになっている場合が多いので進研ゼミでやったとこだ!となりやすい
人生は短いということに気付けば1分でもかなりデカいという気持ちで生きることができる
自分のことを神様が見てると思って生きる(神に対する誠実さ)は有用に感じる
私淑で置き換えられないか?もし、私があの人だったら
もし、いまあの人が見てたら、という
自分に正直、みたいな概念がそれか
得意じゃないことを好きになることってめったにないから、まず得意になることが必要
って言われたらかなりつらいけど一理ある
夢が長かった
自分の肉体と謎の生命体が謎の吸着?をしており、その生命体の肉っぽさとか温かさがキモすぎた。
そいつが引き抜ける(私の体をすり抜けている)ときに、貫通可能な液状化みたいな感じになっていて、そのときの感触もきもかった。なぜか円盤状で私の体と融合してた
火の玉や溶岩で攻撃してきてふつうに敵で怖かった